第185話 夢語り ~けじめの先に見えたもの~ 中編
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袋小路。
逃げ場はない。
命と欲望が、静かに交差する。
魔法が炸裂した。
炎が生徒の体を包み、爆風が通路を震わせる。
教師は一歩下がり、煙の奥を凝視した。
そして——生徒は立っていた。
箱を抱えたまま、壁を背にして。
まるで、炎など触れもしなかったかのように。
「……魔法耐性か?」
教師の呟きが、煙の中に溶ける。
だが、生徒の肩から、赤い滴がひとつ落ちた。
その音が、やけに大きく響いた。
剣が振り下ろされる。
金属が肉を断つ鈍い感触が、教師の腕に伝わる。
だが、生徒は動かない。
ただ、箱を抱え直しただけだった。
傷口が、瞬時に閉じていく。
皮膚が再生し、血が引き、肉が繋がる。
その過程はあまりに滑らかで、あまりに静かで——
まるで、生き物の治癒ではなく、『別の何か』の動作のようだった。
教師の喉が、わずかに鳴る。
恐怖か、興奮か、自分でも判別できないまま。
生徒は、ただ立っていた。
箱を抱え、煙の中で、無表情のまま。
その姿は、もはや『生徒』ではなかった。
けれど——その瞳は、揺れていた。
痛みは、確かにある。
肉体は平然と再生しても、精神は削られていく。
傷つき、治り、また傷つく。
そのたびに、心のどこかが軋み、ひび割れていく。
「……痛いよ」
誰にも届かないほど小さな声。
それでも、一葉は立っていた。
逃げない。
渡さない。
守るために、ただ耐える。
教師は剣を構え直した。
だが、その手に、わずかな迷いが走る。
——なぜ、そこまでして守る?
袋小路。
一対一。
命と意志が、静かにぶつかり合う。
剣が振り下ろされる。
攻撃の意図が、ためらいなく形になる。
血が床に落ちる。
そして、瞬時に傷が塞がる。
その光景が、何度も繰り返される。
魔法。
剣。
痛み。
再生。
教師は攻撃を重ねた。
だが、一葉はただ立ち続けていた。
箱を抱えたまま、壁を背にして。
逃げず、倒れず、ただ耐える。
その姿は、もはや『守られる側』ではなく、『守るために壊れていく側』だった。
教師の手が、ついに止まった。
剣を握る指が、わずかに震えている。
「……なぜ、そこまでする?」
その問いは、ようやく声になった。
教師自身が、答えを知りたかった。
理解できなかった。
命を削ってまで守る理由が。
一葉は、前髪の奥からゆっくりと目を上げた。
その瞳は、静かに濁っていた。
けれど、その奥には確かな光が宿っていた。
痛みに削られ、再生に歪められ、それでも消えない光。
それは——
自分の命よりも大切なものを抱えている者の目だった。
「……おまえ……」
正体を知った瞬間、教師の顔から血の気が引いた。
その動揺を、一葉はまるで見ていないかのように無視した。
「けじめだからよ」
声は低く、しかし揺るぎなかった。
「命や傷、痛みを——お金に換算していた。そんな自分への、けじめ」
教師の目が、わずかに揺れる。
一葉は、かつて『エリクサー』を作っていた。
命を救う薬。
だがその裏で、横流しをしていた。
高値で売り、流通を操作し、命を『商品』に変えた。
その罪を、誰も裁けなかった。
法律では届かない。
だが——自分自身は、逃がさなかった。
妖怪となった一葉。
回復魔法と妖怪化の再生能力で、傷は瞬時に癒える。
だが、痛みは残る。
肉体は治っても、神経は焼ける。
心は削れ続ける。
「痛みは消えないけど、意味はあるの」
一葉は微笑んだ。
それは苦笑で、どこか壊れかけていた。
それでも確かに、『人間』の表情だった。
袋小路。
血の匂い。
再生する肉体。
削れていく魂。
教師は、剣を下ろした。
その手には、もう力がなかった。
「痛みは消えないけど、意味はあるの」
一葉の声が、袋小路に静かに響く。
その言葉に、教師の手が震えた。
魔力も、怒りも、もうそこにはない。
ただ、理解できない現実と、目の前の存在への畏怖だけ。
「……借金のためだったな」
教師の声は、かすれていた。
その言葉には、責める色はなかった。
ただ、事実を確かめるような、弱い響きだけがあった。
一葉は答えない。
箱を抱えたまま、壁を背にして立っている。
その姿は、守られる者ではなく——
自分の罪を背負い続ける者だった。
教師は視線を落とした。
床に広がる血の跡。
何度も再生されたはずの傷。
だが、痛みは消えない。
それを、一葉は何度も、何度も——耐えていた。
その痛みこそが、彼女の『けじめ』だった。
「……良かれと思って、だったんだ」
教師の声は、迷宮の石壁に吸い込まれるように消えていった。
その響きには、後悔とも言い訳ともつかない濁りがあった。
「君が、人生を買い戻すために。だから横流しを提案した。誰にも迷惑をかけずに、効率よく稼げる方法だと……本気で、そう思っていた」
一葉は静かに目を閉じた。
その瞳の奥で、過去が揺れる。
両親が残した借金。
誰も助けてくれなかった現実。
だから、自分で返すしかなかった。
命を救う薬を作り、命を金に変えた。
それが、自分の人生を買い戻す唯一の方法だと信じていた。
「でも、違ったのよ」
ぽつりと落とした声は、痛みよりも静かだった。
「命を金に換えることは、命を軽んじることだった。だから、今こうして——痛みで、けじめをつけてる」
自分の体を見下ろし、小さく笑う。
その笑みは壊れかけていたが、確かに『人間』の表情だった。
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