第139話 流れを操る者 前編
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「な、なにしてるの?!」
沙羅がクドウに詰め寄った。
その声は、怒りよりも、恐怖に近かった。
クドウは、自分の手を見て、ぼうっと突っ立っていた。
指先が、微かに震えている。
まるで、そこに『自分の意志』が届いていないように。
目をこすったりしているが、そんなことは気にしていられない。
沙羅が顔を寄せると、クドウは平然と見返してきた。
その距離感の狂いに、沙羅の頬が、かすかに赤く染まる。
でも、詰め寄ったのには、それだけの理由がある。
キムラは全身ずぶ濡れで、動きが鈍かった。
水が服に張りつき、関節の動きが遅れる。
その状態で、河童が背中を押した。
だが――おかしいのは、クドウの動きだった。
キムラが前進させられた、その瞬間。
クドウの剣が、異常な速度で振り下ろされた。
力も、角度も、まるで『狙っていた』かのように。
「わ、わからない。俺にもわからない。止まろうとしたんだ! だけど、止められなかった。自分の身体じゃないみたいに!」
その言葉に、沙羅の顔から血の気が引いた。
背筋が、冷たい水を浴びたように震える。
脳裏に過るのは、流されたときのこと。
水の流れに逆らえなかった感覚。
身体が、誰かに『運ばれている』ような違和感。
デバフとバフ、両方を使いこなす。
そんなモンスターがいたら?
敵が、味方に『加速』を与える。
その結果、仲間同士が斬り合う。
それが、『流れを操る者』の戦術。
敵にステータス向上のバフをかけるなんて、通常は考えられない。
だが、相手は『妖怪』らしい。
常識が通じない。
理屈が通じない。
だからこそ、怖い。
『流れ』そのものが、敵の武器になる。
そして、私たちはその流れに逆らえない。
「あらあら、もうバレちゃった?」
声がした。
ひどく、沈んだ声だった。
水底から泡と一緒に浮かび上がってきたような、湿った響き。
「そこよ!」
カノンが指さした先――水面が、静かに揺れた。
赤い着物の塊が、浮いては沈み、こちらをじっと見ていた。
「くッ!」
明らかな人外。
その存在は、空気を変えた。
水の匂いが、鉄のように変わる。
片目は灰色で、感情のない丸い瞳。
まばたきもせず、ただ、こちらを見ている。
もう片方の目は、赤い組み紐の眼帯で覆われていた。
その結び目が、まるで『封印』のように、肌に食い込んでいる。
濡れた髪が頬に張り付き、首筋を伝う水滴が、水ではなく、血のように見えた。
それは祈りか、呪いか。
ただのモンスターではない。
その姿は、誰かの記憶を写し取ったような『ダルマ』。
人の形を模しているのに、どこかが決定的に違う。
水面で、沈んだり浮いたりしている。
まるで、呼吸をしているかのように。
「つんぷく……ダルマ?」
カノンの声が揺れていた。
瞳が震え、唇が乾いている。
その姿は、信じていたものに裏切られた少女そのものだった。
「おばあちゃんの家にも、あるんだよ! 本物はどこかのお寺だけど。川を流れてきたダルマさんが病気を治してくれたんだって! だから、大切にしてるのに!」
怒りと悲しみが混ざった声。
その目は、ダルマのようなシルエットを睨みつけていた。
「病気を治してくれるいいダルマさんなんだよ!」
その叫びは、まるで『信仰の最後の砦』だった。
「落ち着いて! 相手はただのモンスターよ!」
本物の妖怪ではない。
ましてや、郷土の守り神なんかじゃない。
「あ、そ、そうだった!」
カノンが気を取り直し、魔法の詠唱に入る。
シャン!
魔力が高まった瞬間、空気がねじれた。
まるで、誰かが見えない手で魔法をほどいたように。
「き、キャンセルされた?!」
呆然とするカノン。
その瞬間から、異状が続いた。
シャン!
「目が!」
視界が黒く染まる。
『暗闇』。
何も見えない。
ただ、音だけが耳に残る。
シャン!
「手が上がらない!」
『麻痺』。
腕が重く、指が動かない。
まるで、誰かに縫い止められたように。
シャン!
「力が入らない!」
『弱体化』。
膝が震え、呼吸が浅くなる。
身体が、自分のものじゃない。
シャン!
「お、重いっ!」
『重圧』。
背中に何かが乗っている。
水が、空気が、すべてが重く、沈めようとしてくる。
シャン! ・・・・・・。
バシャ!
カノンが、水中に消えた。
水の中に押し込まれ、抑え込まれたのだ。
手を貸そうとするが――びくともしない。
水が、彼女を『重力の檻』に閉じ込めていた。
「なっ! で、でも、術者を倒せば!」
それしかない。
この呪いを解くには、それしか。
水面で浮沈を繰り返すダルマに、怒りと恐怖を込めて斬りかかった。
評価いただけると続編を書く意欲に直結します




