第10話 『白くなる』
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作業は終わりに近づいていた。
土を起こし、肥料を入れ、畝を作り、種を撒く。
あとは水をやれば、ひと段落。
そのとき、一人の男がふと顔を上げた。
眉を寄せ、小さく首をひねる。
……静かだった。
一切の会話が聞こえない。
小さな息遣いすら感じられない。
不平が出ない。
無意味な笑いがない。
呼吸が揃っている。
「な、なぁ……ここ、いつもこんなに静かなのか?」
怖くなって、近くの者に声をかけた。
服装からして仲間ではない。
元からいた“誰か”だ。
「……」
返事はない。
聞こえなかったのか?
反応がない。
「おい!」
無視はよくない。
男は声を荒げ、服をつかんで顔を上げさせた。
「ひっ!」
喉が引きつった。
悲鳴は出ない。
息が詰まっただけだ。
恐怖だった。
「……」
顔を上げさせた相手は、こちらを向いている。
向いているはずなのに――“見ている”とは言えなかった。
目がなかった。
鼻はうっすらとした盛り上がり。
口はどこにもない。
「うわっ!」
顔がない。
そう気づいた瞬間、背中がのけぞる。
こちらを向いているはずなのに、どこを見ているのかわからない。
わからないのに、視線だけは感じる。
「ひいッ!」
男は尻もちをつき、這うようにして逃げた。
どこへ逃げるのかもわからない。
ただ、最も近い“逃げ場所”へ向かった。
見覚えのあるローブ。
畑仕事でも脱ぐことを拒んでいた“あいつ”。
ローブに、妙なアイデンティティを求めた。
個性ある仲間。
「お、おい!」
縋るように駆け寄り、ローブの裾をつかむ。
「こ、ここにいたやつら……おかしいぞ!」
必死の訴え。
本気の警告。
「……」
返事はない。
聞こえないはずがない。
「お、おい……」
予感はある。
だが、認めたくない。
顔を覗き込む。
あるはずのものを探す。
「ッ!」
息を呑む。
探し物は――なかった。
「ひっ、ぃぃぃ……」
震えながらローブを離し、ゆっくりと後ずさる。
男は気づかなかった。
この時すでに、“探し物の形”を覚えていなかったことに。
「う、うわっ……」
後ずさりながら視線を彷徨わせる。
誰も、こちらを見ていない。
“目”は向けられていない。
なのに、なぜか“注目”されている気がする。
感情のない“目”を向けられている感覚。
自分だけが“異端”になっている怖さ。
「うわぁぁぁぁっ!」
男は駆けだした。
「はぁ……はぁ……」
走り続け、目についたトイレへ飛び込む。
蛇口を全開にする。
冷たい水を両手に受け、顔に浴びる。
「な、何が……」
頭が冷えてきて、呟きが漏れた。
ゆっくりと顔を上げる。
鏡があった。
何かが映っている。
「……」
見つめる。
違和感がある。
何かが足りない。
「あ!」
目と鼻と口がないと気づく。
息が止まった。
呼吸も忘れ、鏡と見つめ合う。
肩の上の丸いものが、傾いた。
「俺……どんな顔してた?」
困惑が広がる。
「……というか、顔ってなんだっけ?」
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丸いものの傾きが大きくなる。
鏡の中の丸いものが、傾いたままそこにある。
「……」
“ソレ”は無言でそこにあった。
その腕を、“男”が引いた。
ぬと、ぬと……
湿った足音。
泥まみれの手が伸び、“ソレ”の腕を引く。
“男”は表情のない顔を、“ソレ”の肩の上の丸いものに近づけた。
しげしげと見つめ――笑った。
その“顔”は、かつて“ソレ”の丸いものにあったものに似ていた。
“ソレ”は“男”とともに農場へ戻った。
「おかえり」
みずほが迎える。
彼女の後ろには、“顔”のある泥が立ち並んでいた。
その先で、“顔”を失った農夫たちが新しい畑を耕している。
“ソレ”も仲間に入っていく。
「服も剥がないといけないのかしら?」
“顔”のある泥たちは服を着ていない。
だが、顔があり、体もできるだろう。
服が必要になるかもしれない。
「面倒ね」
みずほは気だるげに息を吐いた。
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