第161話 最後の10人② ~凍てつく想い~ 後編
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◇魔法使いの少女(断末魔)◇
——ああ、また……届かなかった。
まただ。
また、わたしは間に合わなかった。
いつも、そう。
あと一歩。
あと一瞬。
あと一言。
その『あと』が、永遠に埋まらない。
でも、今回は違ったはずだった。
今度こそ、誰かを守れるって、思ったのに。
そう信じてたのに。
……なのに。
せめて、誰かが逃げられるように。
せめて、誰かが生き残れるように。
せめて、わたしの死が、意味を持つように。
だから、手を伸ばす。
砕けた骨が悲鳴を上げても、潰れた肺が空気を求めて潰れても、この手だけは、誰かに届いてほしい。
——燃やすだけが、火じゃない。
わたしの火は、怒りで燃える火じゃない。
優しさで焼け焦げた火。
後悔でくすぶり続けた火。
小さな灯りをともすこと。
凍えた心をあたためること。
暗闇の中で、道を照らすこと。
それが、わたしの火。
それが、わたしの『魔法』。
でも、届かなかった。
また、誰かを見捨てた。
また、誰かを失った。
だったら、せめて——わたしの火で、全部焼き尽くしてやる。
この氷も。
この空間も。
この絶望も。
この世界も。
わたしが届かなかったすべてを、焼き尽いて、焦がして、痕を残す。
そうすれば、きっと。
誰も、わたしを責められない。
誰も、わたしを忘れられない。
誰も、わたしを置いていけない。
だから、最後にもう一度だけ。
この手が、誰かの夜を照らせますように。
この火が、誰かの心に焼きつきますように。
——お願い。
お願い、お願い、お願い。
今度こそ、届いて。
その言葉が、空気に溶けた瞬間だった。
天井の氷柱が、わずかに揺れた。
誰にも気づかれないほどの微かな震え。
けれど、それは死の予兆だった。
少女の体に、影が落ちる。
青黒く、冷たく、重い影。
それは、天井から伸びた『氷の牙』の輪郭。
彼女の小さな背を、頭を、手を、静かに覆っていく。
彼女は気づいていた。
でも、動けなかった。
祈りの言葉を放った直後、その手は、まだ誰かに向かって伸びていた。
そして——
ズンッ。
空気が潰れた。
音が消えた。
氷柱が、真っ直ぐに、彼女の背へと突き刺さった。
骨が砕ける音はなかった。
肉が裂ける音もなかった。
ただ、重さだけが、すべてを押し潰した。
氷柱は、彼女の身体を貫いたのではない。
押し潰した。
圧した。
埋めた。
まるで、祈りごと、願いごと、命ごと、封じ込めるように。
氷の山が、静かに積もっていく。
その上に、赤い霧がふわりと広がった。
それは、彼女の火。
最後の灯り。
それは、確かに、誰の目にも焼きついた。
◇
蒼い影が、大きく広がった。
まるで、空そのものが彼女を覆い隠すように。
氷柱の落下は、静かな処刑だった。
誰も叫ばなかった。
彼女自身も、声を出さなかった。
動くべきだった。
逃げるべきだった。
でも、彼女は動かなかった。
——いや、動けなかったのではない。
動かないことを選んだのだ。
彼女の魔法は、すでに完成していた。
最後の詠唱は、誰にも聞こえなかった。
けれど、確かに届いていた。
剣士の男の胸元に、ほのかな温もりが灯った。
それは、冷気を遮る『守り火』。
凍結系魔法への耐性を強化する、小さな魔法。
効果は、ささやかだった。
戦況をひっくり返すほどの力はない。
けれど、命を繋ぐには十分だった。
彼女は、自分の命と引き換えに、その魔法を選んだ。
誰かが生き残るために。
氷塊が彼女を押し潰す直前、その魔法は、剣士の胸元でふわりと灯った。
まるで、彼女の手が、そこに触れたかのように。
その行動に気づいた者は、二人。
一人は、魔法を受け取った剣士の男。
彼は、胸元の温もりが、彼女の命であることを理解していた。
だから、拳を握った。
だから、目を逸らさなかった。
もう一人は、霜月フラノ。
◇氷の心(フラノ視点)◇
彼女は、氷柱の落下を見届けながら、ほんの少しだけ、首をかしげた。
それは、冬の静けさに宿る、小さな愛嬌。
けれど、その動きには、冷たさと、わずかな『敬意』が混ざっていた。
「……ふぅん」
氷柱が落ちた。
ひとりだけ、潰れた。
音もなく、静かに。
まるで、最初からそこにいなかったかのように。
任意で落とせるとはいえ、場所までは選べない。
それなのに、あまりにも正確だった。
まるで、狙ったように。
まるで、『選ばれた』かのように。
「……運が悪かった、だけ?」
フラノは、ぽつりと呟いた。
けれど、その声には、確信を揺るがす何かが混ざっていた。
目を細める。
まぶしいわけじゃない。
ただ、焼きついた光景が、まぶたの裏にこびりついて離れない。
少女が最後に伸ばした手。
それは、誰かを守ろうとしたものだった。
自分の死を知りながら、それでも差し出された手。
その手が放った魔法。
激しい炎ではない。
爆ぜる火球でもない。
ただ、じんわりと灯る『守り火』。
「……あんな魔法、よく通したわね」
フラノは、氷柱の山を見つめた。
その奥に、もう姿はない。
けれど、空気の温度が、ほんの少しだけ違っていた。
冷気の中に、わずかな温もりが残っていた。
それは、魔法の残滓。
彼女の『意志』の燃えかす。
「……火のくせに、消えるのが遅いわね」
その声は、冷たかった。
けれど、どこか、苦く、遠い記憶をなぞるような響きがあった。
彼女の魔法が、誰かを守る。
その可能性を、フラノは見てしまった。
火が、氷を溶かす瞬間を。
だから、フラノは目を伏せた。
まつげに、霜が降りる。
けれど、心の奥に、ほんのりとした熱が触れた気がした。
それが、痛かった。
だから、彼女はもう一度、目を細めた。
その熱を、見ないようにするために。
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