第158話 最後の10人① ~傘を差す女~ 後編
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レイドリーダーの声が響く。
気合を入れ直し、最終戦力が構えた。
武器を握り直す者。
魔力を練る者。
祈る者。
目を閉じる者。
そして、ひよりは動かない。
傘の下で、ただ静かに立っている。
まるで、彼らの覚悟を見定めているかのように。
風が吹いた。
傘が揺れた。
その影が、床に広がる。
影の中から、何かが這い出してくる。
黒く、細く、濡れた腕のようなものが、床を撫でる。
それは、彼女の『本体』なのか。
それとも、彼女が『呼び寄せたもの』なのか。
誰も、確かめる余裕はなかった。
「……来るぞ!」
誰かが叫んだ瞬間、空間が、ひび割れたように揺れた。
差傘ひよりが、傘を傾ける。
その動きが、戦闘開始の合図だった。
そして、決戦が始まった。
◇
始まりは魔法の咆哮だった。
『対虫用』に揃えられた『火』が降り注ぐ。
「降るのを防ぐのが傘よ」
淡々とした囁き。
ひよりの持つ傘が魔法の『火』より鮮やかな『赤』に変わる。
『火』は霧散した。
「想定内だ!」
傘に魔法を弾かれるのは経験済みだと、リーダーが吠えた。
構えた大剣が光を帯びて、輝きを放ち始める。
魔法が注意を引いている間に肉薄していたのだ。
「降り注ぐ光を防ぐのも、傘の役目」
傘が『黒く』なる。
閉ざされた傘が降られ、剣もまた弾かれた。
「畳み掛けろ!」
弾かれてバランスを崩した体勢のまま、リーダーが指示を出す。
一撃入れれば、流れを引き寄せられる。
手数で勝負をかけようというのだ。
剣と槍が刃を光らせる。
魔法が照らす。
矢が煌めく。
「傘は開く」
魔法陣が点々と広がった。
雨の日の水たまりに落ちた雨粒。
その波紋のように。
色とりどりの傘が花開いては散っていった。
魔法陣が広がるたび、傘が色を変えていく。
火曜の赤は、あの子が好きだった色。
水曜の青は、雨の日に笑っていた彼の傘。
曜日ごとに変わる、心の色。
色は、誰かの記憶を映している。
気分と天気で変わるのも『傘』だった。
「防ぐだけかよ!」
槍を突き出した男が挑発した。
守りに隙が見られ無い。
攻撃に転じさせて隙を誘おうとの狙いがある。
「傘には骨がある」
傘が浮かんだ。
手元に残る柄は・・・柳の葉のように細い『刀』だった。
「チッ!」
間合いの差から槍には不利とみて男が下がる。
「なっ?!」
男が押し戻された。
宙に浮いていた傘が、背中を押している。
「傘には『生地』もある」
言葉とともに刀が降られた。
「させるか!」
槍の男が突き出した刃は、空を切った。
次の瞬間、ひよりの傘がふわりと浮かび、彼の背後へと回り込む。
気づいたときには、すでに遅かった。
「傘には『生地』もある」
その囁きとともに、彼女の手にあった柄が、柳の葉のようにしなる細身の刀へと変わる。 一閃。 風すら鳴らさぬ静けさの中、刃が振り下ろされた。
男の左肩から右脇腹へ、斜めに深く、鋭く。
黒い着衣が裂け、肉が開き、骨が軋む音がした。
心臓の上をかすめた刃は、命の灯を一息で吹き消すように、彼の動きを止めた。
「……っ、あ……」
声にならない呻きが、血とともに漏れた。
彼の槍が、床に落ちる。
金属音が、やけに遠く響いた。
膝が崩れ、体が傾ぐ。
けれど、倒れることはなかった。
ひよりの傘が、まるで『支えるように』彼の背を押していたからだ。
そのまま、彼は静かに座り込むように崩れ落ちた。
目は開いたまま、何かを見つめていた。
けれど、その視線の先にあるものは、もう誰にもわからなかった。
彼の死に、誰も声を上げなかった。
ただ、ひよりの傘が、またひとつ色を変えた。
深い、濡れた紫。
それは、彼が見捨てた誰かの、許されなかった夜の色だった。
「『エリクサー』は?!」
万能蘇生薬の作成者に視線が集まった。
「だ、出せない!」
使用を考えていなかった。
換金アイテムとしてしか扱ってこなかった。
その、弊害だった。
戦闘中に開けられるアイテムボックスには中級ポーションしか入っていない。
◇差傘ひよりは問うている◇
雨は降っていない。
けれど、彼女の周囲にはいつも、降り損ねた雨の気配が漂っている。
差傘ひよりは、傘を差して立っていた。
それは防御のためではない。
誰かの痛みが、また降ってくるかもしれないから。
誰かが、また見捨てられるかもしれないから。
彼女は怒っていない。
悲しんでもいない。
ただ、問いを持っている。
——あの時、誰を見なかった?
——この手は、誰に届かなかった?
——今、目の前にいるこの人は、誰かを見捨てたことがあるだろうか?
彼女の傘は、攻撃を防ぐ。
けれど、それは『守る』ためではない。
問いを届けるために、立ち続けるための最低限の距離だ。
敵が剣を振るうたび、彼女は傘を傾ける。
魔法が降るたび、傘の色が変わる。
それは、誰かの痛みを映す色。
そして、彼女が刀を抜くとき。
それは、問いが届かなかった者への返答。
「あなたは、誰を見捨てたの?」
その問いに答えられない者だけが、彼女の傘の『中骨』に斬られる。
◇
「誰を見捨てたの?」
その言葉に、魔法使いの少女が一瞬手を止めた。
彼女の瞳が、過去の誰かを思い出していた。
それは彼女だけではない。
誰もが、わずかずつではあっても心当たりがあった。
最高戦力。
それは、弱い者たちを切り離してきた歩みそのもの。
命まで失わせるものはなかったが、置き去りにした経験を持っている。
そうでなければ、この地位にはいられない。
それが現実。
だから、誰もが口を噤んだ。
噛み締めた歯の間から、軋むように『誰か』の名前が紡がれかけては解けていく。
口ずさむ恋の歌が、雨音に、かき消されていくように。
魔法使いの少女は、そっと傘を差し出すように手を伸ばした。
それは、誰かに届かなかった手の記憶。
そして、今から届かせようとする意志。
届く未来は、曇っているけれど。
残り、9人。
評価いただけると続編を書く意欲に直結します




