第七話 『通学路』
1/2
駆馬の『明るさ』は、最初の曲がり角で地に堕ちた。
母の視線が間違っても届かない。
そう思った瞬間に、背筋を伸ばしていた気力が費えるのだ。
丸くなる背中を、意識して立て直す。
それでも、顔は上がらない。
定められた通学路を、トボトボと歩く。
視界の隅を、登校班の集合場所の目印が抜けていく。
古ぼけていて、色褪せている。
泥の付いた旗が、萎れた花のようにうなだれていた。
登校班は一応ある。
でも、誰も集合場所には来ない。
時間が合わないからだ。
それなのに、集合場所があるのは、『集団登校』が当たり前だった『昭和』の名残だ。
近所の子供たちが、きちんと時間で集まる。
高学年の子供が、低学年の子を母親や祖母から託され、守って歩く。
半強制的なコミュニティの義務。
子供同士ですら、地域の『仲間意識』で動く関係。
そんなものがあった『痕跡』だ。
昔は集団登校が当たり前だったということ。
今は、来たい子だけが来る“自由参加”になっている。
駆馬は一度も参加したことがない。
誰かと歩く理由がなかった。
駆馬も、いつものように一人で歩き出した。
ともすれば、しゃがみ込みそうになる『重み』を背負って。
ランドセルの影だけが、朝の道に伸びていく。
あとから来た小学生たちが、黄色い声を上げながら追い越していく。
自由登校とはいっても、『一人』は多くない。
たいていは仲の良い友人と待ち合わせている。
「昨日のあれがさ―」
テレビの話題を話す声が、駆馬の頭の上を超えていく。
笑い声は近いのに、世界は遠かった。
その番組を、駆馬は見ていない。
見る余裕も、見る気力もなかった。
テレビはあるが、そういえば電源が入るのかも知らない。
番組を流していても、目に映らない、耳に入らない。
だから、電源を入れる意味がない。
それよりも、母の呼吸音の方が重要だった。
息遣いで体調を。
溜息で機嫌を。
確認するために。
角を曲がったところで、クラスメイトが母親に見送られていた。
「いってらっしゃい、気をつけてね」
「うん、行ってきまーす!」
その声が、朝の空気に軽く跳ねた。
駆馬は思わず視線を逸らした。
胸の奥が、じわりと沈んでいく。
当たり前の光景なのに、自分には一度もなかった光景だった。
クラスメイトがこちらに気づき、
「おはよー!」と手を振ってくる。
駆馬も笑顔を作って返した。
母の前で作る笑顔と、同じ形の笑顔だった。
その横で、母親が駆馬にも声をかけようとした。
「あら、駆馬くん、おはよう」
駆馬は軽く会釈して通り過ぎた。
立ち止まれば、何かが崩れそうな気がした。
笑い声は近いのに、世界は遠かった。
母親の視線が、駆馬の靴のかかとで止まった。
ほんの一瞬だけ、眉がわずかに動いた。
駆馬は気づかないふりをして歩いた。
声をかけてきた母親が、息を吐くかすかな音がやけに大きく聞こえた。
立ち止まりもせず去る駆馬の背中を『見ていない』ことはわかっていた。
大人の常識として声はかける。
だけど、『関わりたい』わけではない。
通りかかった家の犬が、駆馬にだけ吠えた。
他の子どもには尻尾を振っていたのに。
誰もいない集合場所で、旗だけが風に揺れていた。
まるで、忘れられた約束事のように。
大通りに出た。
もう、曲がり角も路地もない。
まっすぐの道、その先に学校が見えていた。
気づけば歩幅が小さくなっている。
学校が近づくほど、胸の奥が冷えていく。
子供たちが、駆馬を置き去りにして先に行く。
見送る大人たちの視線が、駆馬の影に落ちていく。
まともには見ない。
そこにいることを無視はしていない。
ただ、確かに『壁』を感じさせる視線だった。
『町の異物感』を、通学路のあちこちに落として駆馬は登校する。
評価いただけると続編を書く意欲に直結します




