第106話 ひとり ~そして、ひとり~ 前編
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──風が、止んだ。
雷が、沈黙した。
哄笑は、空に吸い込まれ、跡形もなく消えた。
葉隠霞は、立っていた。
戦場の中心で、ただ一人。
足元には、砕けた羽根。
焼け焦げた甲殻。
裂かれた刃の破片。
敵の姿は、もうない。
仲間の声も、どこにもない。
風は、彼女の周囲をかすかに流れていた。
それは、ただの空気の動き。
熱を奪い、静かに通り過ぎていくだけの、無機質な流れ。
霞の手には、まだ雷の残滓があった。
指先に残る微かな痺れと、焦げた匂い。
団扇は、地面に落ちたまま、乾いた音を立てて転がっている。
肌には、風の痕跡のような痕が残っていた。
赤く、熱を帯びた線が、腕から肩へと走っている。
「・・・終わった?」
その声は、かすれていた。
誰に向けたものでもない。
ただ、空気に溶けていくように。
返事はない。
風は吹き抜けるだけ。
雷は、もう音を立てない。
霞は、ゆっくりと周囲を見渡した。
誰もいない。
敵も、仲間も、誰も。
「・・・あたし、ひとりか?」
その言葉も、風にさらわれていく。
胸の奥で、雷のような鼓動が静かに響いていた。
それは、まだ終わっていないと告げるようで、それでも、何も始まらないままだった。
力は、まだ霞の中にあった。
だが、それを向ける先がない。
怒りも、恐怖も、歓喜も、すべてが行き場を失い、霞の中で渦を巻いていた。
彼女は、立っていた。
風の中で。 雷の余韻の中で。
そして、孤独の中心で。
──葉隠霞。
その名を呼ぶ声は、もうどこにもない。
ただ、霞の中にだけ、その名が残っていた。
そして、静寂の中で──霞は、初めて『自分の声』だけを聞いた。
それは、風でも雷でもない。
誰かの囁きでもない。
ただ、自分の中から響いてくる、荒く、乾いた、知らない声だった。
「・・・これが、あたし?」
その声に、答える者はいなかった。
──肉体は、もう形を保てなかった。
皮膚は裂け、骨は軋み、風紋は暴走し、雷紋は焼き尽くした。
葉隠霞の身体は、崩れ落ちていた。
けれど──力は、まだそこにあった。
風が、彼女の周囲を巡る。
それは、もはや空気の流れではなかった。
霞の『気根』——根幹そのものが、空間に染み出していた。
雷が、地面を這う。
それは、もはや電気ではなかった。
霞の『怒り』と『願い』が、形を変えて残っていた。
彼女の肉体は、崩れた。
だが、彼女の『存在』は、まだ消えていなかった。
──霞の名を、誰かが呼んだ。
遠くから、かすかな声。
それは、風に乗って届いた。
雷の残響に混ざって、霞の『耳』に届いた。
「・・・かすみ」
その瞬間、風が揺れた。
雷が、脈を打った。
崩れた肉体の中で、何かが震えた。
それは、霞の『意識』だった。
まだ、そこに残っていた。
まだ、『名前』を覚えていた。
「・・・あたし・・・」
風が、彼女の名を思い出す。
雷が、彼女の心を探し始める。
──葉隠霞。
その名が、もう一度、風に刻まれた。
その名が、もう一度、雷に焼き付けられた。
そして、崩れた身体の中で──霞は、もう一度、目を開けようとしていた。
風は、彼女の名を囁き続けていた。
雷は、彼女の心を離さなかった。
魂は、肉体を離れながらも、力の残滓に吸い寄せられていた。
霞は、意識の深淵で目を開ける。
そこは、風と雷の渦の中。
彼女の『存在』だけが、そこに浮かんでいた。
ふと、視線を巡らせる。
──屍。
無数の屍が、風に晒されていた。
敵のものだけではない。
──仲間たちも、そこにいた。
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