第二十二話 『救い』
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騒ぎを見ていたのは校長だけではなかった。
三年の百合根友梨も、輪の外から見守っていた。
騒いでいるのは二年生たちだ。
裏方の煩雑な仕事から解放された。
今まで以上に快適になっている。
それゆえの、明るさ。
それゆえの騒ぎ。
ただ——
そこには確実な『代償』が存在している。
誰にも気づかれず、削られていく存在がある。
駆馬。
騒ぎの中心から、少し離れて動き続けている。
カルマの動きには、無駄がなかった。
呼ばれれば即座に反応し、頼まれれば迷いなく動く。
疲れも、苛立ちも、戸惑いも見せない。
それを「すごい」と言う者は多かった。
「助かる」と笑う者もいた。
だが、一人だけ。
その動きを見て、顔を曇らせる者がいた。
三年の先輩だった。
「……あんた、最近どうしたの?」
カルマは首を傾げた。
質問の意味が分からなかった。
「どうした、って?」
「いや……なんか、動きが“変”なんだよね」
先輩は言葉を選んでいた。
軽い冗談にすることもできた。
だが、そうしなかった。
「前のあんたは、もっと……“人間”だった」
カルマは瞬きをした。
その言葉が、理解できなかった。
先輩は続けた。
「頼まれたら断れないのはわかるけどさ。最近のあんたは……“反応が速すぎる”」
カルマは答えなかった。
「呼ばれた瞬間に動くのは、普通じゃない。考える前に動いてるだろ。あれ、危ないよ」
危ない。
その言葉に、カルマの胸の奥で何かがわずかに揺れた。
だが、それが何なのか分からなかった。
「あんた……寝てるか?」
カルマは答えなかった。
「食ってるか?」
答えなかった。
「……笑ってるか?」
カルマは、そこで初めて口を開いた。
「必要ないだろ」
先輩は息を呑んだ。
「必要……ない?」
「動けば、うまくいく。それだけで十分だ」
その言葉を聞いた瞬間、先輩の顔色が変わった。
「……それ、誰に言われた?」
カルマは答えなかった。
答えられなかった。
胸の奥で、駆馬が小さく震えていた。
先輩は、カルマの目をまっすぐに見た。
「あんた……壊れかけてるよ」
その言葉は、誰も言わなかった言葉だった。
誰も気づかなかった異変を、たった一人だけが言葉にした。
カルマは、何も返さなかった。
返せなかった。
カルマは答えなかった。
胸の奥で、駆馬が小さく震えていた。
先輩は、しばらく黙っていた。
何かを決めるように、ゆっくり息を吸った。
「……放課後、少し話せるか?」
その声は、優しかった。
本当に、優しかった。
駆馬の心が、わずかに浮上した。
旧校舎の暗がりから、ほんの少しだけ顔を出した。
——助けて。
その言葉が、喉の奥まで上がってきた。
だが。
放課後、先輩は来なかった。
代わりに、別の生徒が駆け込んできた。
「先輩、すげぇよ! あのプロジェクト、先輩が中心で進めることになったって!」
「校長も褒めてたぞ。“期待している”って」
その瞬間、先輩の顔から迷いが消えた。
「……悪い、駆馬。今日の話、また今度な」
“また今度”は、二度と来なかった。
先輩は、駆馬の異変に気づいた唯一の人間だった。
だが、学校全体が動き始めた流れの中で、
彼はそちら側に乗るしかなかった。
駆馬のことを気にかける余裕は、もうなかった。
駆馬は、旧校舎の奥で静かに目を閉じた。
胸の奥で、何かが音を立てて沈んでいく。
——やっぱり、そうだ。
——誰も、来ない。
その瞬間、駆馬は完全に後ろへ下がった。
カルマが、前へ出た。
「……動けば、うまくいく」
その声は、もう揺れていなかった。
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