第九話 『旧校舎』
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授業は流れるように進んだ。
駆馬は座っているだけ。
先生の声も、黒板に書かれる文字も、時間さえもが、カルマだけを置き去りにして過ぎ去っていった。
そして、給食の時間になっても、机は動かさない。
昔はあったという班を作ることは、もうしていない。
全員が前を向いたまま、配膳を待つ。
それでも、仲の良い子たちは自然に声を寄せ合う。
小さな笑い声が、あちこちで弾んでいた。
駆馬の席だけが、ぽつんと空気が薄い。
窓際の一番後ろ。
誰とも向き合わない位置。
誰とも交わらない位置。
配膳当番が皿を置いていく。
「はい、どうぞ」
その声だけが形式的に落ちていく。
駆馬は、ただ前を向いて座っていた。
食べるための席なのに、まるで“待つための席”みたいだった。
配膳が終わると、あちこちで勝手に箸の音がし始めた。
本当は「いただきます」を言ってから食べるはずなのに、
誰も気にしていない。
先生も、特に注意しなかった。
形だけの「いただきます」が、この教室ではもう儀式として機能していない。
駆馬だけが、手を合わせた。
小さく「……いただきます」と口にする。
その声は、誰にも届かないまま消えていった。
駆馬にとって、唯一のまともな『料理』を食べられる時間。
だけど、味はしなかった。
きっと見た目も考えられた彩りがあるのだろう。
けれど、駆馬の目には灰色にしか映らない。
言ってみれば、味も灰色だ。
まずくはないが、うまくはもっとない。
それに、量が多すぎた。
他の子たちが当たり前に食べる量。
むしろ、少なめに盛られているはずなのに。
だけど――
駆馬には、その“少なめ”でさえ果てしなく見える。
食べることが億劫になるほど、遠い。
それでも、口に入れる。
何とかして飲み込む。
ここで食べておかないと、体力がもたない。
駆馬がもたなくなったら——。
だから、考えないようにして、
無心で胃に落とし込んだ。
食べ終わった子たちは、自然に小声で話し始めた。
席を立つことは許されない。
昼休みまでは、ここで待つしかない。
駆馬は、ただ前を向いて座っていた。
食器を片付ける当番の動きだけが、教室の空気をゆっくりと揺らしている。
食べ終わったはずなのに、胸の奥の重さだけは、まだ飲み込めなかった。
「そろそろ片づけますよ―」
先生が声をかけた。
生徒たちは、ほぼ食べ終えている。
先生の言葉で、給食当番が片付けていく。
端っこの後ろ。
駆馬は最初だ。
このために、量は少ない。
以前、量が多すぎたのと、母のことでのどが詰まったせいだ。
またされた当番と、それを見ていた者が『少なめ』を提唱して『くれた』。
「昼休みです」
先生の言葉とともに、気の早い者たちが廊下へ飛び出していく。
ほとんどが男子だ。
女子は、さっそく仲のいい子たち同士で輪を作っておしゃべりに入る。
駆馬は、そっと席を立った。
ここに、居場所はない。
グラウンドや体育館は足が進まない。
図書室は、どこか居心地が悪い。
棚に並ぶ本が、あまりに新しくて肌に痛いから。
駆馬が向かうのは、『旧校舎』だ。
廊下に出ると、昼休みの喧騒が一気に押し寄せてきた。
走り抜ける足音。笑い声。呼び合う声。
そのどれもが、駆馬の輪郭をすり抜けていく。
校庭へ向かう子たちの背中が、まぶしすぎた。
体育館へ向かう子たちの足取りが、軽すぎた。
駆馬の足は、自然と別の方向へ向かう。
誰も行かない方へ。
誰も気に留めない方へ。
旧校舎は、昼休みの喧騒から切り離された場所だ。
古い木の匂いと、薄暗い廊下。
そこだけ、時間がゆっくり流れている。
駆馬は、その静けさに救われるように歩いていった。
小中高が同じ敷地にある学校だ。
旧校舎は、どの学年からも少し離れた場所にある。
敷地の中心にあると言った方が近いだろうか。
旧校舎は、風に削られたように白く褪せていた。
かつては茶色だったはずの木壁が、陽に焼け、雨に洗われ、
長い時間をかけて骨のような色になっている。
近づくほどに、古い木の匂いが濃くなる。
今の校舎にはもう存在しない匂い。
窓枠の金具は錆びつき、ガラスはところどころ曇っていた。
立入禁止の札だけが、色褪せたまま風に揺れている。
昼休みの喧騒が、ここだけ届かない。
空気がひんやりしていて、影が濃い。
誰も来ない場所。
だけど、誰かがまだここにいるような気配だけが残っていた。
駆馬は、その静けさに吸い寄せられるように足を踏み入れた。
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