第五話 『外の顔』
1/2
母は、どんどんとやつれていった。
目の下には、化粧では隠せない隈ができた。
肌はカサカサ。
髪からは艶が消えた。
目からは生気すらなくなっていく。
不安になった駆馬は、ある夜、家を出た。
冷たい夜風に身を縮めながら、闇の中を歩く。
町の街灯すらも、息を潜めているかのように、夜は深かった。
そんな深い夜。
別世界のような光景が街角に出現する。
周囲の闇を受け付けない光。
人工的な発光が、夜を制するかのように輝いている。
『コンビニ』だ。
深夜でも眠らない店。
恐ろしく現実的な存在。
それでいて、どこまでも非現実的な存在。
駆馬は、店の前で立ち止まった。
ガラス越しに見える店内は、昼間のように明るい。
母がいた。
制服を着て、レジに立っていた。
背筋を伸ばし、笑顔を作っている。
家では一度も見せなくなった笑顔だった。
「いらっしゃいませー」
その声は、家で聞くどの声よりも明るかった。
怒鳴り声でも、ため息でもない。
作り物の、でも“外の世界に向けた”声。
駆馬は、胸の奥がざわついた。
——母さん、こんな顔できるんだ。
そう思った瞬間、自分が知らない“母の顔”があることに気づいた。
家では壊れかけている母が、外では“ちゃんと働く大人”として振る舞っている。
その落差が、駆馬にはどうしようもなく苦しかった。
母がレジで客の応対をしている。
最近では、駆馬を罵倒してばかりの口が、『感謝』を伝え、またの来店を促す。
定例句を、作った笑顔で口にしている。
機械でもまねできないほどに、機械的な動き。
人間性が感じられない。
笑っていた。
家では一度も見せなくなった笑顔だった。
その笑顔は、誰のためのものでもなく、
ただ“壊れないため”の仮面だった。
「いや〜今日寒いねぇ。夜勤大変でしょ?」
酔った客が、カウンターに身を乗り出してくる。
母は引きつった笑顔のまま、「いえ、大丈夫ですよ」と返す。
その声は、家で聞くどの声よりも明るかった。
でも、目だけが笑っていなかった。
駆馬は、胸の奥がざわついた。
——母さん、こんな顔できるんだ。
外では笑えるのに、家では壊れていく。
その落差が、どうしようもなく苦しかった。
謝っていた。
「申し訳ありません……こちら、二重で打ってしまって……」
母の指先が、わずかに震えていた。
客は舌打ちをして、「ちゃんとしてよ」と吐き捨てる。
母は笑顔を作ろうとするが、その口元は指先同様、震えていた。
駆馬は、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
家で壊れていく母が、外でも壊れ始めている。
丁寧に袋詰めをしていた。
その手が、ふと止まった。
ほんの一瞬。けれど、その一瞬だけ、
家で見せる“壊れかけた顔”が覗いた。
袋の口が、わずかに開いたまま揺れていた。
母の心の隙間のように。
すぐに笑顔に戻る。
「ありがとうございましたー」
その声は明るいのに、袋を持つ指先だけが、かすかに震えていた。
駆馬は、胸の奥が痛くなるのを感じた。
外では笑って、外では謝って、外では壊れられない。
だから家で壊れていく。
その事実が、どうしようもなく苦しかった。
家では、笑えない。
謝れない。
何もできないほど疲れているのに。
——母さんも、外では壊れられないんだ。
駆馬は、ようやく理解した。
家で壊れていくのは、外で壊れられないからだ。
外の世界に合わせるために、家の中で崩れていく。
その“代償”を、駆馬が受け止めている。
母がふと、レジの向こうで立ち止まった。
疲れた目をこすり、深呼吸をする。
その一瞬だけ、家で見せる“壊れかけた顔”が覗いた。
でもすぐに、また笑顔に戻る。
駆馬は、店の前から動けなかった。
母の“外の顔”を見てしまったから。
そして――
その笑顔がどれほど痛々しいものかを知ってしまったから。
夜風が吹き抜ける。
駆馬は、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
母が怒られるのを見るのが、ただ怖かった。
コンビニの光が、駆馬の影を長く伸ばしていく。
評価いただけると続編を書く意欲に直結します




