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『使い捨てられた補助スキル持ち、迷宮の主になって制服妖怪と学園祭を始める』  作者: 葉月奈津・男
R15版。暴力・性的ニュアンスありバージョン

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第173話 宴(校長視点) ~逸らし続ける~

3/3

 


 宴のざわめきが、遠くから波のように届いてくる。

 その音を、校長は高所から見下ろしていた。


 ダンジョン内に設けられた中継拠点の見張り台。

 本来は警戒と通信の監視のための場所。

 だが今、そこに立つ者は彼一人だった。


 教師たちは下で浮かれ、杯を交わし、笑い声を響かせている。

 彼はそこに加わらなかった。

 加われなかった。


 手すりに肘をつき、彼は静かに宴を見下ろす。

 その目は、笑い声の先ではなく、もっと遠くを見ていた。


 数字の羅列。

 予算案。

 報奨金の配分。

 成功報告書の草案。


「世界初の快挙」その言葉が、どれほどの金を動かすか。

 どれほどの名声をもたらすか。


 杯を掲げる理由は、十分にあった。


 だが、彼の胸に湧き上がるのは、熱ではなく、冷えた空洞だった。


 かつて、息子がいた。

 優秀で、誠実で、未来を託せると思った。

 だが、ダンジョンに呑まれ、帰らなかった。


 その死の報せから間もなく、一人の女が現れた。

「彼の子を身ごもっています」そう言った女を、彼は見なかった。

 聞かなかった。

 認めなかった。


 彼に残されたものは、金と肩書きだけだった。

 それで十分だと、何度も自分に言い聞かせていた。


 だが、宴の喧騒を見下ろすこの高さが、どこまでも孤独であることに、彼は気づいていた。


 ずっと、目で追っていた。

 駆馬を。


 意識していないつもりだった。

 ただ、気になるだけ。

 ただ、目に入るだけ。

 ただ、視界に残るだけ。


 だが、その『ただ』が、周囲に歪んだ波紋を広げていた。


 教師たちは気づいていた。

 校長の視線が、あの少年にだけ向いていることを。


 それは『期待』ではなかった。

『監視』とも違った。

 もっと曖昧で、もっと重いもの。


 だからこそ、教師たちはカルマを避けた。

 生徒たちは、教師の態度を真似た。

 誰もが、カルマを『触れてはいけない存在』として扱った。


「校長が見てるから」その言葉は、誰にも口にされなかった。

 でも、誰もが知っていた。


 彼は、知っていた。

 カルマが孤独に沈んでいくことを。

 自分の視線が、その原因であることを。


 だが、認めなかった。

 認めてしまえば、『父親』としての自分が死ぬからだ。


 だから、彼は『処理』を選んだ。


「駆馬に重要な役割を担ってもらう。『武器』になってもらう」


 その案が出たとき、誰もが一瞬ためらった。

 だが、校長だけは頷いた。


 それは合理的な判断だった。

 戦術的な選択だった。

 そして、感情的な逃避だった。


『苦しいなら、いっそ消してしまおう』

 その思考は、静かに彼の中に沈んでいた。


 誰にも見せず、誰にも語らず。

 ただ、決裁印だけが、彼の意志を代弁した。


 カルマは『武器』になった。

 誰も疑問を持たなかった。

 それが『校長の判断』だったから。


 見張り台の上、校長はまたグラスを傾ける。

 酒の熱が、胸の冷えを誤魔化してくれる。

 それだけが、彼の慰めだった。


「……あの子は、もう消えたか?」


 その呟きは、風に溶けて消えた。

 だが、迷宮は聞いていた。

 その言葉が、どれほど冷たく、どれほど重かったかを。


 校長の部屋の金庫には、一通の封筒が眠っている。

 厚手の紙に、古びたインクで書かれた遺言書。

 その筆頭には、たった一つの名前が記されている。


 ——駆馬。


 彼は、その名を記した記憶を持っていない。

 いや、正確には『思い出さないようにしている』。


 あの夜、酒に酔い、誰にも見られぬように書き上げた。

 それは、感情を整理するための行動だった。

 ただの『整理』。

 そう思い込んでいた。


 だが、時折ふと、夢に見る。


 あの女が、雨の中で立ち尽くしていた姿を。

「この子は、あなたの孫です」そう言って差し出された手を、彼は見なかった。


 見なかったはずだった。

 けれど、なぜか覚えている。

 その手が、震えていたことを。

 その目が、何かを訴えていたことを。


「もし、あの時——」


 校長は、グラスを置いた。

 酒の熱が、胸の奥で冷えていく。


 駆馬の名を、彼はずっと見ていた。

 見ていたのに、何も与えなかった。

 何も語らず、何も残さず。

 ただ、『武器』として戦場に配置した。


 それが、彼なりの『けじめ』だった。

 過去との決別。

 そして、責任の取り方。


 そう思っていた。


 だが今、その『けじめ』が、彼の喉を締めつけていた。


「……やれやれ、まったく」


 校長は、見張り台から視線を落とす。

 宴の灯りが揺れていた。

 その奥に、かつての自分がいた。

 そして、今の自分がいる。


 だが、あの子はもう、そこにはいない。

 彼の視線の届かない場所へと、流れていった。


 ……そのはずだった。



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