第133話 軽めの女と重い足
2/3
「はぁはぁ」
「な、なんとか逃げられたか?」
「そうみたい。でも・・・」
「問題は合流か」
ダンジョンの深層65階層。
二人きりで乗り越えられる状況ではない。
何よりも、まず考えるべきは、散り散りになった仲間との合流だった。
ともかく、仲間を増やす。
それが全て。
顔を見合わせて、頷き合う。
認識と方針が一致した。
「どっちに行くか、だな」
来た道には戻れない。
そうすると、彼らの進める道は、夢中で逃げ込んだ横道の奥。
もしくは、右側に見える脇道。
「誰かと合流するためなら・・・右じゃない?」
全員が同じ通路から左右か前後に逃げたはず。
なら、元の道と平行に伸びている右への通路を選ぶべき。
女子Dがそう言った。
男子Dも頷こうとする。
そこへ・・・。
『たすけて』
声が聞こえた。
通路の奥からだった。
「声、したよな?」
「女の子の声、よね?」
幻聴ではないか?
お互いに確認しあう。
「行ってみるか」
「う、うん」
二人は奥へ、ゆっくりと歩き出した。
『助けて!』
通路の奥に少女がいた。
床に這いつくばるようにして、両腕で身体を支えている。
『あしが、足が!』
必死な様子で訴えてきた。
「足を痛めたのか、待ってろ。いま」
急いで手を貸そうと駆け寄る男子D。
その背中に、女子Dの声が届く。
「ねぇ。その子、だれ?」
自分たちと同じ人間に『見える』。
制服も着ている。
だけど、見覚えがない。
少なくとも、65階層へ来たときの24人ではなかった。
「え、君・・・は?」
男子Dの目が倒れている女の足を・・・『見なかった』。
「え、足?」
『うん。そうだよ』
腕が男子Dを掴んだ。
『足が無くなっちゃったの』
言い切った少女が、男子Dの服を頼りによじ登り、のしかかった。
『私、軽いでしょ?』
みぞおちから上しかない女がニタリと笑う。
感情が抜け落ちたような瞳が見開かれ、男子Dを見つめている。
手に刃の薄いナイフが握られていた。
男子Dの背に、『何か』がのしかかっていた。
ナイフは、もう見えない。
だが、みぞおちの奥に、冷たい『重さ』が沈んでいく感覚だけが、確かにあった。
膝が、床に落ちる。
床が揺れているように感じたのは、彼自身の感覚が、崩れていたからだ。
「あ、あ、あ」
女子Dの声が、断続的に空気を震わせていた。
「助けてくれ!」
男子Dの叫びが、ダンジョンの壁に吸い込まれていく。
その背後で、少女は笑っていた。
声もなく、ただ口元だけがゆっくりと歪む。
制服の裾が、ふわりと揺れる。
中は空っぽ。
それでも、そこに『彼女』がいることだけは、誰の目にも明らかだった。
鳩尾の下、白い包帯。
そこから漏れる泡のような光が、まるで『心臓の代わり』のように脈打っていた。
ぱっつん前髪が、 セミロングの髪とともに、ダンジョンの呼吸に合わせて、静かに揺れる。
風が吹いていないのに。
その髪は、かつて誰かに撫でられた記憶を、もう一度感じようとしているようだった。
「ひぃっ!」
女子Dは逃げ出した。
全力での疾走。
瞬く間に見えなくなった。
『あらあら。嫌われちゃった? 大丈夫よ、私がいるわ』
少女の体温が男子Dを、そっと包み込んだ。
◇園下ひろ視点◇
彼が逃げようとしている。
でも、もう遅い。
わたしの腕は、彼の足首に絡みついていた。
骨の浮いた細い手首が、彼の温かい皮膚に食い込んでいる。
かつて私も持っていた、その足。
今は、震えている。
「怖いの?」
そう問いかけたかった。
でも、声は出ない。
喉の奥に詰まった空気が、泡のように漏れるだけ。
『園下ひろ』の名で行動するときのわたしはもう、『問いかける者』ではない。
彼の顔が、わたしを見ていない。
見ないようにしている。
それが、痛かった。
まるで、わたしの存在を『なかったこと』にするみたいに。
「見てよ。わたしの足を、わたしの誇りを、わたしの名前を」
でも、彼は見ない。
無いからではなく、「見たくない」から。
それは当然の。
だけど、哀しい拒絶。
だから、わたしは『奪う』ことにした。
彼の命。
彼の視線。
彼の記憶。
ぜんぶ、わたしのものにする。
それが、愛だと思った。
わたしの存在を、彼の中に刻みつける方法は、それしかなかった。
それが、誇りの最後の使い道。
わたしは、彼の足を掴み、引きずる。
爪の剥がれかけた指先で、彼の肌をなぞる。
その足が、わたしの足に似ている気がして、少しだけ泣きそうになった。
ねぇ、この足はどれくらい早かった?
どのくらい高く飛べたの?
誰かを追いかけたこと、ある?
それとも、誰かから逃げたことしかないの?
土を蹴るときの感触は覚えている?
ほら、親指がある。
ふふ、少し爪が伸びてるよ?
噛み癖、あるの?
それとも、誰かに噛まれた?
人差し指。
不思議だと思わない?
足の指で、人なんて、指ささない、よね?
ふふ、おかしい。
中指。
真ん中の指。
中心にあってバランスをとるんだね。
ふふ、ちょっと下向きに曲がってない?
誰かに踏まれたの?
それとも、何かを蹴ったの?
薬指に小指。
細くてちっちゃいけど、とっても大事。
あはは、ないと転んじゃうよ?
わたしは、転んだまま、立てなかった。
くるぶし、あはっ、かわいいね?
足首、うふふ、男の人でも細いんだ?
脛、細いとこからどんどん太くなる。
あふ、しっかりしてるね?
ひざ、丸さが好き。
裏から見た筋肉の張りが好き。
太腿、太くて逞しい。
私が持ってたウエストより太くない?
全部、全部、わたしの代わり。
わたしの『あったはずのもの』を、あなたが持ってる。
全部好き。
大好き。
大好きだったけど、・・・もうないんだ。
でも、涙は出ない。
もう、出せない。
わたしの目は、もう『濡れる』ことを忘れたから。
わたしは、もう人間じゃないから。
◇男子D視点◇
逃げた女子Dの背中が、もう見えない。
声は届かなかった。
「なんで・・・」
彼女の顔も、制服も、瞳も、全部が『人間』に見えた。
でも、違った。
包帯の下から漏れる泡の光が、床を染めていく。
足が掴まれて、なんかやたらと優しく扱われている。
大切にされている。
「逃げたのが人間で・・・抱きしめてきてるのが・・・妖怪? ふふ、変なの!」
それが、最後の言葉だった。
笑っていたのか、泣いていたのか——誰にもわからない。
闇が、静かに彼を包み込んだ。
◇
『ほら、ね? あたたかい』
その声は、母のようで、恋人のようで、でも、どこか『自分自身の声』にも聞こえた。
男子Dの意識が、泡のように浮かび、弾けていく。
記憶が、音もなく剥がれていく。
名前も、顔も、痛みも、全部。
ただ、最後に残ったのは――『たたかい』という感覚だけだった。
二人は、闇に溶けた。
まるで、最初からそこにいたかのように。
残り、23人。
◇
女子Dは、走りながら、誰かの名前を呼んだ。
それは、自分がまだ『人間』であることを、確かめるための声だった。
読了・評価。ありがとうございます。




