第十話 『寒い日溜り』
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旧校舎の中は、外よりもひんやりしていた。
昼休みの熱気が届かない、冷えた空気。
けれど、その冷たさの奥に、
妙に人肌のぬくもりのようなものが残っていた。
廊下の壁に貼られた色紙が、その理由だった。
新校舎へ移るとき、
在校生たちが書いた『ありがとう旧校舎』の寄せ書き。
色あせて、端がめくれかけている。
けれど、そこに残る文字だけは、
誰かの手の温度をまだ宿しているように見えた。
「楽しかったよ」
「思い出をありがとう」
「ここで過ごした六年間、忘れません」
どれも、もう書いた本人たちはいない。
けれど、言葉だけがここに残っている。
冷たい空気の中で、その言葉だけが、ほんのりと温かかった。
駆馬は、立ち止まってそれを見つめた。
自分とは違う誰かの“ぬくもり”が、この場所には確かにあったのだと、静かに突きつけられるようだった。
旧校舎の廊下には、色あせた写真が所狭しと貼られていた。
一時期、この建物は学校の歴史を語る資料館として使われていたらしい。
運動会の写真。
学芸会の写真。
旧校舎の前で肩を組んで笑う子どもたちの写真。
どれも、もう何年も前のものだ。
色は薄れ、端はめくれ、テープは黄ばんでいる。
けれど、写っている子どもたちの笑顔だけは、今でも鮮やかにそこにあった。
駆馬は、気付けば『また』立ち止まって見つめた。
——この時代に、居たかった。
写真の中の子どもたちは、
誰かと肩を寄せ合い、笑っていた。
その輪の中に、自分の姿を探してしまう。
もちろん、どこにもいない。
けれど、写真の中の空気だけは、
ひんやりした廊下の中で、妙に温かかった。
駆馬の足が止まったのは、一階奥の教室だった。
ふだんと同じ、窓際の一番後ろの席に座る。
そこから見える黒板には、在校生たちが旧校舎との別れに描いたチョーク画が残されていた。
暖かく、明るく、力強い。
過去の光の残滓。
眩しいはずなのに、時の流れに色褪せ、今の駆馬でも何とか正視できるほどに落ち着いている。
よく見ると、芸術的な一角があるかと思えば、どうにも頼りない線も混ざっていた。
その頼りない線に寄り添うように、別の子が描いた線がそっと重ねられている。
絵心のない子にも、描く機会が与えられたのだろう。
うまく描けなかった線を消すことなく、誰かが生かしている。
排除しない文化が、確かにここにはあった。
駆馬は、胸の奥が少しだけ痛くなるのを感じた。
——この時代に、居たかった。
教室の隅に、小さな木製の本棚が残っていた。
学級文庫だったらしい。
色あせた背表紙。
角の折れた絵本。
誰かの名前が書かれたシール。
ページの間に挟まった、色紙の切れ端。
どれも、もう持ち主はいない。
けれど、本だけはまだここにあった。
駆馬は、一冊をそっと引き抜いた。
紙の手触りが、妙に温かい。
——この時代に、居たかった。
この本を読んで笑った子がいた。
友だちと貸し借りした子がいた。
読み聞かせを楽しみにしていた子がいた。
そのぬくもりだけが、ひんやりした空気の中で、確かに残っていた。
学級文庫の棚に、残った本があった。
駆馬は、そっと手を伸ばした。
もう何度も読み、内容はそらんじられるほど頭に入っている。
『みんなでつくる教室』
掃除も給食も、何でも“みんなで”やることが当たり前だった時代の本。
肩を寄せ合って机を運ぶ子どもたちの絵が、今でも鮮やかに残っている。
『ぼくらの班ノート』
班活動の楽しさだけを描いた本。
困った子がいれば自然に手を伸ばし、うまくいかない子を班全体で支える。
令和ではもう見られない“班の絆”が詰まっている。
『きょうもみんなで』
運動会、合唱、劇づくり……何をするにも“全員で”が前提だった頃の絵本。
ページの端には、当時の子どもがつけた折り目が残っている。
『みんなの放課後』
放課後になると自然に集まり、自然に遊び、自然に帰る。
誰かの家に集まるのも当たり前だった時代の、群れの温かさを描いた本。
『六年一組の一年』
学級会、係活動、壁新聞づくり……教室が小さな社会だった頃の記録絵本。
失敗した子を責めず、みんなでフォローする空気が描かれている。
どの本も、今の教室にはもう存在しない“当たり前”ばかりを書いていた。
駆馬は、それを知っている。
頭では理解もしていた。
それが『美化』されたものであることも。
それでも、何度も読んでしまうのだ。
この教室なら、駆馬にも居場所があったかもしれない。
本の中には居場所があったのに、現実にはどこにもない。
個を尊重する。
それは、『お互いが意識して歩み寄る』ことをしない限り、『誰とも寄り添えない』ということ。
いまは、そういう時代。
評価いただけると続編を書く意欲に直結します




