第114話 鬼は、笑う
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暗闇の中で、何かが揺れた。
涼香の魂が、静かに震えた。
「涼香──」
声がした。
聞き慣れた声。
でも、ここに届くはずのない声だ。
カルマだった。
あの、何も知らずにいた後輩。
あたしが、苛立ち、モヤモヤしながらも、放っておけなかった奴。
「オレのダンジョンのモンスターになれ」
その言葉が、涼香の中に響いた。
命令のように。
祈りのように。
呪いのように。
「・・・は?」
涼香は、思わず呟いた。
でも、声は出ていない。
魂だけが、震えていた。
カルマがそんなことを言うはずがない。
でも、このダンジョンが、そう『言わせている』。
もしくは、『伝えている』?
涼香の魂は、まだ『留め置かれている』。
蘇生の可能性があるから。
でも今、別の可能性が提示された。
『妖怪になる』という選択。
それは、死者として終わることを拒む道。
人間としての復活を、自ら手放す道。
人間としての鈴谷涼香は、もう終わった。
焼け焦げた戦場に、あの姿はもうない。
でも――『鬼』としてなら、まだ続けられる。
怒りを燃料に。
後悔を鎧に。
罪を角に変えて。
「……あたしが、モンスターに?」
魂の奥で、誰にも届かない声が揺れる。
それでも、どこかで思ってしまう。
それで、誰かを守れるなら。
それで、あの声に応えられるなら。
涼香の魂が、ゆっくりと沈んでいく。
けれど、その沈黙の底で、何かが芽吹いていた。
黒く、赤く、熱を帯びた『角』のような感情が。
「・・・ふざけんなよ」
怒りでも、拒絶でもない。
ただ、『生きることの意味』を問うような声だった。
カルマの声が、もう一度響いた気がした。
「お前は、まだ終わってない」。
それが、ダンジョンの『システム』の声なのか、涼香自身の願いなのか、もう、わからなかった。
でも──涼香の魂は、揺れていた。
そして、その『なにか』は戻ってくる。
その言葉は、声ではなかった。
でも、確かに『聞こえた』。
「お前の罪は、死んだからって消える程度のものなのか」
涼香の魂が、震えた。
焼け焦げた記憶が、蘇る。
カルマを『爆弾』として使った。
仲間たちを『道具』として消費した。
自分もその一部だった。
「・・・死んだから、終わりじゃないの?」
呟いたその言葉が、あまりに弱かった。
『逃げ』のように聞こえた。
涼香は、死を受け入れた。
それが、償いだと思っていた。
でも──、それは『逃げ』だったのかもしれない。
カルマは、何も知らずにいた。
その顔を、涼香は苛立ちとともに見ていた。
でも今、その顔の裏にあった『無知と信頼』が、胸を刺す。
「あたしが、殺したんだよな……」
誰も止めなかった。
誰も責めなかった。
でも、涼香だけは、自分を赦せなかった。
焼け焦げた記憶が、魂の奥で再生される。
カルマの背中。
仲間の叫び。
返された魔法の光。
焼けた空気の中で、崩れていく命。
死んだからって、終わりじゃない。
命一つで、償えるような罪じゃない。
それが、魂に刻まれた『答え』だった。
涼香は、震えながら思った。
なら――生きて、背負うしかない。
人間としてではなく。
罪を抱えた『鬼』として。
それが、涼香の『再生』だった。
「・・・なら、どうすればいいの?」
その問いに、答えはなかった。
ただ、『妖怪になる』という選択肢だけが、静かに浮かんでいた。
暗闇の中で、記憶が揺れた。
焼け焦げた戦場。
叫び。
怒り。
そして──『扇動者』の発動。
仲間の目が、狂気に染まった。
涼香は、叫んだ。
「私は鬼になる!」
その言葉が、今になって胸に突き刺さる。
「・・・あたし、あのとき、もう人間じゃなかったんだ」
守るために、壊した。
生かすために、殺した。
その選択をした時点で、『人間』という枠から外れていた。
だから、今『妖怪になれ』と言われても、驚きはなかった。
むしろ、当然の流れのように感じた。
でも──「じゃあ、あたしは何のために妖怪になるの?」
問いが、魂の奥から湧き上がる。
償いのため?
復讐のため?
それとも、誰かを守るため?
「もう、守る相手なんていないじゃん・・・」
涼香は、ひとりだった。
仲間は死んだ。
カルマは、遠い。
自分は、もう人間じゃない。
「じゃあ、あたしは、何のために生きるの?」
その問いに、答えはなかった。
「考えてもわからないな」
自嘲の笑みを浮かべたい気持ちになる。
私はもともと考えるのは苦手なんだ。
走り出してから考えるタイプ。
なら・・・。
「いいよ。モンスターでも、妖怪でも、なってやるさ。あとのことは、あとで考える」
それは、逃避ではない。
存在をかけた選択。
誰もいない暗闇の中で、涼香の魂が、静かに、しかし確かに、前へと踏み出した。
考えるのは苦手だ。
でも、走ることはできる。
迷っても、転んでも、立ち上がることはできる。
それが、涼香という少女の――生きる道。
たとえその道が、人の形を捨てた『鬼』の道であっても。
◇
「『鬼』完成!」
雄々しく立った『鈴谷涼香』改め、妖怪となった『童子丸らうら』——『童子丸』は『未熟でも真っ直ぐな魂』を意味し、『らうら』は『炎の揺らぎ』を表す古語由来——を眺める。
筋肉質で赤銅色の肌。
頼れる赤鬼さんだ。
「・・・・・・」
戦場の残滓がまだ肌に残っている。
筋肉は動く。
でも、心がまだ追いついていない気がした。
らうらは、赤銅の肌に魔力の余熱を纏いながら、静かに歩き出し・・・た?
ドンッ!
肩がぶつかった。
反射的に。
無意識に。
そこに、カルマがいたから。
爆発して死んだはずなのに。
消えたはずなのに。
そう思って気付く。
あの声は、やはりカルマだったのだと。
顔が見えた瞬間、ついぶつけに行った肩を見る。
それは、涼香だった頃の『癖』だった。
カルマは、よろけながら目を丸くした。
らうらも、思わず目を丸くして見つめ返した。
「・・・あっ」
らうらが呟く。
カルマが、ぽかんとした顔で見つめる。
そして──。
ふたりは、同時に笑った。
「なんだよ、今の」
カルマが肩をさすりながら言う。
「・・・知らん。勝手に動いた」
らうらが、照れくさそうに目をそらす。
その笑いは、焼け焦げた記憶の中に差し込んだ、最初の光だった。
涼香だった頃の『癖』。
らうらとしての『始まり』。
その二つが、肩先で重なった。
カルマの笑顔が、まるで『おかえり』と言っているようで、らうらは、ほんの少しだけ、目を細めた。
『妖怪』たちが、その様子を見て、静かに頷いた。
どこか、自分たちに似ている。
でも、どこか、違う。
カルマが『レア』と呼ぶ『人間』の種類。
その輪郭が、ようやく見えてきた気がした。
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