第60話 仮面デート ~背中合わせの抱擁~
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『城野敦』——カルマは、サブリーダーの手を取った。
指先が触れ合うだけで、周囲の視線がざわめく。
彼は微笑んだ──その笑みは、毒の膜でできていた。
「君の瞳、星よりも綺麗だね」
口にした瞬間、彼の心はそっぽを向いた。
星なんて見たこともない。
彼女の瞳は、利用価値のある器官にすぎない。
サブリーダーは、カルマの腕に絡みついた。
肩に頭を預け、甘えるような声で囁く。
「こんなにドキドキするの、初めてかも」
でも心の中では、『演技力なら私の勝ちね』と冷笑していた。
二人は、互いに愛を囁きながら、互いの心は、別の場所を見ていた。
サブリーダーは証拠の元データを手に入れるために。
カルマは、サブリーダーに『呪い』を仕込むために。
それは、恋人のふりをした毒の交換会だった。
◇サブリーダー視点◇
背中を彼の胸に預け、斜め下から顔を見上げた。
彼から見れば、私を斜め下に見る態勢。
自分の支配下に置いたような優越感があるはず。
それに、上から見下ろすことで胸元が強調されているでしょう。
状況的に、胸の開いた服は用意できなかった。
だけど、この角度でなら制服でも十分に胸の存在感を意識させられる。
胸に当てた背中からは、女の体温が。
制服の胸元から立ち上るのは私の体臭と、合わせて調香された香り。
首元で揺れる髪のサラサラとした感触。
上目に見上げる潤んだ瞳。
直接的には何ら性的ではないけれど、男心をくすぐるベストポジション。
地の利は我にあり!
艶を帯びた唇が、彼の作文に登場した『理想の女』を思い出させる。
ほんのり香るリップクリームの匂いが、彼の意識をじわりと侵食していく。
何も言わずとも、唇の光沢がすべてを語っていた。
スルリと腕を伸ばして、彼の首に触れる。
顔が自然と近づき、空気が少し重くなる。
互いの息遣いが交差するその瞬間、心が動いたのは感情ではなく、計算だった。
さぁ、触れてみなさい。
この輪郭の細さが、あなたの手に収まったような錯覚を生む。
けれど、それは幻。
握ったつもりで、すでに握られているのはあなたの方。
あなたの意識は、私の輪郭だけをなぞる。
この空間に、他者の声は届かない。
二人だけの静寂が、世界のすべてになる。
これは、あなたが描いた夢。けれど筆を握っていたのは、最初から私。
天運も舞台も、すべて私の手のひらの上。
さぁ、今だけは、私があなたの世界のすべて。
そう錯覚させてあげる。
至福のひと時に浸りなさい。
その甘さが、後に残る苦味を際立たせるから。
あなたが持つそのデータ、ようやく価値を認めてあげる。
さぁ、儀式を終えなさい。
形だけの抱擁と、意味を持たない小さな接触。
それで幕は下りる。
あなたは差し出し、私は立ち去る。
夢の終わり、そして計画の始まり。
夢が終わり、野望が目を覚ます。
あの女は、もう逃げられない。
感情の泥に足を取られ、静かに沈んでいく。
その様子を見届けるために、私は冷静さを取り戻す。
あなたは、そのための冷や水。
ちょうどいい温度で、私の心を冷やしてくれる。
あの女は、もう動けない。
感情の泥に沈み、静かに囚われている。
私の心は震え、浮かび上がりそうになる。
だから、あなたの存在で引き戻して。
この高ぶりを、冷たい現実で縛りつけて。
あの女の顔が脳裏をよぎるたび、感情が泡立つ。
その熱を鎮めるために、あなたの存在が必要なの。
心が沈み、体が冷え、思考が澄んでいく。
情熱が強ければ強いほど、私は静けさを取り戻せる。
そうして、ようやく『私』に戻るのよ。
そう、準備は整った。
あとは、あなたがどう『使える』かを見極めるだけ。
一葉に届く言葉は、私の手で研ぎ澄まされる。
道具は、磨いてこそ価値があるのよ。
◇カルマ視点◇
彼女が背中を預けてくる。
斜め下から見上げるその顔。
オレから見れば、彼女を見下ろす態勢。
優越感を抱かせるための演出だろう。
だが、それはオレにとっても好都合。
この角度なら、彼女の呼吸のリズムも、体温の揺らぎも、すべて観察できる。
胸元が強調される?
そんなものはどうでもいい。
オレが注目しているのは、彼女の動きと香りの変化。
制服の布地越しに伝わる熱。
髪が首元で揺れるたび、『虫』が少しずつ感染していく。
潤んだ瞳を上目に見上げてくる。
男心をくすぐる?
いいや、オレが欲しいのは心じゃない。
彼女の『隙』だ。
唇が艶めいている。
リップクリームの香りが、オレの記憶を刺激する。
『すでにこの世にいない』者の作文に登場した『理想の女』をなぞるように。
だが、オレにその理想はない。
逆手に取る。
唇の光沢は、感染ともに薄らぐだろう。
彼女が腕を伸ばし、オレの首に触れる。
顔が近づき、空気が重くなる。
息遣いが交差する。
彼女は計算しているつもりだろう。
だが、オレの計算はもっと深い。
触れてみろと言われた瞬間、オレは応じる。
ウエストの細さを感じる?
それは錯覚だ。
オレが握っているのは、彼女の油断。
この空間に、他者の声は届かない。
二人だけの静寂。
それこそが、虫の感染条件。
彼女は自分が筆を握っていると思っている。
だが、オレはその筆先に毒を仕込んでおいた。
天運も舞台も、オレの手のひらの上。
彼女が世界のすべてになったと錯覚するその瞬間。
オレは目的を完成させる。
至福のひと時?
それは彼女の中に残る苦味の種。
彼女にデータを渡す。
オレは形だけの抱擁に応じる。
意味を持たない接触?
いいや、それこそが意味を持つ。
夢が終わり、オレの計画が始まる。
彼女は泥に沈む。
感情の沼に囚われ、動けなくなる。
オレは冷静さを保ち、その様子を見届ける。
彼女の震え。
浮ついた心
それを引き戻すのが、オレの役割。
冷たい現実で縛りつける。
彼女の感情が泡立つたび、オレは感染を強化する。
情熱が強ければ強いほど、オレの術は深く染み込む。
そして、彼女は『自分』を見失う。
準備は整った。
あとは、彼女がどう『使える』かを見極めるだけ。
一葉に届く言葉?
それはオレの計画の始まり。
道具は、磨いてこそ輝く。
そして、使い捨てる瞬間こそが、最も美しい。
◇サブリーダー視点◇
証拠は手に入れた。
それを使って行動に出る。
でも、私がすることはほとんどない。
すべては彼・・・ええと、誰だったかしら?
とにかく、あの男がやってくれる。
うまくいったら、続きをしましょうって約束をしてあげたから、がむしゃらに働いてくれるはずよ。
あの場にいた女たちも手伝ってくれるらしいわ。
理由は知らない。
ただ、利害が一致しているということなので、それでいい。
彼女たちの目的がなんであれ、私の邪魔にさえならないなら、興味がない。
・・・♪
個人チャットへの通信通知が鳴った。
「また?」
誰か別の人からかと開いてみる。
『城野敦』。
先刻の彼だった。
そうそう、そんな名前だったわね。
内容は・・・。
あの女の所業を告発するものだった。
あの男、思ってたより仕事が早い!
私にだけ、『本隊メンバーに、同じ内容のものをいくつかのルートで文面を変え、送っている』というメッセージ付き。
早いうえにそつがない。
「そんなに私が欲しいのかしら?」
女の自尊心を疼かせてくれる。
テンションが上がった。
今日はきっと、最高の一日になる!
◇カルマ視点◇
「・・・と、彼女は思っているんだろうな」
何代ものスマホを前に、カルマはほくそ笑む。
約束通りには動いている。
ただ、彼女は知らない。
気付けない。
告発されているのはなにも一葉だけではない。
彼女自身もだということを。
絶妙に影が差して、顔のない男との密会シーンが、送られていることを。
「さて? 最初に動くのはどのプレーヤーかな?」
指先でスマホの画面をなぞる。
まるで、駒を撫でるように。
彼女の高揚も、一葉の焦燥も、すべては盤上の熱。
それを冷やすのが、オレの役目だ。
駒を撫でる指先に、誰も気づかない毒が宿っていた。
◇
その告発文を読んだ誰かが、手を震わせた。
それは、盤上の熱が、初めて誰かの心を焦がした瞬間だった。
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