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『使い捨てられた補助スキル持ち、迷宮の主になって制服妖怪と学園祭を始める』  作者: 葉月奈津・男
駆馬からカルマへ――とある少年の変質――

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第四話 『ひび割れの音』

2/2

 


 母の顔色が悪くなる。

 食事が粗末になっていった。


 経済的な理由ではない。

 気力の問題だった。


 手の込んだものを作る意欲がなくなっている。

 ハンバーグは手捏ねから、スーパーのセール品に変わった。


 安さより、時間。

『おいしい』より、『栄養価』より、時間を惜しむ。


 その結果が、免疫力を下げていく。

 血圧が上がって、怒りっぽくなる。


 ついには、カップラーメンを一個投げつけられるようになった。


 ——これではダメだ。


 危機感を持った駆馬は、料理をし始めた。


 でも、お金はない。

 手に入れられるもの。

 食べられるものを探し始める。


 冷蔵庫の奥に残った野菜の切れ端。

 賞味期限の近い豆腐。

 安売りの卵。

 それらを組み合わせて、どうにか“食事らしいもの”を作ろうとする。


 できたモノは、『料理』とは言えない代物だ。

 それでも、温かい。


 お湯を注いだだけでもない。

 電子レンジで“チン”しただけでもない。


 機械の熱ではなく、子どもが手で作った“人間の温度”があった。

 それでも、母は、食べない。


「あとで食べるから」と言って、手をつけない。

 その“あとで”は、来ない。


 夜になると、母は布団に沈み込む。

 天井を見つめたまま、動かない。


「……母さん、大丈夫?」

 声をかけても、返事はない。


 ただ、呼吸だけがかすかに揺れている。

 その呼吸が、ひどく弱く感じられた。


 翌朝、母はまた咳き込んでいた。

 台所の蛍光灯の下、肩が細かく震えている。


 駆馬は思う。


 ——このままじゃ、母さんが壊れる。


 でも、どうすればいいのかは分からない。

 小学生の自分にできることは、限られている。


 だから、できることだけをする。


 料理を作る。


 洗濯をする。


 部屋を片づける。


 母の負担を少しでも減らす。


 一生懸命に背伸びをして、洗濯物を干す。


 掃除機では音がうるさいから、必死に雑巾がけをする。


 母が苛立った時、危なくないよう、ワレモノはしまった。


 それでも、ひび割れの音は止まらない。


 母の声が荒くなる。


 物音が増える。


 ため息が深くなる。


 家の中の空気が、少しずつ、確実に重くなっていく。


 駆馬は気づいていた。

 母の中で何かが壊れ始めている。


 そして、その音は——


 家のどこにいても聞こえるほど大きくなっていた。


 怒声も、罵声も。

 駆馬の耳には聞こえなくなった。


 それよりも大きな音がある。


 より切実な音。

 母が壊れていく音。

 耳を塞ぎたい。


 でも——


 塞いだら、『終わる』。

 そう思うと、塞げなかった。

 もう一度何かを『聞こう』としたとき、『何も聞こえない』ことが怖かった。


 怒鳴るのは、まだ元気だからだ。

 少なくとも、『まだ』余力がある。

 罵声が激しいのは、心がまだあるから。

 何も感じていないなら、激しい言葉なんて出ない。


 だから、怒声も罵声も、駆馬にはうれしかった。

 沈黙より、よほどいい。

 沈黙は、終わりの音だから。


 母が壊れていく音が聞こえるうちは、まだ間に合う。

 まだ、母は“ここ”にいる。


 だから駆馬は、耳を塞がなかった。

 塞げなかった。


 母の痛みを受け止めるために。

 母の心が完全に折れないように。

 自分が“盾”になるしかなかった。


 どんな風も、受け止められる盾に。



読了・評価。ありがとうございます。


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