第61話 妖怪制作③ ~垢嘗め~ 中編
2/3
「どうしたのです? いつものことですよ?」
薫様の声は、絹のように柔らかく、冷たい。
白魚のような指が、静かに自身の肌を叩く。
その場所は、視線を誘うために選ばれた『祭壇』のようだった。
透き通るような白い肌。
それは、ただの美しさではない。
祈りを捧げるための『神聖な布』のように、光を受けて輝いている。
天上の肌触り。
春の陽だまりのようなぬくもり。
それは、触れることが許される者だけが知る感触。
『シルクスキン』。
その言葉が、自然と浮かんだ。
信仰と支配が織り込まれた霊布。
今、彼女はそれを誇示している。
誘惑ではない。
反応を試す儀式の一部。
『無限魔力』による供給。
それは、彼女の身体を通じて行われる『契約の更新』だった。
普段は、布の仕切り越しに行われる。
手を伸ばすと、信者の一人が手を取って位置を固定する。
合図を受けてから、作業に入る。
まるで、神像に触れるための儀式の手順。
薫様の周囲には、彼女を守る女子たちの派閥がある。
儀礼の場は、常に彼女の意志で動いていた。
「始めます」
数歩進み、手の位置を確認する。
目を閉じる。
視線を交わすことすら、儀式の妨げになる。
「今回のレイドは、普段と趣が違いますからね。いろいろと考えたのです。あなたの使い方、とかもその一つよ?」
副音声が、空気に刺さる。
上から押さえつける言葉。
それは、彼女の支配が『声』によっても行われている証。
「終わりました」
魔力の供給が完了した。
目は閉じたまま。
「目を開けて?」
その声音は、命令を包んだ絹。
優しさの仮面をかぶった支配の言葉。
ゆっくりと目を開く。
息が詰まる。
目の前に、薫様の足がある。
素足が、神像の台座のように静かに迫っていた。
「あなたは弱いですし、ダンジョンは危険ですからね。あなたを一人にさせておくのは、可哀想に思えたのですよ。ね?」
「・・・はい」
「何よりあなたは、忠誠心が篤いですから」
薫様は、ゆっくりと片方の靴を脱いだ。
その所作は、儀式の始まりを告げる鐘の音のように静かで、重い。
生足が、音もなく前へ差し出される。
その肌は、触れることを許された者だけが知る、神聖な領域。
彼女は、優しい目で見上げてくる。
けれどその瞳には、慈しみではなく、選別の光が宿っていた。
「ですよね、お馬さん?」
『お馬さん』。
名札に記された『戸脇駆馬』からの、彼女なりの呼び方。
けれど、そこに名前としての意味はない。
それは、人ではなく“役割”としての呼称だった。
彼女は、オレを名で呼んだことがない。
動物として、道具として、信仰の器として。
その認識が、言葉の端々に滲んでいる。
オレは、膝をついた。
「やっぱり、やるのか」
そんな諦念が、胸の奥で波紋を広げる。
普段なら、布の仕切り越しに突き出された足に触れるだけだった。
今は違う。
直に、見られている。
試されている。
跪き、顔を前へと差し出す。
空気が、肌にまとわりつく。
視線が、所作の一つひとつを測っている。
「変わらぬ敬意を、見せていただけますか?」
その言葉は、命令ではなく、誓約の更新。
『敬意』とは、すなわち『隷属』。
祈りの形をした服従。
お姫様の甲に親愛のキスを捧げるように。
素足へ、神愛を示す。
それが、この世界で生きるための『儀式』だった。
中学二年の頃から、これが日常になった。
最初は、抵抗した。
抗議もした。
助けも求めた。
けれど、誰も動かなかった。
親も、教師も、教育委員会も、警察も、児相も。
声を上げるたびに、糸が絡みついた。
その糸は細く、冷たく、見えない。
けれど確かに、心と体を締めつけていった。
今では、もう受け入れるしかない。
この世界は、こういうものなのだ。
祈りは届かず、沈黙だけが生き残る。
かつて声を上げた。
けれど、誰にも届かなかった。
その記憶が、今の沈黙を形作っている。
「清めます、卑小なる我が身を、尊き存在に捧げます」
その言葉は、空気を撫でるように静かだった。
まるで『見代わり地蔵』を撫でる手つきで、言の葉が、薫様の輪郭をなぞっていく。
所作は、祈りの形。
動きは、信仰の証。
触れることなく、包み込むように。
「ふふふ、変わらぬ敬意の証をありがとうございます。これで、私も安心してあなたを守ってあげられますね」
その声は、慈悲という名の鎖。
優しさの仮面をかぶったまま、逃れられない契約を更新する。
「尊き御身に、奉仕する誉れの慈悲に感謝を」
繰り返される『聖句』は、祈りという名の呪文。
言葉を重ねるたびに、空気が静かに沈んでいく。
沈黙の深さが、信仰の深さを測る。
「ご安心ください。大切なあなたのことはみんなで守ってあげますからね? 最下層で活躍して、目的が果たされるまでは絶対に安全ですよ?」
それは、誓約のような囁き。
けれど、答えは求められていない。
ただ、所作を続けること。
それが、唯一の返答。
「あらら? どうしました? 動きが、止まっていますけど。大丈夫ですか? あなたの敬意が揺らいでいるのでわ? とても不安になりますね」
その声に、空気がわずかに震える。
沈黙は許されても、停滞は許されない。
わかっていたはずなのに、指先が止まっていた。
慌てて再開する。
所作を整え、静かな波を重ねるように動きを戻す。
「はい、素晴らしい敬意をいただいてます! ん〜、とっても心地がいいですわ。この光景。なんて美しいのかしら? 今まで損をしていましたわね?」
その言葉に、空気がわずかに甘くなる。
けれど、その甘さは毒を包んだ蜜のようだった。
儀礼の動きに集中していたそのとき、 薫様の足が、そっと伸びてきた。
頬に触れる。
まるで祝福のように、静かに、柔らかく。
彼女は寝そべった姿で、慈悲深い神像のような微笑を浮かべていた。
その表情には、満足と支配の静かな余韻が滲んでいた。
読了・評価。ありがとうございます。




