Episode:26 ティリア・ファレット
僕の服を掴む拳に力を入れ、ティリアは歯を食いしばる。
そして、彼女は話し始めた。
それは彼女が……ティリア・ファレットが冒険者を選んだ理由だった。
――ティリア
身長より高い本が立ち並ぶ。
童話から、魔術書まで。
異国の読めない文字すらを記した手記。
その中に、ティーちゃんは座っていた。
この刻の歳は、五つか、六つだと思おう。
コンコンと高い音で木製の扉が叩かれる。
扉をゆっくりと開けて入ってきたのは細身で白髪の男だった。
彼は獣人ではなく、純血の人族だった。
「ティリアお嬢様、ご夕飯のご支度が整いましたので、食堂にお越しください」
白髪の男はそう話して、深く頭を下げる。
「嫌!! ってお母様に言っといて欲しいニャ!」
ティーちゃんがそう話すと、男は困ったような顔をしてため息を漏らす。
「お嬢様、またお母様とお父様に叱られますよ?」
男はそう言いながら、唸った。
そして、男は口を開く。
「では、こういうのはどうでしょうか?」
男がゆっくり話した言葉に、ティーちゃんは本を閉じて、耳を傾けた。
「今から少しの間、目を瞑っておきます。準備ができたら、お嬢様の方からお声がけください。その後、ワタクシが追いかけますので、つかまらないように逃げてください」
「捕まったらどうなるニャ?」
男の言葉に、ティーちゃんは首を傾げる。
「そうですね。今後ずっと、勉学に励み、舞踏の練習も欠かさず、派遣された講師たちにも丁寧に接し、ご両親を困らせない。はどうでしょうか?」
男は優しく笑いながらそう話した。
「ティーちゃんは?」
「何でも構いません。欲しいもの、したいこと。この勝負に負けたら、ワタクシの方から、お母様とお父様に話をしましょう。最後まで、協力いたしますとも」
男はそう言って頭を下げる。
「わかった。約束は守ってほしいニャ」
「はい」
ティーちゃんはそう言って立ち上がり、準備運動をした。
その光景を男はただ見つめる。
「つまりは、鬼ごっこ……だよね?」
「はい、自信はありますか?」
ティーちゃんに、男は問う。
準備運動が終わったティーちゃんは、腰に手を当てて、胸を張る。
「じゃ、ティーちゃんが部屋を出てから三十数えて! それから開始だニャ!」
そう言って、ティーちゃんは書斎を飛び出す。
広い屋敷。
廊下の真ん中には赤い絨毯が長く引いてあり、壁の隅々まで金色の装飾や、名高い画家の絵画で埋め尽くされている。
生活には困らなかったが、別に裕福だとは思わなかった。
だが、その考えは一発でひっくり返る。
「もう三十たったかな……」
ティーちゃんは絵画を見ながらつぶやいた。
書斎と隣接している廊下からはかなり歩いたし、すぐには見つけられまい。
「経ちましたね」
直後、耳に低い声が入った。
ティーちゃんは驚いて、飛びのくと、目の前には書斎で数を数えていたはずの白髪の男が立っていた。
「……いつからいたニャ?」
「数え終わったばかりです」
男はそう言いながらやさしく笑う。
その言葉に、ティーちゃんは眉を歪めた。
数えたばかりだとして、ここまでそれこそ十五ほどはかかるはず。
ティーちゃんは耳がいい。
鼻も利くが、一番自信があるのは耳だ。
廊下を何本挟んでも、廊下の端から端でも、扉の開閉音は聞こえる。
だが、今回はそれが聞こえなかった。
「さ、捕まえますよ?」
ティーちゃんに考える隙を与えないかのように男は、ティーちゃんに手を伸ばす。
体は動かなかった。
逃げようとはした、走り出せば、この男を振り切れる自信があった。
だが、走り出せなかった。
本能が、勝てないと、悟ってしまったのだ。
「はい、捕まえました」
「むぅ……」
男に肩を軽くたたかれ、ティーちゃんは唇を尖らす。
「勝てるとわかって、それでいて、提案したのかニャ?」
ティーちゃんが問いかけると、男は困った顔で笑って見せた。
「まぁ、そうなりますね」
男はそう話し、前を向いた。
「ずるいニャ」
「ですね。ですが、ティリアお嬢様は、ズルをしてはいけないとおっしゃっていません」
確かにそうだ、
大人が提示した制約で、まさか提案した側がズルをするとは思わなかったのだ。
「さ、夕飯が冷めてしまいます。行きましょう」
男はティーちゃんにそう話しながら手を差し出す。
ティーちゃんはその手を握り、食卓が並んでいるであろう広間を目指した。
「何かやっていたのかニャ?」
「ワタクシですか?」
ティーちゃんの質問に、男は首を傾げ、ゆっくりと話し始めた。
「少し前まで、冒険者をしていました。斥候と言っても難しいでしょう。簡単に言えば、隠れるのが上手い人なんです。音を消したりとかが上手だったんですよ?」
男はそういいながら 自身の頬を掻いていた。
照れくさそうに笑い、優しかった。
「だから音がしなかったんだニャ」
ティーちゃんは納得した。
扉の音が聞こえなかったのは、この男が斥候と呼ばれる冒険者だったからだ。
「強かったのかニャ?」
「まさかそんなまだまだでしたよ。黒曜銅級という等級が最大です、そこで、心が折れてしまいました」
男はそう言ったきり、何も話さなくなってしまった。
悲しそうな顔を見せた男に気づき、ティーちゃんからも何かを言うことはなかった。
やがて広間に着き、扉を開ける。
香り豊かな匂いが漂い、心が温かくなる。
それでもなお、ティーちゃんの横に立つ男は、表情を変えなかった。




