第101話 旧校舎 ~魂のリレー~
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夜の校門。
風は止まり、空気は重い。
でも、ひとりの女性が、ふらふらと旧校舎へ向かっていた。
手には何も持っていない。
でも、服の袖からは、酒の匂いが漂っていた。
足元は不安定で、まるで夢の中を歩いているようだった。
旧校舎の門をくぐる。
その瞬間、空気が変わった。
風が、少しだけ温かくなった。
窓の影が、ほんの少しだけ揺れた。
女性は、吸い寄せられるように、体育館裏へ向かっていく。
足が、勝手に動いているようだった。
記憶に導かれているようだった。
そして、ふと気がつく。
誰かが、手を引いている。
小さな手。
制服姿の女の子。
顔は伏せていて、泣いているようだった。
でも、その手は、確かに女性の手を握っていた。
透けている。
でも、温度がある。
幻影なのに、確かに“導いている”。
女性は、何も言わない。
ただ、手を引かれるままに歩く。
体育館裏の壁に、そっと寄りかかる。
女の子は、手を離す。
そして、静かに消える。
残されたのは、壁に残った手の跡。
そして、女性の吐息。
それは、少しだけ震えていた。
旧校舎は、静かに受け入れていた。
誰かの記憶。
誰かの罪。
誰かの願い。
そして、誰かの命。
体育館裏。
壁に寄りかかる女性の吐息が、夜の空気に溶けていく。
酒の匂いは、風に流され、少しずつ薄れていく。
そのときだった。
目の前に、二人の姿が現れた。
制服姿——ではない。
少しだけ大人びた服装。
でも、どこか懐かしい雰囲気をまとっている。
男の子は、笑っていた。
女の子は、少しだけ恥ずかしそうに、でも嬉しそうに微笑んでいた。
「・・・子供ができてるの」
その言葉が、静かに空気を震わせた。
男の子は、一瞬固まった。
そして、次の瞬間——
「うわっ、まじで!? やった!!」
歓声が、体育館の壁に跳ね返る。
風が、ふわりと吹いた。
落ち葉が舞い、空気が祝福するように渦を巻いた。
幻影なのに、風が祝っていた。
幻影なのに、空気が笑っていた。
女性は、目を見開いたまま、その光景を見つめていた。
その表情は、驚きとも、懐かしさとも、悲しさともつかない。
男の子は、女の子の手を取る。
そして、そっと額を合わせる。
「・・・ありがとう」
その言葉が、風に乗って、女性の耳に届いた。
幻影は、やがて静かに消える。
でも、風はまだ残っていた。
祝福の余韻が、体育館裏に漂っていた。
女性は、そっと壁に手をつく。
その手の跡が、ほんのり温かく残った。
そして、女性の目から、一筋の涙がこぼれた。
それは、誰かの後悔。
誰かの願い。
そして、誰かの供物。
体育館裏。
風は止まり、空気は静か。
でも、そこに、また幻影が現れた。
今度は、制服姿。
男の子と女の子。
さっきよりも大人びている
そして、表情には『決意』が浮かんでいた。
男の子は、少しだけ照れくさそうに笑っていた。
でも、その目は、どこか遠くを見ていた。
「生まれてくる子のためにも、お金は必要だからね」
心配いらない、そう力づけるように告げてくる。
「今回のクエストが終われば、しばらくはお金に困らないはずだよ」
女の子は、制服の上からお腹をそっと押さえていた。
その手は、少しだけ震えていた。
でも、顔は笑っていた。
「・・・うん。がんばってね」
「帰ってきたら、名前、一緒に考えようね」
男の子は、笑う。
そして、女の子の頭をそっと撫でる。
その仕草が、風を呼ぶ。
ほんの少しだけ、空気が揺れる。
女の子は、笑っていた。
でも、その目は、不安でいっぱいだった。
それでも、精いっぱいの笑顔だった。
幻影は、やがて消える。
男の子の姿が、先に消えた。
女の子は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
そして、静かに座り込む。
壁に寄りかかり、空を見上げる。
女性は、その光景を見ていた。
その表情は、もう何も語らなかった。
ただ、涙が一筋、頬を伝っていた。
旧校舎は、記憶を再生していた。
それは、別れの記憶。
それは、希望と不安が混ざった瞬間。
そして、それは——誰かが、帰ってこなかった記憶。
体育館裏。
風は止まり、空気は重い。
女性は、壁に寄りかかり、目を閉じていた。
酒の匂いは、もう風に流されていた。
そのとき——またしても、幻影が現れた。
制服姿の女生徒。
髪を揺らし、目を鋭く光らせている。
その視線は、まっすぐに女性をにらみつけていた。
「弱虫」
その言葉が、空気を裂いた。
女性は、目を開ける。
でも、怒らない。
ただ、静かに答える。
「あなたは、世間を知らないの」
幻影は、ふんっと鼻を鳴らす。
「世間なんて知らないわ!」
目を怒らせて言い募る。
「そんなもの、知りたくもない!」
女性は、疲れたように笑う。
その笑いは、少しだけ震えていた。
「若いって・・・いいわね」
幻影は、黙る。
でも、目はまだ鋭い。
まるで、何かを試しているようだった。
女性は、そっと立ち上がる。
そして、幻影の前に歩み寄る。
「私、あなたに戻れたらよかったのに」
その言葉が、空気を震わせた。
風が、ふわりと吹いた。
落ち葉が舞い、校舎の窓がわずかに揺れた。
幻影は、目を見開く。
そして、静かに消える。
女性は、壁に手をつく。
その手の跡が、ほんのり温かく残った。
それは——若いころの自分に、命と体を捧げる宣言だった。
旧校舎は、静かに受け入れていた。
誰かの後悔。
誰かの願い。
そして、誰かの供物。
風が、もう一度吹いた。
それは、校舎が“命を受け取った”証。
「駆馬・・・『あの人』の遺品にあった『たった一つ判読可能だった名前』。あの人との約束。
あの日の自分への裏切り。そして、息子を死地に追いやった失格者」
自分の罪を数えながら、女は目を閉じた。
体温が下がっていく。
駆馬——『あの人』が最後に残した、たった一つの言葉。
それは、彼女が守れなかった命の名前だった
その体に、幻影の少女が手を添えた。
「大丈夫。子供ができたことを喜んでいた『あなた』はここにいる。『世間』とやらを未だ知らない『あなた』が、ここに。だから、あとは『私』に任せて」
『記憶』が交差して、入れ替わる。
肉体を『バトン』にして走者が変わる。
子供を愛せなかった母親は外へ。
子供を愛したかった女の子が内へ。
女性の瞳が閉じ、少女の瞳が開く。
その瞬間、風がふわりと髪を揺らした。
果されなかった約束。
それは、女の子が『母親』になるための儀式だった。
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