Episode:28 迎えに行くから
剣戟が耳を貫く。
血液が滴る水音と、荒い息遣い。
耳に入る音は生々しく、さらに恐怖を掻き立てた。
「嫌、嫌ぁぁぁぁぁ!」
「男はぶち殺せぇぇぇぇ!」
目の前で繰り広げられる戦闘が、網膜にこびりつく。
血の匂いが鼻から抜け、心拍を上げる。
心拍に肺がついてこないのか、恐怖による筋肉の硬直か、どちらにせよ呼吸はすでに止まりそうだった。
低くて強い声が鼓膜を叩き、廊下の先に視線が吸い寄せられる。
そこには人一倍に屈強な体を持った男が、母親の髪を掴み、引きずっている姿があった。
「お母様!」
ティーちゃんの声にいち早く反応したのはアリスだった。
牙を剥き出しにして、色素の薄い白い瞳で廊下の奥を睨む。
「ティリアお嬢様は下がって! 早く避難させろ!」
アリスはそう話して走り出す。
「行かせるか!」
「ディア・リカール」
アリスは一人の腹部に手をしっかりと当て、詠唱をする。
アリスの魔術を受けた輩は、体が炎上し、風穴が体に空いた。
傷口はできた直後に焼け、出血はほぼない。
「行かせんな!」
「獣人は高く売れる! 女もガキも高い! それ以外は殺せ!」
何人、何十人といる輩がアリスの行手を塞ぐ、だが彼は壁に手を這わせて走り出していた。
「邪魔だ」
直後、大気が徐々に凍る。
「――ウトラクト・ディーゼ」
アリスの詠唱の直後、床や壁が瞬間的に凍りつく。
「――っな! 動けない!」
そんな声が溢れかえる中、アリスだけは自由に動き、母親のもとに駆けつけていた。
氷の靴を履き、壁、天井を自由自在に駆け抜け徐々に距離を詰めていた。
キンッ
甲高い音が耳を刺し、ティーちゃんは目を見開く。
音の直後、天井を駆け抜けていたアリスの頭が落ちたのだ。
力無く歩行し、首のない身体はいずれ動きを止める。
天井に立つ死体、首の切断部から滝のように血液が滴り、鉄に似た匂いが鼻を貫いた。
「――っう!」
胃の中のものが込み上げ、床に膝をつく。
「ティリアお嬢様!」
混沌とした戦場で、エリーがティーちゃんを抱え、窓から飛び出す。
ガラスの割れる音が響き、浮遊感が身体を包む。
「逃すか!」
飛び出した窓から何本もの腕が伸び、そのうちの一本が魔術を行使した。
「エルナ・フィルト」
不可視の魔術を、エリーはきっと捉えていた。
ティーちゃんの体を腕力だけで持ち上げた瞬間、エリーの身体が腰のあたりから分離する。
鮮血と臓物が宙を舞い、それでもエリーはティーちゃんの身体を抱きしめ、下敷きになるように地面に激突する。
「おい、馬鹿野郎! 商品に傷が付いたらどうすんだ! 獣人のガキは希少なんだぞ!」
「足の一本くらい無くたって価値は変わんねぇって!」
飛び出した窓の内側からそんな声が響く。
下敷きになったエリーの息は絶え絶えで、それでもティーちゃんの体を抱きしめていた。
次第に力が弱まり、手が離れる。
「お嬢様……逃げて……」
「エ……エリー! 駄目ニャ! 一緒に、一緒に!」
視界が霞む。
溜まった涙で口が震える。
エリーは涙を流しながら武器を作り出し、ティーちゃんが着ていたヒラヒラとした服を切り裂いた。
「これなら、走れますよね……? 足が速いです……よね?」
エリーはそう言いながら、口を振るわせる。
細かく震える口元には、悔しさが滲んでいた。
「もし……もし生まれ変われるのなら、また……ティリアお嬢様に……」
そこまで言葉を紡ぎ、瞳から光が失われる。
「武器が消えた!?」
屋敷の中から、そんな声が響き渡る。
「エリーが死――!」
声は途絶え、水音と叫び声が響く。
ティーちゃんは震える足を殴り、土を握りしめながら立ち上がる。
「――っ!」
フラフラと、しっかりと力が入らない足で走り出し、徐々に速度を上げていく。
次第に風を切る速度まで足を使い、景色は流れていく。
朝日が昇る頃には、涙は止まっていた。
「ママ……パパ……アリス……エリー……」
無意識に呟いた名前、直後には深い喪失感が全身を、心を支配し、涙がたくさん溢れてきた。
「あ……あ……ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
悔しさを、悲しさを誤魔化すために叫んだつもりが、あらゆる感情を助長するように働き、涙は止まらない。
こんなことなら、いい子でいればよかった。
使用人の名前を覚え、話をしていればよかった。
何も知らなかった、知ろうとしなかった。
なのに、彼らは知ろうとして、守ってくれた。
「……会いたいよ……」
それから半日。
血に塗れた身体で歩き続け、異常なほど大きな街にたどり着いた。
普段は門番の審査に通らなければ入れないらしいが、子供が傷だらけと言うこともあり、緊急事態と判断し、中に入れた。
この街はどうやら、王都という場所らしい。
「おい、聞いたか?」
「あぁ、昨日の夜の襲撃だろ? 獣人の家庭を狙ったやつだよな? 多分、略奪者だろ?」
腰に剣を携えた若い青年が二人、そんな話をしているのを聞いた。
ティーちゃんは近づき、彼らの顔を見た。
「……大丈夫か? 迷子か?」
「その、襲撃の話……どこまで調べられてるニャ……?」
ティーちゃんが話した言葉に、青年たちは首を傾げる。
「ほぼ皆殺しって話だろ?」
「獣人と女は売られるらしいな。死体の数が合わないらしい」
売られる。
その言葉にティーちゃんは首を傾げた。
「売られるってのは……何ニャ」
ティーちゃんの言葉に、青年たちは眉を歪め、言いづらそうな顔をした。
小さな子供に、どう説明するか迷っているようだ。
少し経った後、青年の一人がしゃがみ、耳元で話した。
「別の国とか、街に売るんだ。奴隷とかにするために」
「売られたら……どうなるニャ……?」
そう返したティーちゃんの言葉に、青年は首を振る。
「それはわからない。何をしてもお咎めなしだし、外に情報は出ないから」
「売られた国や街……場所は絶対にわからニャい?」
ティーちゃんは最後の質問を投げつける。
それに、青年たちは一度見合って、ゆっくりと口を開いた。
「売った奴らは多分、帳簿を残してる。それを見れば、わかるんじゃないかな。でも、どうして……?」
青年の答えを聞き、ティーちゃんは踵を返して歩き出す。
「なんだあれ……」
「なんか怖いよな」
背中から、青年たちの声が響く。
歯を食いしばり、拳を握り、血に塗れた足で地面を踏み締める。
「あぁ、今にも人を殺しそうな目だよ」
「まさか、昨夜の生き残りだったりして」
「ないない!」
青年たちの声は小さくなっていた。
奴隷。人身売買。帳簿。略奪者!
覚えた。覚えたぞ!
探して、殺して、連れ戻す。
――例え死体でも、指一本でも持ち帰る……。
「皆殺しニャ……」
爪が手のひらに食い込み、血が溢れる。
地面に落ち弾ける鮮血を睨みながら、未来に足を向け歩き出した。
失った過去を取り戻すための一歩は、重く紡がれる。




