Episode:8 道標
夕日が顔を出し、校庭を赤く染める。
実技試験が終わり静かになった校庭には、魔力の微粒子だけが漂っていた。
僕はまだ、救護室にいる。
病床から出ることは、この時間になるまでできなかった。
今は体内の魔力が微量ではあるが回復し、体が動くようにはなってきた。
「……行くか……」
僕は力無くそう呟き、布団をめくって病床から足を投げ出す。
床に足がつけば、ギシッと音が鳴る。
ひんやりとした床、近くにあった靴を足で手繰り寄せ、履いてから靴紐を結ぶ。
ギュッと靴紐を縛った瞬間、黒い蜥蜴人との会話が頭の中で繰り返された。
努力も碌にしていない……か。
頭の中で響いたその言葉が、胸を締め付けた。
僕は悔しさと共に歯を食いしばる。
「……何も知らないくせに」
そう呟いて立ち上がり、少し歩くと壊れた扉が目に入る。
力任せに破壊された扉、蜥蜴人は力加減が出来ないのだろうか。
乱雑に投げたせいか、壁にも小さな穴が空いている。
扉の角が当たったのだろう。
「乱暴なやつ」
僕はそう呟いて、扉を踏み、救護室を後にした。
「あ、ルイン!」
救護室を出て歩いていると、後ろから聞き馴染みのある声が響いた。
僕は足を止め、ゆっくりと振り返る。
「……エヴァ」
「また救護室にいたの?」
エヴァは青い髪を揺らしながら、笑って話しかけてきた。
こちらに近づいてくる足取りは軽やかで、肩の重荷が降りたようにも見える。
悩みなど、一つもないと……そんな状態に見えた。
「またって……僕はそんな頻繁に救護室にいないよ……」
これが、精一杯の反論だった。
いつもの僕なら、笑って、何言ってるんだって、馬鹿にしてるなって言えただろう。
だが、今は無理だった。
蜥蜴人の言葉が、脳内で繰り返され、エヴァの発した『また』という単語が胸の奥深くに突き刺さる。
「何かあった……?」
エヴァは何かに気がついたのか、そんなことを呟いた。
目を細め、心配そうに呟く。
「……どうしてそう感じるんだ」
僕はそう返答した。
もしかしたら、少し冷たい返しだったかもしれない。
でも、出してしまったものは、もう引っ込められない。
「辛そうな顔してる」
エヴァは短く、乾いた声でそう話した。
夕日が差し込む廊下……僕は窓の外を見つめた。
静かな空間、なのに、心は騒がしかった。
窓に表情が映る。
そこにいたのは、顔に表情がなく、瞳から光を失った自身の姿だった。
目指すものも、理想も、何もかもを失ってしまった僕自身だった。
道標は今日、蜥蜴人に言われたあの一言で途絶えた。
ため息を漏らし、エヴァに視線を移す。
「そっちは、うまくいったか?」
僕が口にしたその問いに、エヴァは拳を握って俯いた。
そうしてゆっくりと話す。
「推薦……有名な魔術師のところに……。学校を卒業したら、そっちに行く……」
僕はそう聞いて、口角が上がる。
人間は、辛いと笑うのか。
「そうか、そうだよな……エヴァは優秀だ。だから……なんだ、よかったな」
僕の言葉に、エヴァは顔を上げる。
僕を睨むエヴァの目には涙が溜まり、悔しさと怒りを抑え込んでいるようにも見えた。
「馬鹿……」
「……知ってるよ」
エヴァが呟いた言葉に、僕はため息を漏らしながら返す。
この時、僕はどんな表情をしていたのかわからない。
ため息を呑み込み、窓の外に再度視線を移す。
大地を赤く染める夕日は、僕の心を優しく包んでくれているような気がした。




