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『使い捨てられた補助スキル持ち、迷宮の主になって制服妖怪と学園祭を始める』  作者: 葉月奈津・男
学園祭編

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第16話 『肖像』

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 美術室は、朝の光が斜めに差し込んでいた。

 石膏像の白さがやけに強く、静けさが空気を固めているようだった。


 その一角で、美術部の女子が鏡を前に腰を下ろしていた。

 鏡の中の自分と、キャンバスの白とを、真剣な目で何度も往復する。


「……もう少し、目が眠そうかな」


 小さく呟きながら鉛筆を走らせる。

 線は迷いなく伸びていくが、どこか慎重さも滲んでいた。


 鏡の中の彼女は、じっとこちらを見返している。

 光の角度で表情が変わるたび、彼女は手を止めては、また描き足した。


「ダンジョンの中で自画像って、なんか変な感じ……」


 そう言いながらも、手は止まらない。

 描くという行為が、緊張を忘れさせてくれるのだろう。


 ふと、鏡の奥で何かが揺れた気がした。


 彼女は眉を寄せて鏡を覗き込む。

 だが、そこに映っているのは自分だけだ。

 いつも通りの、少し気だるげな顔。


「……気のせい、だよね」


 そう呟いて、また鉛筆を動かし始める。

 紙の上に、彼女自身の輪郭がゆっくりと浮かび上がっていく。


 ただ、鏡の中の『彼女』は、ほんのわずかに口角を上げていた。

 描いている本人が、まだ描き込んでいない表情で。


「できた」


 書き上げた瞬間、彼女は満足げに息を吐いた。

 だが、その眉がすぐに寄る。

 キャンバスには確かに『顔』が描かれている。

 鏡を見ながら描いた、自画像のはずだ。


 なのに――。


 首がゆっくりと傾いた。


「……これ、誰?」


 思わず声が漏れる。

 そこにあるのは、自分ではない。

 輪郭も、目の形も、口元の癖も違う。

 見たことのない顔だ。


 鏡を覗き込む。

 鏡の中の自分は、いつも通りの顔をしている。

 だが、キャンバスの中の『誰か』は、こちらを見返していた。

 描いた覚えのない表情で。


 彼女は、心理的に一歩だけ後ずさった。


「えっと……直さないと」


 自画像を描く課題なのだから、直すしかない。

 彼女は消しゴムを握り直し、少しずつ線を薄くしていく。

 描き直すたび、紙の上の『誰か』がゆっくりと消えていく。


 でも、なんだろう?

 消しゴムを持つ指先が、ビニール手袋をしているような、妙な『距離』を感じた。


 鏡を見て描いたのがいけなかったのだろうか。

 今度は見ない。

 覚えている自分の顔を、記憶の中から拾い上げていく。


 少しずつ、少しずつ。

 輪郭が整い、目の形が変わり、口元の癖が戻っていく。

 紙の上の人物は、確かに『自分』へと近づいていった。


 だが――。


 ふと視線を上げたとき、鏡の中の顔が変わっていた。


 さっき描いた『知らない誰か』の顔。

 紙の上から消したはずの、あの表情が、鏡の中でこちらを見ている。


 彼女は息を呑んだ。

 鏡の中の『それ』は、ゆっくりと口角を上げた。

 今、描いている自分の顔とは違う、見たことのない笑い方で。


 手が止まる。

 鉛筆の先が、紙の上で震えた。


「……なんで」


 鏡の中の『誰か』は、まるで描き直されるのを待ち望むように彼女の動きをじっと見つめていた。


 絵は完成した。


 キャンバスには、よく知っている『自分』の顔があった。

 目の形も、口元の癖も、描き慣れた自分そのものだ。


『よかった。直せた』


 胸の奥で、ほっと息がほどける。

 さっきの『知らない誰か』は、もうどこにもいない。

 そう思った。


 なのに――。


「……これ、誰?」


 口から漏れた声に、彼女自身が一瞬固まった。

 自分の声ではない。

 聞いたことのない、低くて冷たい声だった。


 絵の中の『人物』は、自分ではない――

 その声は、そう告げていた。


 彼女は反射的にキャンバスを見つめ直す。

 そこには確かに『自分』が描かれている。


 どこも違わない。

 どこが違うと思ったのだろう?

 わからない。


 背筋がひやりとした。


 鏡のほうを見た。

 鏡の中の『人物』が、ゆっくりと首を傾けていた。

 キャンバスの中の『自分』とは違う角度で。

『実像』と同じ角度で。


 彼女の喉が、乾いた音を立てた。


 ・

 ・

 ・


 水彩絵の具をたっぷりとつけた筆が、キャンバスを撫でる。

 そのたびに、絵の中の『誰か』の表情が鮮やかになっていく。


 驚いたり、泣いたり、なにかを諦めたように真顔になったりする。


「あなたの『肖像画』は、どこかの教室で展示されるわ。きっと、永遠に」


 絵のように平らな笑みを浮かべて、『彼女』は筆を置いた。


 ◆


 『彼女』には見えていた。

 絵で見た『女』が、『私』の道具を使って絵を描いている。


 違う。


 『私』を仕上げている。


 筆が、色を置いていくたびに、うっすらと意識に色がついていく。

 ぼかしたような思い出が浮かび上がって、『私』に重なっていく。


 それで気付く。


 『私』が、絵に移し替えられていることに。


 『私』は今、絵になっている。

 動けない、見ていることしかできない。


 返して。


 『私』の『体』を。


 絵になっていることに驚き、泣き叫びたくなる。

 だけど、動けないし、声も出なかった。


 『私』は絵になったのだ。


 なら、『私』が書いた『彼女』は誰?


 なら、『私』を描いている『彼女』は誰?


「あなたの『肖像画』は、どこかの教室で展示されるわ。きっと、永遠に」


 『彼女』が穏やかに告げてくる。


 絶望が、塗り込められた。



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