第184話 夢語り ~けじめの先に見えたもの~ 前編
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逃げ惑う生徒たちの波の中で、
ひとりだけ、流れを断ち切るように逆走する影があった。
大きな荷物を抱え、迷いのない足取りで通路を駆け抜ける。
仲間の叫びも、教師の怒号も、まるで耳に入っていない。
その背中だけが、異様なほど静かだった。
教師たちの視線が、吸い寄せられるようにそこへ集まる。
「……あれ、記録持ってるか?」
「いや、違う。あんなデカブツ、記録装置じゃねぇよ。今どき、あんなの使わねぇ」
「じゃあ囮だ。無視しろ。狙うのは記録だ」
判断は迅速だった。
だが、その『迅速さ』の奥に潜むものは、冷静さではない。
——欲望。
記録装置という名の『報酬』に群がる、教師たちのむき出しの本音。
生徒の命より成果。
正義より実績。
その荷物が何であれ、彼らにとって価値はなかった。
ただ一人を除いて。
「……万一のこともある。俺は一応、後を追ってみる」
声は平静を装っていた。
だが、喉の奥に微かな熱が滲む。
心の底では、別の声が囁いていた。
——もし、あの荷物が『俺の予想通り』なら。
——もし、あの生徒が『それ』を持っているのなら。
——もし、それを手に入れられるのが『俺だけ』なら。
他の教師たちは顔を見合わせ、短く頷いた。
誰もが気にはしていた。
だが、優先すべきは『記録』。
そして、誰もが心のどこかで思っていた。
——誰かがやってくれるなら、それでいい。
『記録』さえ地上に持ち出させなければ、目的は果たされる。
教師は静かに通路へ踏み出した。
足音を殺し、魔力の気配を深く沈める。
だが、胸の奥では、抑えきれない熱が脈打っていた。
——俺だけが、手に入れる。
——俺だけが、知る。
——俺だけが、勝つ。
迷宮の空気が、ひやりと肌を撫でた。
その冷たさは、欲望が生む熱と、死の気配が交差する前触れだった。
「……何を運んでいる?」
教師の声は、刃物のように細く冷たかった。
生徒は答えない。
ただ、箱の上にそっと手を置く。
その仕草が、逆に不気味なほど落ち着いていた。
通路の奥。
逃げ場のない、閉ざされた空間。
教師と生徒が向かい合う。
一対一。
沈黙が、壁よりも重く立ちはだかる。
言葉も、魔法も、まだ動かない。
ただ、空気だけが張り詰め、肌にまとわりつく。
「これが『なに』かは知っているはずよ」
前髪に隠れた顔の奥から、声だけが滑り出る。
怯えも迷いもない。
あるのは、冷たい挑発と、どこか諦観に似た静けさ。
「欲しいから、追ってきたのでしょう?」
「……」
教師の目が、わずかに細くなる。
その箱の中身——『エリクサー』。
死者を蘇らせる、命の極限を覆す秘薬。
売れば大金。
使えば安全。
奪えば、未来が変わる。
だからこそ、教師は一人になってまで追ってきた。
「……何が望みだ?」
声は低く濁り、喉の奥に殺意が沈んでいる。
だが、それを悟らせまいとするように、静かに一歩踏み出す。
生徒は動かない。
箱を抱えたまま、壁を背にして立ち尽くす。
その姿は、追い詰められた獲物ではなく、
むしろ——罠を仕掛けた側の者に近かった。
「けじめ、かな?」
小首を傾げる。
その仕草は妙に柔らかく、しかし底に冷たい影を落としていた。
内心で、生徒は思う。
——カルマも、こんなふうに首を傾げていたな。
自分はカルマにとっての『イレギュラー』。
彼が妖怪化を意図していない段階で、勝手に妖怪となって現れてしまった存在。
自分の罪と向き合う。
そのためだけに、ここに立っている。
カルマは悔しがっていた。
『どうせ妖怪化はしただろうけどっ! 勝手に出てくるなよ!』
そんなふうに。
その悔しさを思い出すたび、胸の奥がじんと熱を帯びる。
それは後悔か、決意か、あるいは——別の感情か。
生徒は箱を抱きしめるように腕を強めた。
その動きに、教師の目がわずかに揺れる。
迷宮の空気が、さらに冷たくなる。
二人の間に漂う熱と殺意が、静かに交差した。
「……なんにせよ」
教師の声色が変わった。
それは、理性の皮を静かに剥ぎ取った後に残る『本音』の声だった。
迷宮の石床に、教師の足音が重く響く。
その一歩一歩が、生徒の鼓動を代わりに刻んでいるかのようだった。
「渡す気はない……か」
杖に触れた指先が、わずかに震える。
魔力が空気を押し広げ、通路の温度がひとつ下がる。
「——お前に、価値はない」
その言葉は、刃より冷たかった。
命を薬の価値で測る者の、迷いなき宣告。
そして今、目の前の命を切り捨てようとしている者の声。
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