第90話 最下層の討伐者たち ~糸に絡め取られた欲望~ 中編
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「あ、あれ? 中身がな・・・ッ!?」
イクヨの声が、不自然に途切れた。
その場の空気が、一瞬で変わった。
ぬるく、湿った気配が、背筋を這い上がってくる。
「え゛・・・?」
誰かが、間の抜けた声を漏らした。
視線が、宝箱に集まる。
そこから――足が、はみ出していた。
イクヨの、白い足。
スカートの裾がめくれ上がり、太ももが無防備に晒されている。
その足が、必死にバタついていた。
「ちょ、ちょっと!? なにこれ、なにこれぇっ!!」
宝箱の中から、カサカサと何かが蠢く音がする。
黒くて、平べったい『ナニカ』を思わせる、嫌な音。
その音に混じって、肉が擦れるような、湿った音が聞こえた。
「うそ・・・」
誰かが呟いた。
宝箱は、笑っていた。
歪んだ口が、イクヨの腰を挟み込んでいる。
ノコギリのような刃が、内側にびっしりと並んでいた。
「い、痛っ・・・やだ、やだやだやだっ!!」
イクヨの叫びが、部屋に響く。
だが、誰も動けなかった。
あまりに唐突で、あまりに現実離れしていて、思考が追いつかない。
彼女の白い足が、空を蹴るように暴れる。
スカートの裾が乱れ、下着が見えていることすら、もう誰も気にしていなかった。
彼女自身も、羞恥を感じる余裕などなかった。
刃が、肉を裂く音がした。
足を伝って、赤黒い血が流れ落ちる。
糸の床に、じわりと染みを広げていく。
「た、助けて・・・っ!」
その声は、かすれていた。
痛みか、恐怖か、あるいは体から抜けていく『何か』のせいか。
足の動きが、徐々に弱まっていく。
「た、助けないと!」
ようやく我に返ったリーダーが、駆け出そうとした――その瞬間だった。
シュワッ!
「うっ・・・!?」
視界が、白く染まった。
部屋の奥壁から、放射状に糸の束が放たれる。それはまるで、生き物のように空間を這い、網のように広がった。
「い、糸・・・!?」
リーダーの体が、瞬時に拘束された。
粘着質の糸が、肌に貼りつき、服の上からでも動きを封じる。
まるで、獲物を包む蜘蛛の巣のように。
「う、ウソ・・・こんなの、動けるわけ・・・!」
「だ、誰か! 動ける人は!?」
「ムリ!」
「完全にくっついてるよぉ!」
「右足だけは動く。でも、これじゃなんもできねぇよ!」
必死の問いかけに返ってくるのは、絶望の声ばかりだった。
誰一人、まともに動けない。
糸は、ただの素材ではなかった。
それは、罠だったのだ。
『初見殺し』――その言葉が、頭をよぎる。
知らなければ、避けようがない。
気づいたときには、すでに遅い。
「ここは・・・ダンジョンだった・・・!」
リーダーが、血を吐くように呟いた。
その言葉が、全員の胸に突き刺さる。
「攻撃性が低そうなのが救いかしらね・・・」
誰かが、震える声で言った。
糸を吐いたのは、カイコのようなモンスター。
今のところ、こちらに襲いかかってくる気配はない。
「みんな・・・あまり騒がないで。モンスターを刺激しないようにして、助けを待ちましょう」
リーダーの声は、かすかに震えていた。
けれど、それでも冷静を装っていた。
『“自分が壊れないため』に。
「・・・あたしらは、いいけど・・・」
エリが、そっと視線を向けた。
その先には、まだ宝箱に半身を呑まれたままのイクヨがいた。
誰もが、わかっていた。
彼女は、もう助からない。
「ダンジョンでは、人死にが出るものよ」
誰かが、色のない声で言った。
それは、慰めでも励ましでもなかった。
ただの、現実だった。
「保険も、年金もある。だったか?」
「安心して・・・なのね」
その言葉を最後に、イクヨは『仲間』ではなくなった。
誰もが、目を逸らした。
誰もが、自分が助かる方法を考え始めた。
「大丈夫。助けは来るから・・・待てばいいだけ」
リーダーの声は、もはや自分に言い聞かせるようだった。
待つしかない。
それ以外に、できることはなかった。
誰も、声を出さなかった。
糸の粘着音だけが、部屋を満たしていた。
ただ、一人――いや、二人。
わずかに身じろぎした者がいた。
肩が震え、指がわずかに動いた。
何かできることがあるのではないか。
そう思った。
そう、確かに思った。
でも、口に出せなかった。
「助けよう」と言えば、誰かが動かなくてはならなくなる。
その『誰か』に、自分がなるかもしれない。
それが怖かった。
だから、声を飲み込んだ。
だから、動かなかった。
その沈黙は、誰にも気づかれなかった。
でも、本人の中では、確かに残った。
焼きつくような後悔として。
六人が、五人になろうとしていた。
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