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『使い捨てられた補助スキル持ち、迷宮の主になって制服妖怪と学園祭を始める』  作者: 葉月奈津・男
駆馬からカルマへ――とある少年の変質――

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第八話 『学校』

2/2

 


 校門の前には、生活指導の先生が立っていた。

「おはようございます」と、明るい声が飛ぶ。


 駆馬にも同じ声が向けられた。

 けれど、それは誰にでも向ける“仕事の声”だった。


 他の子どもには、「昨日の宿題どうだった?」「髪切ったね」と笑顔で話しかけている。


 駆馬は軽く会釈して通り過ぎた。

 先生の視線は、もう別の子に向けられていた。


 ◇


 教室の前まで来ると、クラスメイトたちの声が廊下にあふれていた。

 廊下から見る教室内には、いくつもの小さな輪ができていて、その中心だけが明るい。


 駆馬が扉に手をかけた瞬間、胸の奥がひとつ脈打った。

 開ければ、いつもの“あの瞬間”が来ると分かっていた。


 扉を開けた。


 一瞬、空気が止まった。

 静寂が、肌に触れるほど冷たかった。


 すぐに、元通りの喧騒が押し寄せてくる。

 その音は、駆馬の胸を外側から押すように広がった。


 駆馬は、各グループの外周に沿うように歩いた。

 中心を横切る勇気はなかった。

 誰も意地悪をしているわけではない。

 ただ、そこに“居場所”がないだけだった。


 窓際の一番後ろの席に腰を下ろす。

 椅子がわずかに軋んだ音が、やけに大きく響いた。


 その瞬間、周囲の空白が音もなく広がった。

 誰も近づかない。

 誰も話しかけない。

 誰も気にしない。


 きれいな『空白』が、席の周りに詰まっていた。

 触れれば割れてしまいそうな、薄い膜のような空白だった。


 笑い声はすぐそばにあるのに、その世界は、駆馬の手の届かないところにあった。

 距離ではなく、境界の問題だった。


『町の異物感』は置いてきたつもりだ。

 だけど、『教室の異物感』は、ずっと『ここに』ある。

 逃れられない暗さが、胸の奥で静かにわだかまっていた。



「じゃあ、席順で確認しまーす」


 先生が廊下側の列から順に名前を読み上げていく。


 男女で分けられた出席簿なんて、もう存在しない。

 タブレット片手に、名前を呼んでは画面をタップするだけの作業。


 明るい返事がいくつか続き、途中からは返事すら曖昧になっていった。

 先生は、返事を待たない。

 座っている姿を見れば、それで十分らしい。


 最後の列、最後の席。


「……駆馬」


 名前だけが、教室の空気に落ちた。

 返事をする前に、先生はもうタブレットを閉じていた。


 返事を必要とされていないことが、返事をするよりもずっと重かった。


 声を出す元気はない。

 だけど、名前を呼ばれるのは、駆馬が“ここにいる”と示される、ほぼ唯一の機会だった。


 その唯一の瞬間でさえ、余韻もなく、ただ流されていった。


 出席確認が終わると、教室にゆるい時間が流れ始めた。

 友達同士の声が、また少しずつ膨らんでいく。


 プリントを取りに行く子。

 黒板の前でふざける子。

 机を寄せて話し込む子。


 駆馬には、することがなかった。

 教科書を出すには早すぎて、

 誰かに話しかけられることもない。


 机の上の鉛筆を、ただ並べ直す。

 その動作だけが、自分をここに繋ぎ止めていた。


 視線が、窓の向こうへ逃げる。


 窓際の席が、ありがたい瞬間だ。

 教室内を見ないで済む。


 窓に映る『教室内』は、半透明で、あやふやな“幻影”。

 笑い声も、動きも、輪郭がぼやけている。


 現実にあるのは——『何もない空』——だけだった。


 そして――

 そこに映るはずの『真実』は、どこにも見つからなかった。


 チャイムが鳴った。


 教室のざわめきが、ゆっくりと沈んでいく。

 それでも、完全な静けさにはならない。

 小さな笑い声や、机を引く音が、まだどこかに残っていた。


 先生が教卓の前に立つ。

「はい、じゃあ一時間目、始めます」


 その声が、遠くで響いているように聞こえた。

 教室全体が、少しだけ薄い膜に包まれたみたいに感じる。


 黒板に書かれる文字が、わずかに滲んで見えた。

 眠いわけでも、目が悪いわけでもない。

 ただ、意識がそこに焦点を合わせられない。


 周囲の子どもたちは、自然に教科書を開いていく。

 ページをめくる音が、やけに鮮明に耳に届いた。


 駆馬も教科書を開いた。

 けれど、文字は頭に入ってこない。

 ただ、ページの白さだけが目に刺さる。


 授業は、いつも通りに進んでいく。

 駆馬だけが、その流れの外側にいた。


 どこか、『言語が違う』そんな感覚。

 見えている文字の意味が、急に遠くなる。

 聞こえてくる言葉が、ただの音に変わっていく。


 教室の空気だけが、淡々と動いていた。

 自分だけが、その動きに取り残されている。


 ただ、時計の音だけがハッキリと聞こえていた。

 それは、『そこにいるだけでいい地獄』から、『何かをしなくてはならない地獄』へと

 帰る時間が近づいていることを告げていた。


 秒針が進むたびに、胸の奥の暗さが、ゆっくりと形を持ちはじめる。



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