第137話 流れゆくもの 前編
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同時刻、水に流された最後尾4名は、水の中にいた。
白いタイル張りの床――だが、濁った水に沈んだそれは、灰色とも黒ともつかない色に濁っていた。
水深は意外と深く、男子の腰まで届く冷たい水が、ズボンの中にまで染み込んでくる。
「な、なにかいる?!」
誰かが叫んだ。
その声が反響し、天井の蛍光灯の残光が揺れる。
指さす先、水面がわずかに盛り上がり、黒い影が視線を横切った。
「戦闘用意!」
沙羅の号令が響く。
水音をかき分けるように、仲間たちが武器を構える。
だが、水の抵抗が、動きを鈍らせる。
ザバン!
水面が跳ねた。
一瞬、誰かの足が見えたかと思うと――
「キムラが消えた!」
水柱が立ち、泡が弾ける。
その中心に、男子A――キムラの姿はもうなかった。
「水中戦?!」
カノンがスカートを必死に押さえながら、腰まで沈んだ水の中で悲鳴を上げる。
裾が水に広がり、足が絡まる。
動けば動くほど、冷たさと重さが増していく。
「冗談じゃないわ! 何とか水の中から出ないと!」
沙羅も、同意のうなずきとともに辺りを見渡す。
だが、壁は滑りやすく、出口らしきものは見当たらない。
そのとき――
「ゲハッ!」
水面が割れ、キムラが顔を出した。
肩で息をしながら、何とか浮上してきた。
だが、その隣に、黒いシルエットが立っていた。
人の形をしている。
けれど、輪郭が揺れている。
水に溶けかけた墨のように、その存在は不確かで、それでも確かに『そこにいる』。
「【フレアランス】!」
沙羅の魔法が、水面を裂いて放たれた。
直撃。
シルエットが揺れ、水が一瞬、沸騰したように泡立つ。
いける!
だが――水の中で、何かが蠢いていた。
「【フレアランス】!」
好機と見た沙羅が、炎槍を連続で撃ち込む。
水面が爆ぜ、熱と蒸気が立ち上る。
その残り火が、黒いシルエットを照らし出した。
「「か、カッパ?」」
声が重なった。
そこにいたのは、確かに『河童』だった。
彼女――そう、女性だ。
肌は、雨上がりの葉に宿るアマガエルのように、しっとりと濡れ、水面の光を受けて、やわらかく艶めいていた。
その肌の下、筋肉の動きが水越しに透けて見える。
人間のようで、人間ではない。
長く流れる髪は、深い森の影のような緑。
その中に、皿が浮かんでいた。
皿の水が、波紋を描きながら揺れている。
手足には、水かき。
指の間に張った薄膜が、水を切るたびに、まるで羽ばたくように広がる。
それなのに――彼女は、黒のセーラー服を着ていた。
それは、私たちと同じ制服。
濡れて肌に張りつき、その下の輪郭をあらわにしている。
「学校の怪談で、妖怪?」
「ふざけてる!」
怒声とともに、攻撃が増える。
水を裂く剣、魔法の閃光。
だが――
「は?」
すべて、防がれた。
奇妙な形の大盾。
水中での動きには不向きなはずのそれを、彼女はまるで羽のように扱っていた。
「あ、あんなもの持ってて、水中でどう動くんだよ!」
男子B――クドウが苛立ちを隠せず叫ぶ。
その声に応えるように、河童はくるりと背を向け、大盾を見せつける。
「ああ、甲羅か。……じゃねぇわ!」
クドウが斬りかかる。
水が割れ、剣が唸る。
ようやく呼吸を整えたキムラも、背後から斬撃を加える。
前後からの挟撃――だが、河童は滑るようにスライドし、水を味方につけて、キムラの背後へと回り込んだ。
その動きは、まるで水そのもの。
人間の筋肉では再現できない、『水棲の理』に従った動きだった。
「ゲッ?!」
クドウの剣が、鈍い音を立てて、キムラの肩を裂いた。
血が、水に溶ける。
赤が、ゆっくりと広がっていく。
「なっ……!?」
クドウの手が震える。
目の前で、仲間の体が崩れ落ちる。
その背後――河童が、静かに手を引いていた。
背中を押したのだ。
ほんの少し、剣の軌道に乗るように。
キムラの体が、水面に吸い込まれるように沈んでいく。
泡も立てず、音もなく。
「キムラ……? おい、キムラ!?」
返事はない。
水面には、ただ赤い渦が残るだけ。
カッパの姿も、もう見えなかった。
まるで、最初からそこにいなかったかのように。
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