第157話 最後の10人① ~傘を差す女~ 前編
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本隊先行部――レイド最後の10人は66階層を驀進していた。
ダンジョン側の最高戦力が65階層に集まっているからではあるが、何より一葉が前へ、前へと出ているからだった。
「65階層での『前へ』が効いているな」
リーダーは密かにそう感じていた。
隊列を分断させる指示を出したことが負い目となっているのだ。
後ろの者たちを置き去りにした形となる。
成果なしで帰ったのでは顔向けできないと思っているのだろう。
事実その通りなのだし。
だが、『ダンジョンマスター』のドロップアイテムを手に入れて戻れば、「追いつけそうだったから追跡を優先させた」と言い訳も立つ。
面目を保って帰還するには、『目的物』の持ち帰りが不可欠の状況となっている。
「見えたわ! 67階層の入り口よ!」
襲い掛かってくるBランクモンスターを蹴散らして、彼女は進んでいく。
その先に『絶望』が待つとは、まだ知らない。
◇軒先で待つ女視点◇
「そろそろ・・・かな?」
ありはしない空を見上げて、少女が呟く。
それは雨を待つようでもあり、降る雨を憂いるようでもある。
だが、少女にとってはどちらでもいいことだった。
降るにしろ、降らないにしろ、少女のすることは変わらないから。
◇
最後の10人。
彼らは今、69階層を進んでいた。
足音が、やけに響く。
誰も口には出さないが、空気が変わったことに気づいていた。
肌にまとわりつくような湿気。
耳の奥で鳴る、低くくぐもった音。
それは、何かが近づいていることを告げていた。
次は、70階層。
節目。
終わりの地。
最深。
誰もが、そこに『何か』があると感じていた。
そして、それは事実だった。
「……いよいよ、大詰めだね」
一葉が、無理に明るさを装って声を弾ませた。
けれど、その声はどこか浮いていた。
まるで、沈黙を恐れて投げられた石のように。
「ああ、そうだな」
レイドリーダーが応じる。
その声もまた、どこか遠かった。
終わりは近い。
間違いなく。
だが、それは『安堵』ではなかった。
むしろ、終わりが近いからこそ、何かが壊れ始めているような気がした。
「……フロアボスがいるな」
誰かが呟いた。
70階層への通路があるはずの最奥。
その手前の空間に、人影があった。
だが、それは『人』の形をしているだけだった。
動かない。
呼吸の気配もない。
ただ、そこに『いる』。
まるで、彼らが来るのを待っていたかのように。
誰かが、息を呑んだ。
誰かが、武器を握り直した。
誰かが、祈るように目を伏せた。
そして、誰もが思った。
——ここが、終わりだ。
でも、本当に終わるのか?
その問いだけが、誰の口からもこぼれなかった。
「……カサを差している?」
誰かの呟きが、空気を震わせた。
最奥の空間に佇む『それ』のシルエットは、確かに傘を差しているように見えた。
だが、違和感があった。
傘の下にいるはずの『少女』の輪郭が、どこか歪んでいる。
光の届かない場所にいるはずなのに、白く長い髪だけが、月光のようにぼんやりと浮かび上がっていた。
『それ』は、夜の雨を待つように、静かに立っていた。
まるで、この場所が『雨宿りの場』であるかのように。
長く流れる白髪が、濡れた布のように肩から胸元へと垂れ下がり、 顔の半分を覆う前髪が、片目を隠している。
見えている右目だけが、異様に赤く、その瞳は、炎ではなく、濡れた闇の中で灯る灯火のように、じっとこちらを見つめていた。
頭上には、大きな唐傘。
その天辺には、赤く四角い『穴』が空いていた。
そこから、空気が抜けるように、彼女の気配も、どこか遠くへ吸い込まれていく。
傘の影が顔を覆い、表情を曖昧にしていた。
だが、曖昧だからこそ、そこにある『何か』が、想像をかき立てる。
笑っているのか。
泣いているのか。
それとも、怒っているのか。
わからないことが、最も恐ろしい。
黒い着物は、肩を落とし、袖は異様に長く、風もないのに、ゆらり、ゆらりと揺れていた。 その揺れは、まるで水面に浮かぶ死体が、ゆっくりと回転しているような、不自然な静けさをまとっていた。
彼女の指は、長く、細く、骨ばっていた。
その先端から、ぽたり、ぽたりと黒い雫が落ちていた。
水ではない。
血でもない。
けれど、確かに『濡れて』いた。
誰も、声を出せなかった。
空間が、音を拒んでいた。
息を呑む音すら、吸い込まれていく。
そして、彼女が、ゆっくりと傘を傾けた。
その動きは、まるで『こちらを見せる』ための所作。
傘の影がずれ、顔の輪郭が露わになる。
「……ようこそ、七十階層へ」
声が、どこからともなく響いた。
その瞬間、誰かが小さく、震えた。
それは、寒さではなかった。
魂の奥に触れられたような、得体の知れない恐怖だった。
「唐笠お化け『差傘ひより』だってよ!」
『鑑定』持ちの声が、静寂を裂いた。
その名が告げられた瞬間、空気がわずかに軋んだ。
まるで、名前を呼ぶこと自体が『封印を解く』行為だったかのように。
「ネームドか」
誰かが呟く。
その声には、わずかな緊張が滲んでいた。
名前持ち。
ランク上位。
強敵。
それだけで、十分に『脅威』だった。
だが、彼女はそれ以上だった。
70階層への通路を守る者。
このダンジョンの『最深』を預かる存在。
「それくらい、想定内だ。行くぞ!」
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