第84話 妖怪制作⑤ 鶴女房 ~風を選ぶ者~ 前編
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そこに立つことは少しばかり気が重かった。
『誰』が『居た』かを知っているからだ。
全体を俯瞰する上空からの映像であってさえ、彼女の存在は目を惹きつけるものだった。
「確実に『ネームド』案件なんだよな」
能力・実力ともに、群を抜く人物だった。
「完全主義が痛かったけどね」
思い出して、微苦笑が出た。
『妖怪』たちも「あー、わかる—」って顔をしている。
◆42階層の追憶◆
「目に入るだけで、虫唾が走るわ」
戦闘後、魔力の補充のために引きずられてきたカルマ。
その姿を見た瞬間、鋭い声が空気を裂いた。
怒鳴っているわけではない。
けれど、その声音は、氷の刃のように鋭く、冷たく、拒絶を突きつけてくる。
「なんで、こんな半端者に頼らなきゃいけないのよ。ポーションで充分。いいえ、それすらいらないわ」
声は静かだが、言葉の一つ一つが毒を含んでいた。
その毒は、足元からじわじわと空気を濁らせていく。
「今すぐ同じ規模の戦闘が起きたって、魔力切れなんて起こさせやしない。私は、アンタたちとは違うのよ」
数を頼る必要もない。
数発で息切れするような魔力量でもない。
無駄撃ちするような愚かさもない。
そう言っている。
事実だ。
誰も否定できない。
だからこそ、場の空気は重く沈んでいく。
『あなたたちとは違う』―― その言葉は、カルマだけでなく、彼を連れてきた者たちにも突き刺さる。
まるで、同じ空気を吸うことすら不快だと言わんばかりに。
彼女は、いつもそうだった。
魔法の精度、詠唱の速度、魔力の配分。
すべてにおいて『完璧』を求める。
それが当然だと信じて疑わない。
だから、少しでもミスをした者には、容赦がない。
「・・・それでも、これは学校のルールよ。従いなさい」
レイド全体のサブリーダーが、冷たく言い放つ。
彼女は、わずかに唇を噛んだ。
「・・・くっ、さっさと済ませなさい」
ガシッ。
「・・・ッ!」
無造作に踏み出された足が、カルマの胸を強く圧した。
蹴ったわけではない。
けれど、意図的でないとは言い切れない。
その重さは、ただの偶然にしては、あまりにも『的確』だった。
「あら、ごめんあそばせ」
顔はそっぽを向いたまま。
謝罪の言葉は、まるで『踏んだ靴の泥を払う』ような軽さだった。
カルマの存在など、最初から視界にない。
ただの『靴拭き布』として扱われている。
その後、足の動きはゆっくりになった。
けれど、それは気遣いではない。
ただ、魔力の流れを整えるための『作業』に過ぎなかった。
「魔力量だけは、アンタに勝てないわね」
他のすべてでは、勝っているけど。
比べるまでもないけど。
言葉にされない蔑みが、空気を震わせる。
彼女の『完璧』は、誰のためでもない。
ただ、自分が『正しくある』ためのもの。
だからこそ、誰も彼女に近づこうとしない。
その孤高さは、まるで刃のようだった。
◆比翼連理◆
「詠唱、あと三秒!」
小夜の声が震えていた。
焦りと恐怖が混ざった声だった。
仲間の盾役が、巨大なダンゴムシの突進を正面から受け止める。
その衝撃で地面が軋み、盾が悲鳴を上げる。
横ではカマキリの鎌が魔法使いの杖を弾き飛ばし、空には蜂の群れが広がっていた。
カナブンの羽音が、耳の奥を刺すように響く。
その瞬間、小夜は悟った。
これは、もうダメだ。崩れる。
「鶴よ、舞って・・・!」
風を呼ぼうとした。
けれど、風は乱れた。
羽根は空中でばらばらに散り、魔法は形にならなかった。
詠唱が終わる前に、鋭い痛みが胸を貫いた。
蜂の針だった。
視界が揺れる。
仲間の叫び声が遠ざかっていく。
目の前には、白い羽根が舞っていた。
それは、彼女の魔法スキル『銀鶴』が暴走し、彼女の命を守ろうとした痕跡だった。
虫たちは去った。
仲間たちは倒れていた。
小夜の体の上に、羽根が円を描いていた。
呼吸は浅く、心臓の鼓動も弱々しい。
それでも、意識はまだ残っていた。
彼女は、ほんの十数時間前のことを思い出していた。
あのとき、自分は仲間を死地に送った。
本人には何も告げずに。
その作戦が『戻れない』ものだと、彼女以外の全員が知っていた。
そして、『彼』は消えた。
結果だけを残して。
小夜は知っていた。
止めることもできた。
でも、しなかった。
見て見ぬふりをした。
考えるのをやめた。
「生きるために仕方なかったのよ」
そう自分に言い聞かせた。
風の中に閉じこもって、耳を塞いだ。
でも、わかっていた。
それが言い訳にもなっていないことを。
自分が『聡明』と呼ばれてきたことを思い出すたび、胸が痛んだ。
本当に生きたいだけなら、挑戦なんてやめればよかった。
「無理でした」って言って帰ればよかった。
でも、やめなかった。
なぜか?
全体のため?
違う。
それは建前だった。
本当は、欲しかった。
初のダンジョン制覇という称号。
それに付随する富と名声。
将来の保証。
輝かしい未来。
そのために、仲間を犠牲にした。
自分の私欲で、誰かを死なせた。
彼女の魔法は、それを知っていた。
風は、彼女の心を映す。
詠唱のたびに、魔法は彼女の欺瞞を見抜いていた。
そして、最後の戦い。
彼女はまた、生き延びようとした。
「今度だって、死なない。生き延びてみせる」
そう願った、その瞬間だった。
蜂の針が、容赦なく胸を貫いた。
あっけなかった。
逃げた意味も、裏切った理由も、風にさらわれて消えていった。
栄誉も、富も、未来も。
すべてが、彼女の体と一緒に崩れ落ちた。
彼女の魔法『銀鶴』は、かつては優雅だった。
鋭いくちばしと細い首で敵を貫き、翼で斬り裂く。
その姿は、誰かが『銀色の鶴』と呼んだほどだった。
けれど今、その羽根は重く、濁っていた。
それは、彼女の執着と後悔の残響だった。
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