第105話 風雷の残響 ~吹き返し~ 後編
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──風が、咆哮した。
雷が、地を裂いた。
葉隠霞の周囲は、もはや嵐だった。
敵の羽音は、風に引き裂かれ、仲間の悲鳴は、雷鳴にかき消された。
地面が割れ、空が軋む。
霞の目は、ただ前を見ていた。
その先にあるのは、敵でも仲間でもない。
ただ、『壊すべきもの』という認識だけ。
「まだ・・・ある」
霞は、自分の胸に手を当てた。
鼓動が、雷のように打ち続けている。
風が、内側から吹き荒れている。
骨の隙間をすり抜け、血管の中を駆け巡る。
「まだ、奥がある。まだ、出してない。まだ、『あたし』は全部見せてない」
その言葉は、誰に向けたものでもない。
ただ、自分の奥底に眠る『何か』への呼びかけだった。
「出てきていいぞ。狂ってもいい。壊れてもいい。だって、あたしは──」
雷が、彼女の背から噴き出す。
風が、彼女の足元を巻き上げる。
髪が逆立ち、赤と金が炎のように燃え上がる。
「これが、あたしの『本当』なんだろ?」
その瞬間、彼女の瞳が変わった。
赤の中に、金の閃光が走る。
風紋が、肌の上で踊り、雷紋が腕に刻まれる。
──そして、霞は笑った。
その笑みは、もはや人のものではなかった。
喜びでも、怒りでもない。
ただ、力に満たされた者だけが浮かべる、無垢な笑み。
「さあ、全部壊そうか」
団扇が、彼女の手に戻る。
だが、それはもはや『武器』ではなかった。
彼女の意思を具現化する、『風雷の核』だった。
敵が怯む。
羽音が乱れ、群れが空中で足踏みする。
カマキリの刃が震え、蜂の針が狙いを失う。
仲間が、言葉を失う。
誰もが動けない。
霞の背中を見て、ただ立ち尽くしていた。
でも霞は、笑っていた。
「全部、出してやる。風も、雷も、あたしの狂気も──全部だ」
──覚醒への二歩目。
それは、彼女が『人であること』を手放し始めた瞬間。
風が、彼女の名を呼んだ。
その声は、耳ではなく、骨の奥に響いた。
雷が、彼女の心を焼き始めた。
その熱は、感情を溶かし、形を変えていく。
──風が、笑った。
──雷が、歓喜した。
葉隠霞の中で、何かが『這い出てきた』。
それは、ずっと奥に潜んでいた。
彼女が人であるために、乙女であるために、決して触れなかった『底』。
常識。
理性。
躊躇い。
それらは、風の刃で切り裂かれ、雷の衝撃で粉砕された。
霞の瞳は、もう『霞』ではなかった。
赤と金が混ざり合い、瞳孔が細く縦に裂ける。
その奥で、狂気が笑っていた。
「──あはっ」
最初は、小さな笑いだった。
喉の奥で転がるような、くぐもった声。
でもそれは、風に乗って広がっていく。
雷に乗って、戦場を震わせていく。
「アハハハハハハハッ!!」
哄笑が、空を裂いた。
風が共鳴し、雷が空を駆ける。
その音は、もはや自然のものではなかった。
敵が怯む。
仲間が凍る。
誰もが、その笑いに『人の気配』を感じなかった。
霞の中で、何かが目を覚ました。
それは、風の中に潜んでいた『声』。
雷の奥に眠っていた『意志』。
笑っているのは、『私』?
それとも、風の中の『誰か』?
霞は、自分の中にいる『もう一人』の存在を感じていた。
それは、彼女の力であり、彼女の影。
そして今、彼女の顔をして、彼女の声で、笑っていた。
一瞬だけ、霞の中に浮かんだ疑問。
「これは、本当に『あたし』なのか?」
──それはすぐに、風に吹き流された。
まるで、そんな問いは『不要』だとでも言うように。
霞は、舞った。
葉団扇は、もはや武器ではない。
それは、風と雷を呼ぶ『呪具』となった。
彼女の手の動きに合わせて、空気が裂け、雷が地を駆ける。
一振りで、蜂の群れが散り、カナブンの羽が千切れ、カマキリの刃が空中で砕けた。
──蹂躙。
それは、戦いではなかった。
それは、祭りだった。
狂気の祭り。
風と雷が踊り、哄笑が吹き荒れる。
「これが、あたしだよ。これが、葉隠霞の『気根』だ。見てろ。全部、壊してやる」
それは、彼女の奥底に眠っていた『根』のような力。
風と雷の源であり、彼女の本質を支える『気の根』。
霞は、それを今、解き放とうとしていた。
──風が、彼女の名を忘れようとしていた。
その囁きは、もう「霞」とは呼ばなかった。
ただ、力の渦の中心にある『何か』として、彼女を認識し始めていた。
──雷が、彼女の心を焼き尽くそうとしていた。
感情も、記憶も、願いも。
すべてを焼いて、ただ『力』だけを残そうとしていた。
狂気か、霞か。
その境界は、もう風に流されていた。
風は、もう背を押してくれない。
今は、彼女の足元を試すように吹いている。
「お前は、どこまで行ける?」
「お前は、どこまで壊れる?」
霞は、答えなかった。
ただ、団扇を振る。
風が唸り、雷が咆哮する。
──その瞬間、遠くで誰かが叫んだ。
「かすみっ!」
風が、わずかに揺れた。
雷が、ほんの一瞬、脈を止めた。
霞の瞳が、微かに揺れた。
その奥に、まだ『誰か』が残っているのかもしれない。
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