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『使い捨てられた補助スキル持ち、迷宮の主になって制服妖怪と学園祭を始める』  作者: 葉月奈津・男
R15版。暴力・性的ニュアンスありバージョン

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第142話 霧の向こうで ~沙羅の想い~

2/3

 


 手のひらが、まだ熱い。

 斬った瞬間の感触が、皮膚の奥に残っている。


 それは『行為』の記憶じゃない。

『真実』の証明。

 モンスターではない。

 仲間の、柔らかい命を斬ったという、消えない実感。


「しかたなかった」

 そう言い聞かせるたび、腕が重くなる。


 言葉が軽ければ軽いほど、

 罪は濃く、深く、重くなる。

 それは、心の底に沈んでいく鉛のように、沙羅を引きずり込んでいく。


『仲間を斬った罪』——それは罪ではなかった。

 罪は、『自分を欺こうとした』ことにあった。


 この一文が、沙羅の本当の罪を突きつける。

『斬った』ことではなく、『見なかったふりをした』こと。

『自分だけは違う』と思いたかったこと。


『彼を見殺しにした罪』、それは『自己肯定と自己保身という罪』だ。


 その罪は、誰にも見えない。

 だからこそ、誰よりも重い。


 そして、再び現れる『薫』――いや、『縫緋まとい』。


 白かったはずの上着が——赤い。

 長い舌が、沙羅の輪郭をなぞるたびに、何かが奪われていく。


 それは、罰ではない。

 それは、清算。

 沙羅が自ら差し出した『代償』。


 罪が軽くなる。


 意志が希薄になる。


 命が細くなる。


 悲鳴もなく、流血もなく、ただ、静かに沈んでいく。


 それは、沙羅が『自分を許す』ための儀式。

 けれど、赦しはない。

 あるのは、喪失だけ。


「私は、まだ人間?」


 問いは、声にならなかった。

 意識が遠のく。

 水の底に引き込まれるように。


 最後に見た薫の微笑みは、優しかった。

 それが、いっそう苦しかった。


 水が、耳を塞ぐ。

 音が遠くなる。

 世界が、静かになる。


「私は、まだ……」


 その言葉の続きを、誰も聞くことはなかった。


 薫の微笑みが、水の揺らぎに溶けていく。

 優しく、静かに。


 沙羅の瞳が閉じる。

 その瞬間、彼女の『人間としての灯り』が、ひとつ、消えた。


 ◇縫緋まといの思想◇


「戦うって、斬ることじゃないのよ」


 その言葉は、誰にも届かない。

 けれど、まといの中では確かな刃だった。


「戦うって、見つめること。見ないふりをしていたものを、見つめ直すこと。それが、私の戦い」


 人間は、垢を溜める。

 それは、罪でもあり、忘却でもある。


 誰かを見捨てた記憶。

 誰かを踏みつけた沈黙。

 誰かを守らなかった選択。


 その垢は、目に見えない。

 でも、まといには見える。

 感じられる。

 味わえる。


「だから、私はそれを食べる。それが、私の戦い」


 まといの舌は、武器ではない。

 それは、祈りの器官。

 罪の記憶をなぞるための触媒。


 ぬるり、とした舌が沙羅の頬をなぞる。

 耳の裏を撫で、首筋に絡みつく。

 その動きは、まるで『記憶を剥がす』ように丁寧で、どこか慈しみに満ちていた。


「人間との戦いは、罪との対話。あなたの罪を、私が味わう。あなたの痛みを、私が受け取る。あなたの沈黙を、私が語る」


 それは、赦しではない。

 それは、罰でもない。

 それは、記憶の継承。


 沙羅の罪は、苦く、熱く、懐かしい。

 まといの舌がそれをなぞるたび、沙羅の中の『人間らしさ』が、少しずつ剥がれていく。


「あなたが消えたら、誰が私を覚えているの?」


 その問いは、『喰らう者』の孤独から生まれた祈りだった。


 だから、彼女は斬らない。

 だから、彼女は叫ばない。

 だから、彼女は微笑む。


 その微笑は、かつての『薫』のものに似ていた。

 けれど、そこにあるのは支配ではなく、『共に沈む者』への共感だった。


「ゆっくり眠るといいわ。起きたら……仲良くできるかしらね?」


 その言葉は、呪いではない。

 それは、儀式の終わりを告げる祈り。


 沙羅が『沈む者』になることで、まといは『食む者』として完成する。


 水音が耳の奥で鳴る。

 それは、まといの心臓の音。

 制服の縫い目の鼓動。

 そして、沈んだ者たちの記憶のざわめき。


 彼女は戦っていない。

 彼女は儀式をしている。

 それが、縫緋まといという妖怪の『戦い方』。


 ◇『薫』から『沙羅』へ◇


 かつて、彼女は『火』だった。

 燃え上がるような言葉。

 焦がすような視線。

 触れれば痛い。

 でも、離れれば寒い。


 それが、沙羅だった。


 薫は、反発していた。

 水と火。

 冷静と激情。

 理解し合えないと、決めつけていた。


 でも今、まといとして彼女を見つめると――その『熱』は、ただの罪じゃなかった。


 それは、誰かを守ろうとした意志。

 それは、誰かを見捨てたくなかった痛み。


「反発する理由なんて、なかったのよね」


 まといの舌が、沙羅の輪郭をなぞる。

 ぬるりと、ゆっくりと、まるで『記憶の温度』を確かめるように。


 それは、罰ではない。

 それは、理解の所作。


「あなたは、ただ熱かっただけ。 私は、ただ冷たかっただけ。それだけのことだったのに」


 今、沙羅は沈んでいく。

 罪を食まれ、意志を薄められ、命を細くされながら。


 でも、まといは思う。


「起きたら、仲良くできるかもしれない」


 それは、希望ではない。

 それは、赦しでもない。

 それは、ただの可能性。


「あなたが沈んで、私が食んで、それでもまだ、あなたの熱が残っていたら――そのときは、少しだけ近づいてみてもいいかしら」


 彼女は微笑む。

 その微笑は、薫だった頃のものに似ている。

 でも、そこにあるのは反発ではなく、受容。


「火と水は混ざらない。でも、霧にはなれる。だから、もしあなたが目を覚ましたら――そのときは、霧の中で、少しだけ話してみたい」


 霧は、境界を曖昧にする。

 敵と味方、罪と赦し、人と妖怪――そのすべてを、少しだけ近づける。


 人の時はできなかったこと。

 人の時にこそ、試すべきだったこと。


 ——でも、私は見なかった。

 ——見ようとしなかった。


 人でなくなった今、それができる。

 皮肉だとは思うが、できないままよりはずっといい。


『妖怪』になって、『人間』がわかる。

 哀しいけれど、喜ばしい。



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