第134話 熱意のこもる泥 前編
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「な、なに、なんなの? あれ?!」
全力で走り、息が切れて立ち止まった女子D。
壁に手をついて、小休止していた。
荒れた呼吸をゆっくりと鎮めていく。
『逃げる』のは昔から得意だった。
危機が訪れるときにはいち早く察知して逃れる。
誰かの陰に隠れる。
そうやって身を守った。
身を守ってさえいれば、チャンスは訪れる。
例えば、隠れ蓑に使った仲間が傷を負い、誰かが癒している時。
隙ができた無防備なところをモンスターが攻撃してくる。
これを倒すだけで、恩を、名を売れた。
その成果が、今の、この地位だ。
実力で言えば中級探索者、なのに最精鋭に数えられているのはその積み重ねがあったからに他ならない。
誰かを犠牲にして、自分の立ち位置を上げてきた。
彼女はそんな探索者だった。
だからこそ、『コレはダメだ』と思ったとき、すぐに背を向けられたのだ。
思考は入らなかった。
ただの本能だ。
「仕方ないじゃない!」
実力は中級。
この深度のモンスターと単独で戦える力なんてない。
二人で死ぬか、一人で逃げるかの選択。
後者を選んで何が悪い!
しかも、相手は得体のしれない化け物だった。
逃げたことの正当性が増していく。
「仕方ないじゃない!」
女子Dの声が、ダンジョンの壁に反響して、自分に返ってくる。
『仕方ないじゃない……ない……ない……』
その声が、 誰かの嘲笑のように聞こえて、思わず耳を塞いだ。
「……わたしは、間違ってない。間違ってなんか、ない……!」
そう言いながら、彼女の脳裏には、男子Dの顔が焼きついていた。
あの時、彼が見せた『戸惑い』と『微笑み』。
そして、あの少女の虚ろな瞳。
「……なんなのよ、あれ……」
外見を思い出した。
バストショットで見ればきっと、そこそこ可愛い女子だ。
だけど腰・・・いや、それより上しかなかった。
下がなかった。
「体が半分ないくせに、たすけてとか・・・って?!」
ここで、女子Dは何かを思い出した。
「まさか! テケテケ?!」
怖い話では有名どころだった。
「くッ! ダンジョンで怪談とか、バカじゃないの?!」
「ホントよ。カンベンしてって思うわよね」
「え・・・?」
思わず高くなった言葉に、反応された女子Dは振り向いた。
やはり人間の女。
それも制服姿で・・・立っている。
今度は足がある。
だけど・・・。
「あ、あなたも人間じゃないわね?!」
女子Dは後退りながらも、声を張った。
喉が震えていたが、それでも強く見せようとした。
目の前の『女』は、やはり見覚えのない顔。
本隊の誰とも違う。
それだけで、もう十分に『敵』だった。
「だとしたら……どうする?」
『女』が、ゆっくりと首を傾けた。
その動きが、まるで関節の軋みを無視したように滑らかで、逆に『人間らしさ』を欠いていた。
「フレアアロー!」
女子Dは叫ぶと同時に、魔力を指先に集中させ、火の矢を放った。
バシュッ!
火矢が空気を裂き、女の肩を掠めた瞬間――白い煙が、ジュウウ、と音を立てて立ち上った。
焦げた布の匂い。
それに混じる、焼けた肉の甘い匂い。
だが、女子Dは振り返らなかった。
見届ける余裕も、勝てるという幻想も、持ち合わせていなかった。
これは『逃げるための魔法』。
それ以上でも、それ以下でもない。
全力で駆け出す。
足音が、石畳に激しく響く。
心臓が喉元までせり上がり、呼吸が荒れる。
その背中を見つめながら、『女』は、肩を抑えた。
焼けた皮膚が、じゅくじゅくと泡立ち、その下から、茶色く濁ったドロリとしたものが滲み出ていた。
「ふう……言わないとダメかしら?」
焦げた制服の隙間から覗く肌は、人間のものよりも白く、滑らかで、それでいて、どこか『作り物』のようだった。
そして、女は口を開いた。
「ひーきーかーえせー!」
その声は、低く、濁っていた。
喉の奥に何か詰まっているような、あるいは、声帯そのものが『借り物』であるかのような響き。
その声に呼応するように、ダンジョンの空気が、わずかに震えた。
「誰が!」
もちろん、女子Dは構わずに走り続けて・・・。
「え?!」
埋まってしまう。
薄暗い通路。
一部が泥になっている。
数段低くなった凹みに泥が溜まっていた。
そこに気付かないまま踏み込んだのだ。
腰のあたりまでずっぼりと嵌ってしまう。
泥にスカートが浮いて花のように広がっている。
評価いただけると続編を書く意欲に直結します




