第140話 流れを操る者 後編
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「え?」
手応えがあった。
柔らかく、温かく、刃が何かを裂いた感触。
躱されると思っていた。
だから、全力ではなかった。
けれど、確かに『斬った』。
「人間ってコワイ、コワイ」
声がした。
背後から。
背後にいる?
じゃあ、今斬ったのは――?
目を落とす。
水中で、クドウと目が合った。
目を見開いたまま、泡も立てず、沈んでいく。
『認識阻害』
その言葉が、頭の中に響いた。
まるで、誰かが耳元で囁いたように。
「あ、ああ……」
喉が震える。
声にならない。
手が、剣を持ったまま、小刻みに揺れている。
自分が何をしたのか、理解した瞬間、全身が冷たくなった。
「ほんと。ヒドイことするわぁ」
あの声が、水の流れに乗って、背後から、耳の奥に届く。
ダルマは流れていく。
つんぷく、つんぷく、と。
まるで、罪を数えるように。
水面に浮かぶ赤い着物が、一つ、また一つ、波に揺れて遠ざかっていく。
残り、20人。
◇達磨ふよう視点◇
ふようは怒っていない。
悲しんでもいない。
でも、それは『感じない』のではなく、『感じることをやめた』から。
かつての自分が、誰かを守るために祈っていたように、今の自分は、誰かを沈めるために祈っている。
その祈りは、もう誰にも届かない。
届かなくていい。
それが、ふようの選んだ道。
「沈むのは、答えを持たない者。それだけのこと」
ふようが『彼』に恋をしたのは、壊された者同士の共鳴。
それは甘いものではなく、冷たい水のように静かで、深い。
彼の孤独に触れたとき、自分の中の空洞が震えた。
だから、彼の命令に従うことは、忠誠ではなく『理解』だった。
「わたしは、彼の孤独に触れた。だから、わたしは彼の刃になる」
問いかけと沈黙。
仲間が死にゆくその瞬間、ふようは問いかける。
それは裁きではない。
ただの問い。
「あなたは、誰かを守ろうとしていたの? それとも、自分を守ろうとしていたの?」
答えられない者は沈む。
それだけのこと。
「あなたは、何を得ようとしていたの? それは、誰かを犠牲にしてまで得る価値があったの?」
迷いのない選択。
ふようは迷わない。
それは、正しさではなく選択だから。
後悔もない。
ただ、静かに流れていく。
かつての祈りのように。
「私は、もう祈らない。願わない。救わない。それが、私の選んだ道」
手足を持たないのは、救うことをやめた証。
ふようはもう、誰にも触れない。
その身体は、ただ水に浮かび、沈む者を見つめるだけ。
問いかけるだけ。
そして、沈めるだけ。
◇沙羅の心情◇
斬った瞬間、彼女の中で、何かが崩れた。
「なぜ、止まれなかった?」「本当に、自分の意志じゃなかったのか?」
頭では『操られていた』とわかっている。
でも、心は、それを許さなかった。
「私の手が……あいつを……? 手は、そうだ。でも……!」
私の身体は。
私の意志は。
どこまでが『自分』だった?
剣を振るったときの感触が、まだ手のひらに残っている。
温かくて、柔らかくて、『斬ってはいけないもの』を斬った感触。
その曖昧な境界が、恐怖と自己嫌悪を呼び込む。
仲間を守る立場にある沙羅が、仲間を傷つけた。
それは、彼女の中の『正しさ』を、根底から揺るがす。
「私は、守るはずだったのに。それなのに、私の剣は……!」
この罪悪感は、たとえ仲間が「仕方なかった」と言ってくれても、消えない。
むしろ、許されるほどに苦しくなる。
『許される』ということは、『本当にやってしまった』という証明になるから。
「次も、また誰かを斬ってしまうかもしれない」
そう思った瞬間、彼女は自分の剣を信じられなくなった。
それは、沙羅としての自信を、根こそぎ奪っていく。
「私の剣は、まだ誰かを守れるのか……?」
そして最後に残るのは、怒り。
自分を操った存在への怒り。
でも、それと同じくらい、自分自身への問いが残る。
「私は、本当に『認識阻害』されていたのか? ほんの一瞬でも、『斬ってみたい』と思ってなかったか?」
その問いが、彼女の心を深くえぐる。
『操られた』という事実の中に、ほんのわずかでも『自分の意志』が混ざっていたのではないか――それが、彼女にとって一番恐ろしい。
◇
水の奥で、ふようは目を閉じたまま、沈んだ者に問いかける。
「あなたは、何を守ろうとしていたの?」
声は届かない。
けれど、問いは届く。
心の奥に、静かに沈んでいく。
それは、救いではない。
それは、赦しでもない。
それは、沈黙の中の裁き。
答えがなければ、そのまま沈む。
答えが偽りなら、より深く沈む。
ふようは目を開けない。
見ない。
触れない。
ただ、問いかける。
それが、彼女の『刃』としての在り方。
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