第122話 崩壊する関係 後編
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一葉は、静かに息を吸った。
そして、震える声で語り始めた。
「……私、横流ししてたのは事実よ。でも、それは……どうしても、どうしても必要だったの」
キリトは、黙って耳を傾けていた。
一葉の目には、涙が滲んでいた。
それでも、彼女は言葉を止めなかった。
「親の借金が、もう限界だったの。あと少しで完済できるってところまで来てた。だから……一瓶でも、横流しに回したかった」
その言葉に、キリトの胸が締め付けられる。
一葉は、拳を握りしめて続けた。
「でも……そのせいで、必要だったはずの人にすら渡せなかった。命を救えるはずだったのに……私、渡さなかったの」
涙が頬を伝い、制服の襟元に落ちる。
その姿は、いつもの冷静な一葉ではなかった。
罪を背負い、後悔に沈む、ただの少女だった。
「私が殺したようなものなの。わかってる。でも、それでも……生きるためだったの。生きるために、私は……誰かの命を見捨てたの」
キリトは、言葉を失っていた。
胸の奥で、何かが軋む音がした。
真梨華の密会映像が脳裏にちらつく。
あれは、誰かと結託して一葉を追い詰めるためのものだったのか。
裏で仕組まれた罠。
感情を操るための演技。
そして今、目の前で涙を流す彼女は――自分の罪を隠さず、語っている。
どちらが本当の顔なのか。
どちらが、信じるに値するのか。
キリトの心の天秤は、静かに、確かに―― 一葉の方へと傾いていった。
そしてその傾きは、もう――戻らない。
一葉の涙が静かに落ちる中、背後で、何かが軋んだ。
振り返るまでもなく、そこにいたのは――真梨華だった。
その顔は、怒りと焦りに染まっていた。
けれど、どこか壊れたような、空虚な目をしていた。
「ふざけないで……!」
叫びと同時に、真梨華が一葉に向かって駆け出す。
その動きは、もはや冷静さを欠いていた。
理性の鎖が、完全に断ち切られていた。
武器も、証拠も、もう彼女には残っていない。
残されたのは――暴力という最後の手段。
「あなたなんかに、負けるはずがないのよ!」
キリトは咄嗟に一葉の前に立った。
真梨華の手が宙を裂く。
その勢いに、空気が震えた。
「やめろ!」
キリトの声が、空間を貫いた。
真梨華の動きが止まる。
その目が、リーダーを見つめる。
怒りと、悲しみと、そして――絶望。
「どうして……あなたまで、あの子の味方をするの?」
問いかけは、震えていた。
それは、恋人としての問いではなかった。
信じていた世界が崩れた者の、最後の叫びだった。
キリトは、答えなかった。
ただ、静かに一葉の肩に手を置いた。
その仕草が、すべてを物語っていた。
真梨華は、崩れるようにその場に膝をついた。
彼女の目には、涙はなかった。
あるのは、敗北の色だけ。
確実に排除できると思っていた。
でも、気づけば、自分が排除される流れになっていた。
そして、もう――武器は残っていなかった。
キリトは、口を開こうとした。
何かを言わなければ。
このままでは、彼女が壊れてしまう。
そう思った、その瞬間――
真梨華が、立ち上がった。
その動きは、ゆっくりだった。
でも、確実だった。
そして、彼女の目が一葉を捉える。
その瞳には、涙も怒りもなかった。
ただ、冷たい光だけが宿っていた。
「絶対許さない。……殺してやる」
声は、静かだった。
叫びでも、怒鳴りでもない。
まるで、天気の報告でもするかのような口調だった。
一葉は、微動だにしなかった。
キリトも、言葉を失っていた。
その場の空気が、一瞬で凍りついた。
真梨華は、誰にも触れず、誰にも振り返らず、ただその場を去っていった。
足音だけが、静かに、冷たく響いていた。
残されたのは―― 一葉の涙。
キリトの沈黙。
そして、空気の中に残る――宣告の余韻。
それは、嵐の前の静けさ。
そして、誰かが壊れる音の、始まりだった。
◇
「意外だったな。ここに来るのは一葉の予定だったんだけど」
男の声には、笑うような響きが宿っていた。
軽薄で、どこか愉快そうな音色。
真梨華は、あの部屋にいた。
本隊とは、もう行動を共にできない。
信頼も、立場も、すべてを失った。
身を寄せられるのは、ここだけだった。
「一葉狙い、だったの?」
驚いた様子もなく迎えた男に、問いかける。
声は低く、乾いていた。
「どうかな? 少なくとも、今回の一手で排除されるのは一葉だと思っていたってこと」
「……そう」
だとしたら、こいつを責めるのはお門違いだ。
一葉を貶めるために手を貸してくれていたのは、本当なのだろうから。
「一葉を、どうしたかったの?」
「とりあえず、八つ裂きかな?」
「……!?」
一瞬、息が詰まる。
でも、すぐにその言葉を飲み込む。
むしろ、それは望んでいた言葉だった。
「なら、それは――私にやらせてちょうだい。チャンスを作ってくれれば、私が……」
殺す。
その言葉は、口に出さずとも、空気が震えるほどの殺気が、全身から噴き出していた。
怒りではない。
悲しみでもない。
ただ、存在を支えるための『目的』としての殺意。
「わかった。一葉を殺す役は、君にあげるよ」
男の声は、変わらず軽やかだった。
だが、その一言が、すべてを決定づけた。
……契約が、成立した。
復讐という名の儀式が、静かに始まった。
評価いただけると続編を書く意欲に直結します




