第119話 告発されそうな女
3/3
「は? ……なにこれ……?」
一葉はスマホの画面を凝視したまま、動きを止めた。
指先が、かすかに震えている。
画面に映っていたのは、半月前の自分。
制服の襟元。
視線の角度。
声のトーン。
間違いなく、自分。
発信者は、友達登録はしてあるが、直に話した記憶のない人物。
添えられたメッセージは、たった一文。
「こんなのが流れているよ」
誰が撮った?
誰が流した?
なぜ今?
頭の中で、問いが渦を巻く。
でも、どれも答えにたどり着かない。
思考が、焦げつく。
他に発信者がいる?
それとも、これはブラフ?
でも、なぜそんな手間を?
自分が主体だと脅してくるならわかる。
でも、そうでないと見せかける意味は?
……違う。
そこじゃない。
混乱しかけた思考を、無理やり引き戻す。
重要なのは、この映像が『出回っている』という事実。
特定か、不特定か。
それはもう、問題じゃない。
誰かが見た。
誰かが、知った。
胸の奥が、じわじわと熱を帯びる。
呼吸が浅くなる。
喉が詰まる。
焦りが、皮膚の下で泡立っている。
「……どうして……今……」
声が、かすれた。
自分の声が、自分の耳に届かない。
世界が、少しずつ傾いていく。
このままじゃ、まずい。
でも、何が『まずい』のか、言葉にできない。
ただ、何かが崩れ始めている。
「あと少しで完済できるのに……!」
一葉は、唇を噛みながらスマホの画面を睨んだ。
『エリクサー』の横流しに手を染めた理由。
それは、親の負債だった。
あまりにも多額。
『探索者』であっても、まともな方法では返せない。
返せないなら――と、結婚の話まで持ち上がっていた。
相手は、母の元パーティメンバー。
かつて母を守ろうとして命を落とした女性の婚約者。
その男が、債権者。
「婚約者の死に対する損害」
「パーティの崩壊による損失」
そんな名目で積み上げられた負債。
そして、娘の一葉を差し出せば、『なかったことにしてやる』――そう言われた。
言葉は柔らかい。
でも、意味は同じ。
『娘を売れ』ということだ。
両親は、乗り気だった。
「家族のためだろう?」
「あなた、うまくやれる」
そう言って、笑っていた。
このままでは、マズい。
一葉は、焦った。
逃げなければ。
自分の人生を、誰かの『清算』に使われるわけにはいかない。
だから、担任に相談した。
「手っ取り早く稼ぐ方法はないか」と。
返ってきた答えが――『エリクサー』の横流し。
他校の知り合いに話をつけてやる。
価格は、校内の十倍。
誰も買えないようにして、外で売る。
それは、犯罪ではない。
でも、限りなく黒に近い灰色。
一葉は、迷った。
でも、同意した。
自分を守るために。
それ以来、共犯関係が続いている。
罪の意識はある。
でも、逃げるためには、踏み込むしかなかった。
倫理の境界線を、爪先でなぞるように。
一歩踏み出すたび、心が軋む。
でも、止まれない。
止まれば、すべてが終わる。
自分の人生が、誰かの『償い』に変わってしまう。
だから、一葉は今日も、罪の手前で、必死に足を踏み鳴らしている。
一葉の背筋を、冷たい汗が伝う。
胸の奥で、心臓が不規則に跳ねた。
「……やられた……」
要求がエスカレートしていたのは事実。
限界は近かった。
でも、あと少しだった。
あと少しで、すべて終わるはずだった。
『最後の取引』で、すべてを清算するはずだった。
レイドの成功。
注目の的になる。
だからこそ、リスクは避けようと、あの人とも話をつけた。
平和的に、静かに終わらせるはずだった。
なのに――なぜ、今?
掲示板の話題。
カルマに『エリクサー』を使わせなかった理由。
それが、火種になった。
「だから、なのね……!」
誰かが、意図的に火をつけた。
『今が一番燃え上がる』と見越して。
もし金が目的なら、脅してきたはず。
取引を持ちかけてきたはず。
でも、それがない。
つまり、これは『破壊』が目的。
一葉を追い込むこと。
信用を失わせること。
立場を奪い、孤立させ、『排除』すること。
「……私を、消す気なんだ」
誰が?
なぜ?
どうして、今?
思考が渦を巻く。
でも、答えは出ない。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
これは、戦争だ。
情報と感情を武器にした、静かな戦場。
そして今、 一葉はその中心に立たされている。
「敵は……あの女狐ね」
幼馴染の横で笑っていた、あの女の顔が脳裏に浮かぶ。
媚びた笑顔。
絡みつく声。
昔から、あの女は一葉の神経を逆撫でしてきた。
幼馴染のことで絡まれ、嫌がらせを受け、それでも、婚約の言質を取ったとかで、最近は大人しくしていた。
でも――
「レイドで注目されるから、不安になったのね」
一葉は、サブリーダーの心情を正確に見抜いた。
『自分の立場が揺らぐ』と感じた女の焦り。
だから、動いた。
だから、仕掛けてきた。
「……消えてもらうしかないのかしら?」
その言葉は、これまで何度も心の中で反響してきた。
でも、そのたびに思いとどまってきた。
『さすがに人殺しは』と。
けれど――「今が、ひょっとすると最後のチャンス?」
世界初の快挙を成そうとしているレイドの最中。
死人は、すでに出ている。
そこにもう一人加わったところで、誰が気にする?
「私は……一人、すでに殺している」
匿名掲示板での話。
あれは、ある意味で正しい。
気づいていた。
でも、言わなかった。
『エリクサー』を投げ渡すだけのことを、しなかった。
確実に死ぬとわかっていたのに。
「一人も二人も、変わりゃしない……」
『エリクサー』。
一葉にとって、それはもう貴重でも高価でもない。
材料さえあれば、いくらでも作れる。
命を救うはずのそれが、今や『命を選別する道具』になっている。
命の値段は、下がった。
自分の手の中で、命の価値が軽くなっていく。
「そのためには……」
あの女が消えたとき、一番騒ぐのは、あの幼馴染だろう。
今や、全校生を統率するレイドリーダー。
睨まれたら、厄介だ。
だから、先に手を打つ。
「仕方ない……女狐の真似なんてしたくないけど、色仕掛け……使いますか」
唇にリップを引く。
香りを選ぶ。
目元に艶を足す。
自分を『武器』に変える準備。
嫌悪感が喉の奥に滲む。
でも、今は飲み込む。
勝つために、堕ちる。
一葉は、リーダーの元へと歩き始めた。
その足取りは、静かで、迷いがなかった。
評価いただけると続編を書く意欲に直結します




