第28話 『進み続ける』
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◇野球部◇
グラウンドに砂煙が立ちこめていた。
タイヤを引きずる音が、夕暮れの校庭に響く。
「声出せぇぇぇい!」
鬼の先輩が竹刀で地面を叩く。
その姿は、どこか“昔の漫画”のコマ割りのように見えた。
「はいっ! はいっ!」
選手たちは笑っていた。
苦しいはずなのに、笑っていた。
次はうさぎ跳びだ。
膝に砂利が食い込み、足が震える。
それでも、誰も弱音を吐かない。
「根性だ! まだいける!」
鬼の先輩の声に、選手たちが応える。
マネージャーがタオルを配って回る。
そのタオルの端に、いつの間にか『一桁の市外局番から始まる電話番号』が刺繍されていた。
昼前までは市外局番が二桁だったはずだ。
昨日はフリーダイアルの電話番号だった。
どんどんと古くなっている。
誰も気づかない。
気にしない。
バケツの水を頭からかぶる。
砂が肌に張り付き、汗が流れる。
それすらも青春の一部のように思えた。
「明日も走るぞ!」
「おう!」
夕焼けが、彼らの影を長く伸ばす。
その影は、どこか“昭和の雰囲気”を滲ませていた。
誰も気づかない。
気づく必要もなかった。
野球部はただ、昭和の青春へ向かって走り続けていた。
マネージャーの握るストップウォッチが、針式に変わっていた。
彼女の目の奥で、『誰か』が見た『昭和』がよみがえっている。
◇美術部◇
キャンバスに向かい、油絵の具を塗り重ねる。
筆先が布地をこする音が、妙に大きく響いた。
油絵の具の匂いに慣れた鼻が、むずむずする。
『絵って、こうやって描くものだっけ?』
筆を置いた一人が、眉をひそめた。
右手が、一瞬だけ“マウスをクリックする”ように指を動かす。
その癖が、もう何に由来するのか思い出せない。
描いているのはビーナスの石膏像だ。
「こんなの、教科書にしかなかったよね?」
そう思うのに、準備室から選んで運んできたのは彼女自身だった。
ニケのほうが簡単かも、と一瞬悩んだ。
でも、気づけばビーナスを選んでいた。
理由はわからない。
ただ“そうするべきだ”と思った。
油絵具の匂いが強い。
令和の美術室ではほとんど嗅ぐことのない、重たい匂いだ。
換気の術が『窓を開ける』だけなので、臭気がこもったままだった。
窓の外の光が弱く、室内はどこか薄暗い。
「ちょっと、外の空気吸ってこよう」
汚れた筆を洗うための水の入れ物を手に、美術室を出る。
廊下に出た瞬間、空気がひんやりとした。
背後の美術室から、誰かの声が聞こえた。
「……この石膏像、前からこんな顔だったっけ? もっとこう……」
返事はなかった。
ただ、油絵具の匂いだけが、廊下まで流れてきた。
◇同好会◇
同好会のメンバーは、校庭の隅で草をむしっていた。
全部抜いたら、体育館の使用許可がもらえるのだ。
「これ、なんかおかしくね?」
誰かがぼやく。
違和感があった。
だが、手は止まらない。
止める理由もなかった。
その体育館では、別の同好会が床を磨いていた。
ワックスの匂いが強い。
今どきの学校ではほとんど嗅ぐことのない匂いだ。
「終わったら、商店街の荷物運びも頼まれてるってよ」
「へぇ……なんか、昔の漫画みたいだな」
そう言いながらも、誰も違和感を深く追及しない。
汗を拭ったタオルの端に、個人名入り商店の店名”が刺繍されていることにも気づかない。
同好会はただ、活動を続け部に昇格するために働き続けていた。
◇金儲け組◇
通貨を探し続けていた。
誰も声をかけない。
お互いがライバルで、敵で、障害だった。
会話は失われていた。
顔を合わせることもない。
挨拶なんて、とうの昔に消えていた。
ひたすら通貨のありそうな場所に潜り込み、なければ次へ移動する。
その繰り返し。
表情がなくなっていく。
行動が均一化していく。
歩き方も、視線の動かし方も、まるで“同じ人間”が複製されたようだった。
名前が失われていく。
呼ぼうとしても、喉の奥で音が消える。
思い出そうとしても、輪郭がぼやける。
“あいつ”
“あの人”
“誰か”
そんな言葉だけが残った。
通貨を拾う音だけが、静かな校舎に響いていた。
ひとり、またひとり。
数が減って、影と足音が増えていく。
◇生徒会◇
生徒会は階段を降りていた。
校舎の空気が、昨日より少しだけ重い。
「……なんか、変じゃないか?」
誰かが呟く。
だが、その“変”が何を指すのか、
誰も言葉にできなかった。
廊下の奥で、笑い声がした。
鉱石ラジオから流れてきたような、ノイズ入りの古い笑い声。
振り返ったときには、もう誰もいなかった。
ほんの一瞬だけ、廊下の蛍光灯が“白熱灯の色”に揺れた。
誰も気づかなかった。
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