第159話 最後の10人② ~凍てつく想い~ 前編
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「え、『エリクサー』さえ出せれば!」
それが、命を繋ぐ最後の希望だった。
一葉は、迷わず後方へと跳ね退く。
戦闘空間から距離を取り、大型のアイテムボックスを展開する。
中にはある。
確かにある。
万能蘇生薬——『エリクサー』。
肉体が残っていれば、まだ間に合う。
死後でも、魂が完全に離れていなければ、引き戻せる。
それが、このアイテムの『奇跡』だった。
「……よし、出して、すぐに使う……!」
震える手で、ボックスに触れる。
だが——
カチリ。
「……あれ?」
開かない。
ロックがかかったように、蓋がびくともしない。
もう一度、力を込める。
だが、反応がない。
「なんで……?」
指先が、かじかんでいた。
感覚がない。
まるで、氷水に突っ込んだように、じんじんと痺れている。
「ま、まさか……?」
恐る恐る、目を向ける。
アイテムボックスの表面が、白く霜に覆われていた。
金属の継ぎ目には、氷の筋がびっしりと張りついている。
「うそ……」
開けようとするたび、指が滑る。
力が入らない。
焦れば焦るほど、手が震える。
「開いて……お願い、開いてよ……!」
何度も何度も、蓋に手をかける。
だが、開かない。
冷たさが、指先から腕へ、肩へと這い上がってくる。
目の前が、真っ白になった。
それは、絶望の白。
凍てついた現実が、視界を覆っていく。
背後では、戦闘の音が続いている。
誰かが叫ぶ声。
誰かが倒れる音。
誰かの魔法が、空間を焼く音。
でも、一葉の世界には、もう何も届かない。
ただ、凍ったボックスの前で、立ち尽くす自分の姿だけがあった。
「ボス部屋からは逃げられない。常識だよ?」
「なっ?!」
眼鏡をかけた制服女子が後方にいた。
見覚えのある顔。
でも、目が笑っていない。
彼女は、制服を着ていた。
それは、かつての『日常』の名残。
けれど、誰もが気づいていた。
その布地は、もう『生者のもの』ではない。
スカートの裾から覗く脚は、白く、細く、冷たい。
まるで、雪に埋もれていた遺体のように、血の気を失っていた。
けれど、そこにあるのは『死』ではない。
凍結されたまま、動き出した『何か』だった。
人間じゃない!
「させるか!」
『火』魔法が飛んだ。
眼鏡女子が下がって、距離を置いた。
「そいつもネームドだ! 『つらら女・霜月フラノ』!」
鑑定持ちが叫ぶ。
そうだろうとは思ったけど、やっぱりそうだった!
一葉が急いで退避した。
「おやおや、危ないなぁ」
眼鏡女子——フラノが呟いた。
呟きというには大きな声だった。
思わず、だった。
視線が集まったのだ。
すると、フラノは上を見上げていた。
「氷柱って、落ちるんだよ?」
「なっ!」
天井に、びっしりと氷柱が生えていた。
無数の円錐が、逆さまの墓標のように、先端を下に向けて静かに並んでいる。
それは、ただの氷ではなかった。
光を吸い込むような青白さ。
表面には、誰かの指先で引っかいたような細い傷跡が無数に走っている。
まるで、落ちる前から、何かを刻みつけているかのように。
一本一本が、人間の足ほどもある。
だが、太さも長さも、『足』というより『杭』に近い。
打ち込まれるために存在する、儀式の道具のようだった。
そして、何よりも恐ろしいのは——それらが、音もなく、微かに揺れていることだった。
風などない。
誰も触れていない。
それでも、氷柱たちは、わずかに、わずかに、『落ちる準備』をしているように揺れていた。
その下に立つ者たちは、気づいていた。
頭上にあるのは、ただの氷ではない。
『いつ落ちるか分からない死』そのものだと。
一歩踏み出すたび、一つ魔法を放つたび、一つ息を吐くたび、そのどれかが、引き金になるかもしれない。
「ひっ……!」
誰かの喉から、かすれた悲鳴が漏れた。
その瞬間、空気が変わった。
肺の奥まで凍りつくような冷気が、空間を満たしていく。
雪国生まれ、雪国育ちの者なら、知っている。
蒼く澄んだ氷柱ほど、鋭く、重く、致命的であることを。
氷柱は、ゆっくりと育つ。
夜の冷えに、少しずつ、少しずつ。
水が凍り、積み重なり、やがて、人の命を貫くに足る質量と鋭さを持つ。
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