第十九話 『黒子』
1/2
そんな日々の中、駆馬は望外の機会を得た。
学祭で、成果を発表する。
そんな話だった。
最悪の、忘れたくても忘れられない三日間の始まりでもある。
中学二年の秋、偶然に功績を上げた。
誰も知らないまま埋もれていたものを、たまたま見つけた。
その発見を評価したのは、学校の外の人間だった。
だからこそ、公開の役目が回ってきた。
人生で初めての晴れ舞台だった。
場所を確保するために、旧校舎を使わせてもらえるよう学校と交渉した。
本当は本校舎がよかった。
でも、空きはないと言われた。
クラスメイトは他の出し物で忙しいと言って、誰も手伝ってくれなかった。
だから駆馬は、一人で準備した。
飾りつけをして、案内板を描いた。
分かりやすい解説文を何度も書き直した。
噛まないように暗記して、擦り切れた原稿を何度も捨てた。
そうして迎えた学園祭。
来場者は──0だった。
誰も来なかった。
三日間、誰一人として。
案内板が見えなかったわけじゃない。
場所が分かりにくかったわけでもない。
みんな知っていた。
『駆馬』が発表することを。
知っていて、それでも来なかった。
偶然、なにかを見つけただけの人間の発表。
見る価値はないと判断されたのだ。
晴れ舞台を与えたのは温情。
本会場に呼ばなかったのは拒絶。
『駆馬』は、学園祭の三日間、
誰も来ない旧校舎の教室で、受付の椅子に座っていた。
昼休みが終わる頃、廊下に足音が響いた。
息を止めた。
でも、足音は通り過ぎていった。
それが、二日目の午後だった。
三日目の終わりには、もう何も感じなかった。
「あの三日間よりつらいことなんて、地獄にだってありはしない。そうだろ?」
旧校舎の隅で、呟きが止まらなかった。
「そうだな」
自分の問いに、自分が答えた。
声は、いつもの声より少し低かった。
窓から差し込む光が、埃を浮かび上がらせていた。
誰も踏まない床は、ずっと冷たかった。
教室の時計は止まっていた。
でも、それは動き出す時を待っているのかもしれない。
──あの三日間から、『駆馬』は旧校舎に取り残されたままだ。
そして、体を動かすのは『カルマ』となった。
駆馬という『重し』がなくなった今、
カルマはこれまで以上に動き続けた。
家では、母の快適な暮らしのために家事をすべてした。
学校では、先輩たちの手伝いをした。
クラスメイトのために働いた。
とにかく、動き続けた。
小学生の頃の疎外感は、もうどこにもなかった。
それが、『働き続けることの価値』だ。
カルマは、そう確信した。
そして、自分以外のすべてのために、
自分のすべてを使うようになった。
カルマが前に出てから、世界は静かに形を変えた。
最初は、ほんの小さな頼まれごとだった。
プリントの仕分け。道具の片付け。忘れ物の届け物。
「悪いけど、これ頼める?」
「助かるわ、駆馬くん」
「君、気が利くね」
誰も悪意はなかった。
誰も善意でもなかった。
ただ、頼めばやってくれるから頼んだ。
断られたことがないから、また頼んだ。
気づけば、カルマの一日は誰かの仕事で埋まっていた。
部活の先輩が声をかける。
「霞の準備、今日もお願いね」
「昨日の片付け、まだ残ってるんだ。頼む」
体育館の裏では、涼香が笑っていた。
「お前、暇そうだな。ちょっと走るぞ」
クラスでは、誰かが当然のように言う。
「駆馬、これ運んで」
「ごめん、時間ないから代わりにやってくれない?」
カルマは、すべてを受け入れた。
断る理由がなかった。
断るという概念がなかった。
動けば、うまくいく。
動けば、誰も困らない。
動けば、駆馬は必要とされる。
それだけで十分だった。
頼まれるたびに、カルマの動きは滑らかになった。
迷いが消え、判断が消え、感情が消えた。
黒子としての役割は、完璧だった。
前に立つのは他の誰かでいい。
自分は、その影で動けばいい。
光の当たらない場所のほうが、落ち着いた。
周囲は、駆馬が“変わった”と口々に言った。
「最近の駆馬、すごいよな」
「頼んだらすぐ動いてくれるし」
「前より明るくなった気がする」
「こういう子が一番助かるんだよ」
誰も異変に気づかない。
気づく必要がないから。
旧校舎では、駆馬が静かに息をしていた。
体の動きは、遠くの出来事のように感じられた。
自分の人生を、誰か別の人間が歩いているようだった。
カルマは、自分以外のすべてのために、
自分のすべてを使うようになった。
それが、正しいことだと信じていた。
読了・評価。ありがとうございます。




