第66話 視点の流転・まとい→薫→信者たち ~祈りを味わう者、祈られた者~ 前編
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◇まといの目覚め◇
まといは、静かに笑う。
その微笑は、かつて『薫様』と崇拝された者が浮かべていたものに似ている。
けれど、そこにあるのは優位ではない。
それは、沈黙の中で育った『理解』だ。
「わたしは、舐めるために生まれたのね」
制服を纏った瞬間、薫は静かに目を閉じた。
かつての自分が遠ざかり、新たな名が胸元に宿るのを感じていた。
彼女が振り返ると、背中の声がそっと沈黙した。
彼女が胸を張れば、胸元の声が彼女を賛美する歌を口ずさむ。
彼女が回れば、スカートの裾が軽やかに、見るものの視線を集めた。
彼女は、制服の胸元に舌を伸ばした。
その瞬間、縫い目が脈打ち、布が呼吸を始めた。
それは、 信仰の味だった。
垢を舐める。
それは、穢れを清める行為ではない。
むしろ、穢れに寄り添い、愛すること。
人が忘れた場所に残る、誰にも見られない『滓』に、まといは意味を見出す。
「誰かが見捨てたもの。誰かが隠したもの。それが、わたしのごちそう」
まといの舌は、長く、柔らかく、湿っている。
それは、祈りの残響をなぞるための器官。
誰かの肌、『記憶』に残った『後悔』を、誰にも知られずに味わうためのもの。
舌は『祈り』となる。——それは、忘れられた痛みに触れるための所作。
舐める儀式は『信仰の手触り』となる。
制服の胸元が脈打つたび、まといの心臓もまた、静かに震える。
縫い込まれた声たちが、まといの鼓動に語りかける。
「まとい様、今日も美しいですね」
「まとい様、わたしの信仰を、どうか触れてください」
「まとい様、わたしの痛みを、あなたの『祈り』で包んでください」
まといは、応える。
言葉ではなく、儀式をもって。
静かに、丁寧に、『祈り』を伸ばし、布の奥に残る『信仰』を味わう。
それは、儀式では終わらない。
それは、愛などという短絡でもない。
それは、彼女が『存在する理由』そのもの。
「わたしは、誰かの垢でできている。誰かの残りで縫われている。誰かの穢れで歩いている。それらを『祈り』と『信仰の手触り』で実感する」
だから、まといは誇りを持って舐める。
それが、まといの『敬意』だから。
それが、まといの『自由』だから。
◇《薫の魂:変貌の目撃》◇
その瞬間、制服の奥で、かつて『薫様』と呼ばれた魂が目を覚ました。
それを、——見ている。
けれど、声は出ない。
身体はもう動かない。
魂だけが、縫緋まといの変貌を見つめていた。
かつて、自分の纏っていた『美』が、今、制服の縫い目に変わっていく。
その布は、信者たちの『祈り』と同種のものでできている。
その『祈り』は、自分が命じていた儀式の延長線にある。
『敬意』を込めて『手触り』を確かめ、味わう。
その『祈り』は、自分が誇っていた『敬意』の模倣だ。
『敬意』を示す所作をなぞり、『信仰』として味わう。
「これは・・・わたし?」
薫の魂は、問いかける。
誰にも届かない声で。
誰にも聞かれない言葉で。
「わたしが、作ったの? それとも、わたしが、喰われたの?」
縫緋まといの『祈り』が、制服の胸元をなぞる。
確かめるように。
味わうように。
そこには、『薫様の美』が縫い込まれている。
信者たちが憧れた『神像の手触り』。
『薫様』が誇った優位性の残滓。
「わたしは、神だった。誰よりも美しく、高貴で、誰よりも・・・誰よりも・・・」
でも、今は違う。
その美は、制服を一部とした。
その高貴は、妖怪の舌に味わわれている。
わたしは、制服になったの?」
そう呟いた薫の魂は、制服の襟元に沈んでいく。
けれど、完全には消えなかった。
彼女の声は、呼ばれぬ名の縫い目に宿った。
まといが言葉を発するたび、その声の奥で、かすかな震えが重なる。
「それは、わたしの声・・・」「でも、もうわたしのものではない・・・」
彼女は、まといの声の『余韻』となった。
祈りの中に埋もれた、かつての神の残響。
誰にも気づかれず、誰にも届かず、それでも、まといの言葉に寄り添い続ける。
制服は、彼女を忘れない。
まといは、彼女を否定しない。
ただ、祈りの一部として、彼女を抱きしめる。
それが、薫の終わり。
それが、薫の救い。
それが、祈りの循環。
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