第80話 裏切られる巫女 ~祈りを失った者の問い~ 前編
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(曽根崎志乃視点)
夕暮れのダンジョンは、まるで戦場だった。
空は灰色に染まり、風は血の匂いを運んでくる。
「・・・なんで?」
志乃の唇から、呟きがこぼれた。
ここは『安全地帯』のはずだった。
敵の侵入はないとされていた。
けれど、それはただの幻想だった。
虫がいた。
敵意すらない。
ただ、捕食のために動く存在。
「ああ・・・そうね。これが、ダンジョンよね」
世界中にあるダンジョンの噂。
そのどれもが、探索者を誘い、食らうための仕掛けに満ちている。
弱い敵と、ほどほどの報酬。
奥へ進むほどに、敵は強く、報酬は魅力的になる。
それは、誘い。
罠。
そして、終わりへの道。
安全地帯など、最初から存在しない。
それを信じていた自分たちこそが、愚かだった。
「みんなが、無事に切り抜けられますように!」
シャン。
志乃は祈る。
それが、彼女の役目だった。
シャン。
味方の足が止まらぬように。
敵の爪が鈍るように。
戦場に響く鈴の音は、希望の音だった。
シャン。
その祈りは、何度も仲間を救ってきた。
彼女は『戦巫女』と呼ばれ、守り神のように崇められていた。
……シャン……
祈りは、まだ届くと信じていた。
だが――祈りは、届かなくなる。
虫の軍勢が、予想を超えていた。
防御陣は崩れ、戦線は崩壊寸前。
志乃は悟る。
これは、終わる。
その瞬間、誰かが叫んだ。
「ここにも爆弾がある!」
腕を掴まれる。
振り返ると、そこには仲間たち。
いつも祈りを受けていた者たち。
その中の一人――『リーダー』と呼ばれていた後輩が、彼女の手に石を握らせた。
「ごめんね。でも、いつもみたいに守ってくれるでしょ?」
その石は、爆裂玉。
昨日、使い捨てられた仲間が持たされていたもの。
それを渡された意味は、あまりにも明白だった。
「感謝はしてるよ? 本当に。でも・・・死にたくないの!」
その言葉は、志乃の耳には届かなかった。
爆裂玉に光が宿り、彼女の魔力を吸い上げていく。
破滅の光が、彼女の祈りを飲み込んだ。
その瞬間、志乃は巫女ではなくなった。
祈る者ではなく、捧げられる者。
ただの『贄』として、そこに在るだけの存在になった。
鈴の音は、もう響かない。
祈りは、もう届かない。
彼女の問いは、風に溶けていった。
◇妖怪化後◇
そして、死。
祈りを捧げ続けた魂は、仲間に見捨てられ、静かに砕けた。
その欠片を拾い上げたのは、悪しき神――『ダンジョンマスター』と呼ばれる存在だった。
「君の祈りは美しい。でもね、裏切られた者の祈りは、もっと美しいんだよ」
クスクスと笑う声。
あの時と同じ。
ただ、立場は逆転していた。
彼――カルマは、志乃に手を与えなかった。
足も、与えなかった。
片目すら、空洞のままにした。
「祈るしか能がない女。それが、君だろ?」
それは、かつて志乃が彼に向けた言葉。
今、そっくりそのまま返される。
意趣返し。
わかりやすく、そして痛い。
達磨として目覚めた志乃は、もう祈らない。
祈る資格がない。
祈りは、誰かを守るためのものだった。
だが、あの瞬間、自分は『誰かの盾』として差し出された。
誰が石を用意したのか。
誰が彼女を選んだのか。
もう、どうでもよかった。
気にしてはいけない。
なぜなら――
彼女の想いは、彼の想いでもあるから。
カルマ。
かつて人間だった彼。
名も知らぬ兵士ではない。
名を知っていた。
声を知っていた。
少なからず、関わりがあった。
それでも、彼を見捨てた。
戦場に置き去りにし、敵の前に差し出した。
死の間際、彼は口元を歪めていた。
あれは、きっと自嘲だった。
裏切られ、使い潰される自分を、笑っていた。
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