第二十三話 『計画』
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肩がぶつかった。
鈍い音が、骨の奥に響いた。
涼香は何も言わず、通り過ぎていく。
カルマは、ほんの少しだけ首を傾けた。
痛みはない。
でも、何かが揺れた。
胸の奥で、何かが軋んだ。
彼女の怒りは、いつもわかりやすい。
眉をひそめ、声を荒げ、拳を振るう。
けれど、今日のそれは違った。
言葉にならない。
けれど、確かに『何か』があった。
制服の肩を、そっと撫でる。
そこには、涼香の『感情の痕』が残っていた。
熱でもなく、痛みでもなく――まるで、棘のようなざらつき。
「……オレ、何かしたか?」
誰に聞くでもなく、ただ呟いた。
他の奴らなら、理由もなく当たってくることもある。
でも、彼女にそれはない。
そう思っていた。
……いや、思いたかっただけかもしれない。
ずっと見てきた。
観察してきた。
でも、それは『理解』とは違う。
彼女の怒りの理由がわからない。
それが、妙に――怖かった。
◆涼香視点◆
カルマの顔を見た瞬間、涼香は無言で肩をぶつけた。
怒っていたわけじゃない。
でも、喉の奥に何かが引っかかっていた。
『処分対象』
『進路指導会議での決定』
『問題生徒リスト』
カルマ以外の全員が知っていた。
彼だけが、何も知らずに動いていた。
何も知らずに、仲間だと思っていた。
その無防備さが、どうしようもなく苛立たしかった。
「……なんで、あんただけ知らされてないのよ」
声に出せば、壊れてしまいそうだった。
でも、黙っているには、軽すぎた。
だから、肩でぶつかった。
それは、『言葉にならない抗議』。
彼の無知に対する怒りであり、
彼を守れなかった自分への罰でもあった。
カルマが、少しだけ首を傾けた。
その仕草が、涼香の胸をさらにざわつかせた。
「気づけよ……」
そう思った。
でも、言えなかった。
彼は、今日もそこにいる。
何も知らない顔で。
何も覚悟していない目で。
その顔が、どうしようもなく――怖かった。
“学校が彼を切り捨てようとしている”
その事実を、彼だけが知らない。
「……なんで、そんな顔してんのよ」
叫びたかった。
殴りたかった。
泣かせたかった。
でも、それは許されない。
誰もそんなこと望んでいない。
彼も、きっと望んでいない。
だから、涼香は黙って肩をぶつけた。
『消されるなら、せめて気づけ』
『消されるなら、せめて覚悟を持って消えろ』
その言葉は、喉の奥で渦を巻き、
熱を持って、彼女の中で燃えていた。
◆カルマ視点◆
また、涼香の肩がぶつかった。
そのあと、カルマはしばらく立ち止まっていた。
痛みはない。
でも、何かが、胸の奥に沈殿していた。
彼女の背中が遠ざかっていく。
その歩き方が、いつもよりわずかに速かった。
少しだけ、乱れていた。
「……なんだ、あれ」
呟いた声が、自分の耳にも頼りなかった。
最近、みんなの様子が少しずつ変わっている。
以前は、『使えない奴』への露骨な悪意。
今は、『関わりにくい奴』への、静かな隔意。
その対象が、自分になっている気がする。
『自分だけが知らない何か』がある。
その感覚が、じわじわと胸の奥に染みてくる。
冷たい水のように、静かに、確実に。
涼香の肩当ては、ただの苛立ちじゃない。
何かを伝えたくて、でも伝えられない人間の動きだった。
「……なにかあるのか?」
誰にともなく呟いたその言葉に、ふと考え込む。
あるとしたら、それは何だ?
そう言えば――
涼香先輩のシゴキがなくなった。
八島薫の“忠誠の証”が、妙に長くなった。
百合根友梨の説教が、短くなった。
曽根崎志乃は、目を合わせずに去るようになった。
稲田美水穂は、やたらと優しくなった。
一つ思い浮かべれば、次々に浮かんでくる違和感。
それは、まるで――見えない網に絡め取られていくような感覚。
……やはり、何か、ある。
そして、それは――
自分の“処分”に関係しているのかもしれない。
◆鈴谷涼香視点◆
なにかはわからなかった。
でも、確かに変わっている。
カルマのことだった。
気がつけば、視線がいつも彼を探していた。
無意識に。
理由もなく。
ただ、彼の姿を確認したくて。
だから、違和感に気づいた。
なにかが、変わっている。
もどかしい。
違っているのはわかる。
なのに、違いを見つけられない。
なにが違うんだろう?
どこが変わった?
「……余裕?」
ふと、呟いた。
そして、自分の言葉にハッとする。
間違いない。
いつも淡々としていながら、その奥には、
終わらない苦痛への怯えがあった。
それが、消えている。
もう、怯えなくていい。
そう、達観した者だけが持つ『静かな余裕』。
その気配が、彼の背中に漂っていた。
「気づいたの、か?」
聞こえない距離からの問いかけ。
風に溶けるような声。
それなのに――なぜだろう。
彼が、頷いた気がした。
見えないはずの仕草。
聞こえないはずの答え。
それでも、確かに『通じた』気がした。
そしてその瞬間、涼香の胸の奥に、小さな波紋が広がった。
それは、安堵か。
それとも、恐怖か。
まだ、わからない。
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