第十六話 『先輩たち』
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「いい? 薫先輩は、あなたなんかと違って『尊い』人なのよ。失礼のないように!」
呼び出し役の女子に念を押された。
完全に上からだ。
駆馬のクラスメイトなのだが。
「はい」
だけど、多分初めてだ。
直接、話をしたのは。
駆馬を呼び出したのは、八島薫。
彼女がキャプテンを務める『チーム』の部室に呼ばれていた。
周囲には『薫先輩』に心酔しているらしい女性たちが多くたむろしている。
それをさらに追っかけの男子が囲んでいる。
二、三十人規模の団体を形成しているらしい。
部室の入り口で案内の女生徒が、静かに声をかける。
「薫先輩、連れてきました」
「入らせなさい。あなたは下がっていてね?」
「ですが!」
「あらあら。私の言葉がわからないのかしら。私、日本語を話したわよね?」
犬語か、豚語を話さないといけないのかしら?
言葉は柔らかいのに、空気が刃のように冷たい。
案内役の女生徒は、見られてもいないのに地面に額をつけるほど頭を下げた。
その姿は、もはや『崇拝』だった。
「お邪魔します」
部屋に入った瞬間、空気が変わった。
視線が、肌に触れる前に心に触れてくるような感覚。
他人の視線に不慣れな駆馬には、体の中まで見通されている気にさせられる。
そんな視線が向けられた。
「っく」
入った途端、息が止まりかけた。
ちょっと独特な臭気が漂っている。
少し前の、自宅に似ていた。
「近くに来なさい」
薫先輩の声は静かだった。
けれど、逆らうという選択肢は最初から存在しなかった。
駆馬が一歩踏み出すと、周囲の空気がさらに冷えた。
取り巻きの視線が、一斉に刺さる。
「あなた、石清水のところで働いているんですって?」
「……はい」
「なら、話は早いわ。うちにも“人手”が足りないの」
薫先輩は微笑んだ。
その笑みは、優しさではなく“選別”の笑みだった。
「あなた、使えるでしょう? 石清水がそう言っていたもの」
その瞬間、駆馬の背筋がわずかに震えた。
——また、必要とされた。
それが、嬉しいのか、怖いのか。
駆馬には分からなかった。
「ちょうどよかったわ。うち、洗濯機が壊れててね」
薫先輩は、当然のように言った。
「ユニフォーム、二十人分。今日中にお願いできる?」
駆馬は一瞬だけ息を呑んだ。
量の多さにではない。
“頼まれた”という事実にだ。
「……はい」
気づけば返事をしていた。
部室の隅には、汗の染み込んだユニフォームが山になっていた。
泥汚れ。皮脂。ほつれた糸。
家で見慣れた光景と、どこか似ていた。
「助かるわ。あなた、ヘンなことしなさそうだし」
薫先輩は微笑んだ。
その笑みは、優しさではなく“選別”の笑みだった。
駆馬は黙って洗濯物を抱えた。
重い。
でも、重さは気にならなかった。
——動けば、うまくいく。
そう思った瞬間、胸のざわつきが少しだけ静まった。
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二十人分のユニフォームは、思ったより重かった。
腕に食い込む重さが、じわじわと皮膚の奥に沈んでいく。
もう、使う者もいなくなって久しい洗い場で、ひたすらに洗濯板をこする。
腕の奥がじんわりと痛んだが、気にしないことにした。
干すとき、指先が少し震えた。
疲れではない。たぶん、緊張だ。
——動けば、うまくいくんだ。
ただ、とまっているよりは。
そう思いながら、駆馬は黙々と手を動かした。
◇連鎖◇
「お久しぶり」
洗い終えた洗濯物を干していると、声がかかった。
振り返ると見知った顔が笑いかけてきていた。
稲田美水穂先輩。
彼女は何代も続く農家の娘。
広大な田んぼを有している。
一年前。
「わたし、機械でするの嫌いなの。田植えは手植えが一番よ」
なにか強いこだわりがあるようで、稲苗の塊を押し付けられた。
ただ、それ以後はなにも音沙汰がなかったのだけど?
「いつものメンバーが熱中症で倒れたの。草取り手伝ってちょうだい」
「え、は、はい」
◇
「あらあら、まだ、お時間はありますかしら?」
草取りから戻ると、干し竿の前で待ち伏せされていた。
曾根崎志乃先輩。
付近にある神社の娘だ。
草取りの汗が乾ききる前に、次の声がかかったことになる。
「はい」
洗濯物は、まだ乾ききっていなかった。
時間はある。
「祭りも近いというのに、お神輿が蜘蛛の巣だらけですの。磨き上げてくださいまし」」
「はい」
駆馬は迷いもせず、答えていた。
草取りで使った手のひらが、まだじんじんしていた。
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