第50話 風雷の残響 ~吹き返し~
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──最初は、風が味方だった。
葉団扇を振るたびに、空気が裂け、カナブンの群れが吹き飛ぶ。
雷が指先から迸り、蜂の羽を焼き、カマキリの刃を弾いた。
仲間たちも、最初は動いていた。
「霞、すげぇ!」
「このまま押し切れるぞ!」
その声が、霞の背を押した。
風が応えてくれる。
雷が走る。
──勝てる。
そう思った。
だが、敵は『群れ』だった。
一匹倒しても、次が来る。
風を裂いて、雷を飲み込むような数。
そして、動きが変わった。
カマキリの刃が、風の流れを読んでくる。
蜂の針が、雷の軌道を避けてくる。
カナブンの羽音が、仲間たちの耳を狂わせる。
霞の団扇が、重くなる。
雷が、指先で暴れ始める。
風が、彼女の髪を引っ張るように乱れる。
「・・・まずい」
霞は、そう呟いた。
仲間たちの動きが鈍る。
誰かが叫ぶ。
「もう無理だ!」
「数が多すぎる!」
風が、焦りを運んでくる。
雷が、怒りを孕み始める。
霞の目が、鋭くなる。
「まだ・・・いける。まだ、風は死んでない」
そう言い聞かせて、彼女は前に出る。
でも、風はもう、彼女の背を押してくれない。
雷も、少しずつ彼女の手から逃げていく。
──押され始めた。
風が乱れ、雷が迷い、仲間たちが沈黙する。
そして、何かが崩れ始めていた。
風が、裂けた。
雷が、彼女の手から逃げた。
葉団扇が、敵の刃に弾かれ、地に落ちる。
葉隠霞は、膝をついた。
肩で息をしながら、視界の端に仲間たちの姿を探す。
──いない。
さっきまで背中を預けていたはずの彼らが、いない。
「・・・どこだよ」
霞の声は、風に飲まれて消えた。
そのとき、背後から聞こえた。
「もう無理だ。霞が囮になってくれる」
「今のうちに逃げよう。あいつなら、時間稼ぎくらいはできる」
霞は、振り返らなかった。
ただ、風がその言葉を運んできた。
雷が、その意味を焼きつけた。
──裏切られた。
まただ。
あの時と同じ。
彼を見殺しにしたあの日と、同じ。
でも今度は、自分が『差し出された』。
霞は、立ち上がる。
膝が震えていた。
でも、風が吹いた。
冷たく、鋭く、背中を切るように。
「・・・そうかい。英雄ってのは、都合のいい言葉だったんだな」
彼女の目が、赤く光る。
金のメッシュが、雷を帯びて揺れる。
風が、怒りを孕み始める。
「だったら・・・あたしが、全部壊してやるよ」
──風が、叫んだ。
雷が、彼女の血を駆け巡った。
葉隠霞の足元に、落ちた団扇が震える。
それは、彼女の意思ではなく──彼女の『気魂』に呼応していた。
霞は、立ち上がる。
その瞬間、空気が変わった。
風が彼女の周囲を渦巻き、雷が髪の先にまで宿る。
赤と金のメッシュが、まるで炎のように揺れた。
「・・・なに、これ」
霞は、自分の手を見つめる。
指先から、風が噴き出している。
雷が、皮膚の下で脈打っている。
今まで、力を『使っていた』。
でも今は、力が『彼女を使っている』。
境界が、崩れ始めていた。
仲間たちの声は、もう遠い。
敵の羽音も、もう雑音にすぎない。
霞の耳に届くのは、風の囁きだけ。
「もっと、もっと。この力は、まだ底を見せていない。お前は、もっと強くなれる」
霞は、笑った。
それは、苦笑でも、皮肉でもない。
純粋な驚きと、快感の混ざった笑みだった。
「・・・あたし、こんな力持ってたんだ。これが、あたしの本当の姿・・・」
風が、彼女の背を押す。
雷が、彼女の心を震わせる。
そして、霞はその力に酔い始める。
──覚醒への第一歩。
それは、彼女が『人』であるために保っていた制御が、静かに、確かに、外れていく瞬間だった。
──風が、咆哮した。
雷が、地を裂いた。
葉隠霞の周囲は、もはや嵐だった。
敵の羽音はかき消され、仲間の悲鳴も、もう霞の耳には届かない。
彼女の目は、ただ前を見ていた。
──その先にある、破壊の快感を。
「まだ・・・ある」
霞は、自分の胸に手を当てる。
鼓動が、雷のように打ち続けている。
風が、内側から吹き荒れている。
「まだ、奥がある。まだ、出してない。まだ、『あたし』は全部見せてない」
その言葉は、誰に向けたものでもない。
自分自身の奥底──ずっと眠っていた『何か』。
永遠に出て来るはずのなかった『何か』に向けての呼びかけだった。
「出てきていいぞ。狂ってもいい。壊れてもいい。だって、あたしは──」
雷が、彼女の背から噴き出す。
風が、彼女の足元を巻き上げる。
髪が逆立ち、赤と金が炎のように燃える。
「これが、あたしの『本当』なんだろ?」
その瞬間、彼女の瞳が変わった。
赤の中に、金の閃光が走る。
風紋が、肌の上で踊り、雷紋が腕に刻まれる。
敵が怯む。
仲間が、言葉を失う。
でも霞は、笑っていた。
「全部、出してやる。風も、雷も、あたしの狂気も──全部だ」
──覚醒への二歩目。
それは、彼女が『人であること』を手放し始めた瞬間。
風が、彼女の名を呼び、雷が彼女の心を焼き始める。
——風が、笑った。
雷が、歓喜した。
葉隠霞の中で、何かが『這い出てきた』。
それは、ずっと奥に潜んでいた。
彼女が人であるために、乙女であるために、手を出さずにいた『何か』。
常識。
理性。
躊躇い。
それらは、風の刃で切り裂かれ、雷の衝撃で粉砕された。
霞の瞳は、もう『霞』ではなかった。
赤と金が混ざり合い、その奥で、狂気が笑っていた。
「──あはっ」
最初は、小さな笑いだった。
でもそれは、風に乗って広がっていく。
雷に乗って、戦場を震わせていく。
「アハハハハハハハッ!!」
哄笑が、空を裂いた。
敵が怯む。
仲間が凍る。
誰もが、その笑いに『人の気配』を感じなかった。
笑っているのは私『?』
それとも、風の中の『誰か』?
一瞬だけ浮かんだ疑問。
それはすぐに風に吹き流された。
霞は、舞った。
葉団扇は、もはや武器ではない。
それは、風と雷を呼ぶ『呪具』となった。
一振りで、蜂の群れが、カナブンの羽が、カマキリの刃が、風に切り裂かれた。
蹂躙。
それは、戦いではなかった。
それは、祭りだった。
狂気の祭り。
風と雷が踊り、哄笑が吹き荒れる。
「これが、あたしだよ。これが、葉隠霞の『気根』だ。見てろ。全部、壊してやる」
それは、彼女の奥底に眠っていた『根』のような力。
風と雷の源であり、彼女の本質を支える『気の根』。
霞は、それを今、解き放とうとしていた。
──風が、彼女の名を忘れようとしていた。
雷が、彼女の心を焼き尽くそうとしていた。
狂気か、霞か。
その境界は、もう風に流されていた。
風は、もう背を押してくれない。
今は、彼女の足元を試すように吹いている。
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