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『使い捨てられた補助スキル持ち、迷宮の主になって制服妖怪と学園祭を始める』  作者: 葉月奈津・男
駆馬からカルマへ――とある少年の変質――

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第十話 『寒い日溜り』

2/2

 


 旧校舎の中は、外よりもひんやりしていた。

 昼休みの熱気が届かない、冷えた空気。


 けれど、その冷たさの奥に、

 妙に人肌のぬくもりのようなものが残っていた。


 廊下の壁に貼られた色紙が、その理由だった。


 新校舎へ移るとき、

 在校生たちが書いた『ありがとう旧校舎』の寄せ書き。

 色あせて、端がめくれかけている。

 けれど、そこに残る文字だけは、

 誰かの手の温度をまだ宿しているように見えた。


「楽しかったよ」

「思い出をありがとう」

「ここで過ごした六年間、忘れません」


 どれも、もう書いた本人たちはいない。

 けれど、言葉だけがここに残っている。


 冷たい空気の中で、その言葉だけが、ほんのりと温かかった。


 駆馬は、立ち止まってそれを見つめた。

 自分とは違う誰かの“ぬくもり”が、この場所には確かにあったのだと、静かに突きつけられるようだった。


 旧校舎の廊下には、色あせた写真が所狭しと貼られていた。

 一時期、この建物は学校の歴史を語る資料館として使われていたらしい。


 運動会の写真。

 学芸会の写真。

 旧校舎の前で肩を組んで笑う子どもたちの写真。


 どれも、もう何年も前のものだ。

 色は薄れ、端はめくれ、テープは黄ばんでいる。

 けれど、写っている子どもたちの笑顔だけは、今でも鮮やかにそこにあった。


 駆馬は、気付けば『また』立ち止まって見つめた。


 ——この時代に、居たかった。


 写真の中の子どもたちは、

 誰かと肩を寄せ合い、笑っていた。

 その輪の中に、自分の姿を探してしまう。


 もちろん、どこにもいない。

 けれど、写真の中の空気だけは、

 ひんやりした廊下の中で、妙に温かかった。


 駆馬の足が止まったのは、一階奥の教室だった。


 ふだんと同じ、窓際の一番後ろの席に座る。

 そこから見える黒板には、在校生たちが旧校舎との別れに描いたチョーク画が残されていた。


 暖かく、明るく、力強い。

 過去の光の残滓。

 眩しいはずなのに、時の流れに色褪せ、今の駆馬でも何とか正視できるほどに落ち着いている。


 よく見ると、芸術的な一角があるかと思えば、どうにも頼りない線も混ざっていた。

 その頼りない線に寄り添うように、別の子が描いた線がそっと重ねられている。


 絵心のない子にも、描く機会が与えられたのだろう。

 うまく描けなかった線を消すことなく、誰かが生かしている。


 排除しない文化が、確かにここにはあった。


 駆馬は、胸の奥が少しだけ痛くなるのを感じた。


 ——この時代に、居たかった。


 教室の隅に、小さな木製の本棚が残っていた。

 学級文庫だったらしい。


 色あせた背表紙。

 角の折れた絵本。

 誰かの名前が書かれたシール。

 ページの間に挟まった、色紙の切れ端。


 どれも、もう持ち主はいない。

 けれど、本だけはまだここにあった。


 駆馬は、一冊をそっと引き抜いた。

 紙の手触りが、妙に温かい。


 ——この時代に、居たかった。


 この本を読んで笑った子がいた。

 友だちと貸し借りした子がいた。

 読み聞かせを楽しみにしていた子がいた。


 そのぬくもりだけが、ひんやりした空気の中で、確かに残っていた。


 学級文庫の棚に、残った本があった。

 駆馬は、そっと手を伸ばした。

 もう何度も読み、内容はそらんじられるほど頭に入っている。



『みんなでつくる教室』

 掃除も給食も、何でも“みんなで”やることが当たり前だった時代の本。

 肩を寄せ合って机を運ぶ子どもたちの絵が、今でも鮮やかに残っている。



『ぼくらの班ノート』

 班活動の楽しさだけを描いた本。

 困った子がいれば自然に手を伸ばし、うまくいかない子を班全体で支える。

 令和ではもう見られない“班の絆”が詰まっている。



『きょうもみんなで』

 運動会、合唱、劇づくり……何をするにも“全員で”が前提だった頃の絵本。

 ページの端には、当時の子どもがつけた折り目が残っている。



『みんなの放課後』

 放課後になると自然に集まり、自然に遊び、自然に帰る。

 誰かの家に集まるのも当たり前だった時代の、群れの温かさを描いた本。



『六年一組の一年』

 学級会、係活動、壁新聞づくり……教室が小さな社会だった頃の記録絵本。

 失敗した子を責めず、みんなでフォローする空気が描かれている。


 どの本も、今の教室にはもう存在しない“当たり前”ばかりを書いていた。

 駆馬は、それを知っている。


 頭では理解もしていた。

 それが『美化』されたものであることも。


 それでも、何度も読んでしまうのだ。


 この教室なら、駆馬にも居場所があったかもしれない。


 本の中には居場所があったのに、現実にはどこにもない。


 個を尊重する。

 それは、『お互いが意識して歩み寄る』ことをしない限り、『誰とも寄り添えない』ということ。


 いまは、そういう時代。



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