第21話:心配と話
夜の冷たい風が静まり返った街並みを撫でる中、イムは足を早めていた。
南門でダレルや兵士たちと別れ、襲撃事件の後処理を終えたものの、すっかり時間が押してしまっている。
(やべぇな……みんな心配してるだろ)
イムは木造の使い古されたドアをそっと押し開け、孤児院『パルテリ』の玄関をくぐった。
「ただいまー……」
声を潜めて入ろうとした瞬間、土間の先にある木製のベンチで、小さな頭がふたつ、こっくりこっくりと揺れているのが目に入った。ジルとチルアだ。二人は限界の眠気と戦いながら、イムの帰りを玄関前で待っていたらしかった。
ドアが開く音に弾かれたように、二人が丸い目をパチッと開ける。
「あ! お兄ちゃん、おかえりー!」
「兄ちゃん帰ってきたー!」
弾けるような元気な声が静かな玄関に響き渡った。
すると、その声を聞きつけて奥の廊下から慌ただしい足音が近づいてくる。姿を見せたのは、クレラと、静かな佇まいのシスター・ディアだった。
「おかえり、イムにい! 大丈夫!? すごく遅かったけど、何かあったの……?」
眉を八の字にして駆け寄ってくるクレラ。その瞳には隠しきれない不安が溜まっていた。
イムは一瞬だけ胸を痛めつつも、いつもの不敵で頼もしい笑顔を作り、少し腰を低くして頭の後ろを掻いた。
「なんも問題ないぜ! ちょっとダンジョンで夢中になっちゃって、時間を見誤って遅くなっちまったんだ。心配かけさせたみたいでごめんな、クレラ」
「もう……本当に心配したんだからね」
ほっと胸を撫で下ろすクレラの横で、イムはちょこんと座っている双子に目線を合わせた。
「ジルとチルアも、心配してここで待っててくれたのか?」
「「うん!」」
声を揃えて元気に頷く二人。イムの胸の奥に、じんわりと温かいものが広がっていく。ダンジョンの暗闇で自分と家族を脅かそうとしたあのゲスどもを思い出すと、この平穏で愛おしい笑顔を何としても守り切ったのだという実感が湧き上がってきた。
「ははっ、ありがとな!」
イムが二人の頭をわしゃわしゃと撫で回すと、ジルもチルアも気持ちよさそうに目を細めて笑った。
そこへ、奥から歩み寄ってきたシスター・ディアが柔らかい声で言葉をかける。
「ほら、二人とも。イムが無事に帰ってきたのですから、もう布団に入りなさい。イムも、今日はとても疲れているでしょう? お湯の準備はできていますから先に入ってきなさいな。その間にご飯を温め直しておきますからね」
「あ、助かるよシスター! ありがとな!」
イムは笑顔で感謝を伝えると、温かな家族の匂いが充満する孤児院の奥へと足を進めた。
温かいお風呂で体の汚れと緊張を洗い流し、温め直された食事を家族とともに囲む。ダンジョン内での殺伐とした出来事など微塵も感じさせない、いつも通りの穏やかで幸せな夜が過ぎていった。
――翌朝。
いつものように眩しい朝日が街を照らす頃、イムは準備を整えて孤児院を出た。
だが、今日はいつもと違う行動をとる。そのまま南門へ向かってダンジョンへ直行するのではなく、街の中央へと足を向けて探索者ギルドを目指した。
昨日は五人組との遭遇と兵士たちへの引渡しでバタバタしており、狩った魔石を換金する時間がなかったからだ。
(とりあえず、昨日稼いだ分を換金してからダンジョンに向かうとするか)
革袋に入った魔石の重みを確かめながら、イムはギルドの扉を押し開けた。
朝のギルドは、これから依頼を受けようとする探索者たちでごった返している。イムがいつものように空いている受付列を探そうとした、まさにその時だった。
「イムさん!!」
雑多な喧騒を切り裂くような、緊迫した大声が館内に響き渡った。
声の主は、受付カウンターの奥にいたマリナだった。普段の冷静沈着で事務的な彼女からは到底考えられないほどの必死な様相で、血相を変えてイムを注視している。周囲の探索者たちも何事かと一斉に振り返るほどだった。
「うおっ……!? ど、どうしたんだよマリナさん、そんな大声出して」
驚きつつも、イムは急ぎ足で彼女のいるカウンターへと向かった。
イムが目の前に辿り着くと、マリナはすっと背筋を伸ばして姿勢を正し、真剣そのものの瞳でイムをまっすぐに見つめてきた。
「……昨日の件につきまして、警備隊より連絡を受けました。お怪我はありませんでしたか?」
「あー……なるほど、そっちの話か」
マリナがこれほど狼狽していた理由を理解し、イムは快活に笑ってみせた。
「うん、怪我はどこもしてないよ! 元気ばっちりだぜ!」
イムがポンと自分の胸を叩いて見せると、マリナは張り詰めていた糸が切れたように深く息を吐き出し、ほんのわずかに顔の強張りを緩めた。
「……そうですか。ご無事で、本当に良かったです……」
安堵の言葉を漏らしたマリナだったが、すぐに表情を再び引き締め、静かだが重みのある声で言葉を紡ぐ。
「イムさん。少々お話ししたいことがあるのですが、お時間は大丈夫でしょうか?」
イムは頭の中で今日のスケジュールを素早く思い浮かべた。今日の予定はいつも通りダンジョンで狩りをするくらいだ。急ぎの用事もない。
「おう、問題ないぜ。今日はダンジョン攻略くらいしかすることないしな」
「ありがとうございます。では、少々お待ちください」
マリナはそう言い残すと受付の奥へと引き返し、隣の同僚に手短に受付業務の代行を頼み込んだ。普段は決して業務を途中で投げ出さない彼女が、そこまでして優先しようとしている。
すぐに戻ってきたマリナは、イムに向かって静かに目配せをした。
「それでは……奥の個室でお話ししましょう。こちらへどうぞ」
「……おう」
案内されたのは、ギルドの一般利用者が立ち入ることのできない奥の廊下。その先にあるのは、高ランクの依頼や、犯罪・重大なトラブルの聴取といった『特別な案件』でしか使われないという完全防音の個室だった。
厚目の木造ドアが開かれ、静まり返った室内へと足を踏み入れながら、イムは背筋が少しだけ伸びるのを感じていた。




