第153話 妖怪制作 ~つらら女~ 前編
1/3
次に目を引いたのは、氷漬けの女だった。
彼女は、まるで時間ごと凍りついたように、静かにそこに立っていた。
上半身は人の姿を保っている。
長い黒髪が、凍った空気の中でゆるやかに揺れているように見えた。
けれど、近づいてみると、それは髪ではなく、細く伸びた氷の繊維だった。
一本一本が凍てついた糸のように、空中に張りつめている。
顔は伏せられ、表情は見えない。
だが、頬に流れた涙の跡だけが、氷の中に白く凍りついていた。
まるで、最後の感情だけが氷に刻まれたかのように。
胸元から下は、完全に氷に閉ざされていた。
腰から下は、まるで氷柱。
足元に向かって広がるように凍りつき、まるで氷の祭壇に捧げられた像のようだった。
氷の中には、かすかに制服の裾が見える。
それが、彼女が『かつて人間だった』ことを物語っていた。
氷の表面には、無数の霜の花が咲いていた。
触れれば、指先が焼けるように冷たい。
それでも、彼女の周囲にはどこか静謐な美しさが漂っていた。
そして、氷の奥から、かすかに音がした。
──きぃん……。
まるで、氷が泣いているような、細く澄んだ音。
それは、彼女の魂がまだそこにあることを告げているようだった。
「ああ、それだ!」
カルマの声は、いつになく弾んでいた。
考えるまでもなく、名前が浮かんだ。
──『氷柱女』。
雪女と並ぶ冬の妖怪。
若く、美しく、儚い存在。
けれど、雪女が『怖さ』の象徴なら、氷柱女は『切なさ』の象徴だった。
風呂に入らせると、氷柱に戻ってしまう。
そんな弱点があるせいか、どこか人間味がある。
カルマの主観では、ドジっ子属性すら感じられるという。
「怖がられる雪女より、忘れられる氷柱女のほうが、ずっと切ないよね」
氷柱女は、完成していた。
氷の魔力が、静かに彼女の胸に埋め込まれている。
その魔力は、冷たいのに、どこか優しい。
まるで、触れたら消えてしまいそうな雪の結晶のように。
彼女は、静かに目を開けた。
その瞳は、淡い水色。
光を反射して、まるで氷の奥に星が宿っているようだった。
髪は、細く、白く、風に揺れるたびに、つららのようにきらめいた。
制服の裾は、氷に縁取られ、歩くたびに霜の花が舞う。
彼女は、何も言わない。
けれど、その沈黙が、何よりも雄弁だった。
まるで、「ここにいてもいい?」と問いかけているような、そんな気配。
カルマは、彼女を見つめながら、ただ一言だけ呟いた。
「……綺麗だ」
それは、称賛でも、感嘆でもない。
ただ、そこに『生まれたもの』への、純粋な感情だった。
氷柱女は、静かに頷いた。
その仕草は、まるで風に揺れる雪の枝のように、儚く、優しかった。
◇少女A——カノンの意識の狭間◇
「……なんで、私だけ?」
その問いは、誰にも向けられていなかった。
ただ、胸の奥で、氷のように静かに響いていた。
仲間たちの声が、遠ざかっていく。
笑い声。
怒鳴り声。
泣き声。
全部、もう聞こえない。
最後には、頼れるリーダーまでもが、力を失くした体を運ばれていった。
自分だけが、そこに取り残されていた。
「みんな、いなくなったのに……私だけ、残ったの?」
それは、誇りでも、勝利でもなかった。
それは、『罰のような孤独』だった。
生き残ったことが、ただの『罰』に思えた。
誰もいない。
誰も見ていない。
誰も、呼んでくれない。
そのとき、胸元にふわりと舞い降りた白い虫。
雪虫。
小さな命。
白く、儚く、まるで幻のように。
「……あなた、誰?」
雪虫は答えない。
ただ、胸元で羽を震わせる。
それが、彼女の問いに対する『肯定』のように感じられた。
でも、それが触れた瞬間、彼女の体は凍り始めた。
「……あ、あったかい?」
最初はそう感じた。
虫の羽が、胸に触れたとき。
それは、誰かが手を添えてくれたような、優しい感触だった。
でも、すぐに冷たさが広がった。
指先が動かない。
足元が重い。
息が、白くなっていく。
気づけば、足の感覚がもうなかった。
目を下に向ければ、蒼いほどに凍った水がある。
自分の足が、氷に飲まれていく。
「……やだ、まだ……言ってないのに」
言いたかったことがあった。
謝りたかった。
伝えたかった。
守りたかった。
あの時、手を伸ばしてくれた人に。
あの時、背中を押してくれた人に。
でも、もう声が出ない。
喉が凍り、言葉が砕ける。
目が、白く覆われていく。
「やだ……待って! やだよ、まだ言ってないのに……!」
声にならない叫びが、胸の奥で弾けた。
でも、氷はその叫びを包み込んで、静かに沈めていく。
まるで、「言わなくてもいいよ」と囁くように。
「……誰か、見ててくれるかな」
それが、最後の願いだった。
誰かが、自分のことを覚えていてくれるように。
誰かが、自分の名前を呼んでくれるように。
せめて、誰かの記憶の中でだけでも、隣にいられるように。
雪虫が、胸元で羽を震わせる。
それは、彼女の願いを運ぶための小さな使者だった。
そして、彼女は凍った。
白く、静かに。
まるで、冬に選ばれた者のように。
その姿は、誰かの記憶に残るための、最後のかたちだった。
そして、彼女の孤独は、氷の中で永遠に眠ることになった。
評価いただけると続編を書く意欲に直結します




