第17話:成人の儀、同じ轍は踏まない
シスター・ディアと幼い双子のジル、チルアを孤児院への帰路へと見送った後、街には穏やかな昼下がりの風が吹き抜けていた。
「よしっ、行くぞクレラ!」
「うん……! でも、イムにい、どこに向かってるの?」
繋いだ手に少しだけ力を込めながら、クレラはイムの横顔を不思議そうに見上げた。
先ほど『肉の旨味』で美味しいお肉をお腹いっぱい食べたばかりだ。古着屋で綺麗な服もたくさん買ってもらったというのに、まだ何か残っているのだろうか。
「へへっ、着いてからのお楽しみだ!」
イムは不敵にニッと笑ってみせるだけで、行き先を教えてはくれない。クレラは首をかしげつつも、自分を導く兄の力強い背中を信じて、その隣を歩き続けた。
二人で歩くこと十分ほど。
いつも通る賑やかな大通りや雑多な市場を抜け、辿り着いたのは街の中でも特に閑静で、整然とした街並みが広がる区画だった。
一軒の店の前で、イムが足を止める。
そこは、重厚な木製のドアと洗練されたガラス窓が印象的な、格調高い佇まいの仕立屋だった。ショーウィンドウには、一般の平民が日常で着るような服ではなく、結婚式や式典などの特別な場で着用されるような、美しく仕立てられた高級な『正装』が飾られている。
店の看板を見上げ、ショーウィンドウの中を覗き込んだクレラは、一瞬で顔を強張らせた。
「……え? イムにい……もしかして、目的地ってここ……?」
「そうだよ」
信じられないといった様子で固まるクレラに、イムは優しく微笑んで頷いた。
「で、でも……ここって、すごく高い服を作って売ってるところだよね……!? 裕福な商人さんとか、貴族の付き添いの人とかが来るような……」
「まぁ、そうだな。かなり上等な正装を作ってくれる店らしいぜ」
「だ、ダメだよイムにい! 私、さっき古着屋さんでとっても素敵なお洋服を三セットも買ってもらったじゃない! あれだけで十分すぎるくらい十分だよ!? こんな高いお店で服を作るなんて、絶対にダメ……!」
さっきまでの楽しそうな笑顔とは打って変わり、クレラは完全に困惑し、眉を八の字にして激しく首を振った。自分たちのためにイムがどれほど大金を遣ってくれたか分かっているからこそ、これ以上の贅沢など到底受け入れられるものではなかった。
怯えたように身を引こうとするクレラの手を、イムは離さなかった。
そして、店を行き交う人々の邪魔にならないよう、路地の端にある小さな空きスペースへとクレラを優しく促した。
「……クレラ」
「なに、イムにい……? 帰ろうよ、ね?」
「三ヶ月後、クレラはジョブを与えられる『成人の儀』があるだろ?」
イムの静かな問いかけに、クレラは「え……?」と瞬きをした。
「うん……十五歳になるから、大聖堂で神様からジョブをいただく成人の儀式があるけど……」
「まぁ、兄ちゃんの話を少し聞いてくれ」
イムはどこか遠くを見るような目をし、穏やかに語り始めた。
「兄ちゃんもな、二年前……十五歳になる年に、あの成人の儀に行ったんだよ」
クレラは息をのんだ。イムが自分の成人の儀について語ることなど、これまで一度もなかったからだ。
「で、その時なんだけどさ……大聖堂に集まった周りの子供たちはみんな、綺麗な服を着てたんだ。親に買ってもらった新品の服とか、綺麗な正装ってやつ? をちゃんと着て並んでた」
イムはそこで一度言葉を切り、何かを重ねてみるように今は綺麗な自分の服の袖口をチラリと見た。
「……兄ちゃんだけだったんだよ。つぎはぎだらけのボロ服を着て、周りから浮きまくってたのはさ。ひそひそ話されたり、露骨に距離を置かれたり、クスクスと笑われたりもした」
「っ……!」
「俺自身はさ、そんなこと別に気にしてなかったんだ。自分をここまで育ててくれたシスターへの感謝の気持ちしかなかったし、服がボロかろうが俺は俺だしな。……でもな、式が終わって孤児院に帰った後、シスターが俺の服を見て……ポロポロ涙をこぼしながら、何度も頭を下げて謝ってきたんだ。『情けないシスターでごめんなさい、綺麗な服を着せてあげられなくてごめんなさい』ってさ」
イムの言葉が、クレラの胸を深く鋭く刺し貫いた。
「俺は、自分のせいでシスターを泣かせちまったのが、すごく悔しかった。……そしてな、クレラ」
イムは静かにかがみ込み、クレラの目を正面から真っ直ぐに見つめた。その瞳には、かつてないほど真剣で、温かい光が宿っていた。
「クレラが三ヶ月後、成人の儀に出る時に……あの時の俺と同じような思いをするって考えたら、俺は絶対に許せないんだよ。周りから蔑むような目で見られたり、嫌な思いをしたりなんて、絶対にしてほしくない。……それに、クレラの時にまた、シスターが自分を責めて泣いちまうようなことにもしたくないんだ」
イムはクレラの肩にそっと手を置いた。
「だから……これは兄ちゃんのエゴかもしれないけどさ。俺の気持ちだと思って、笑って受け入れてほしいんだよ」
言い終えたイムは、いつもの不敵で、けれどどこか照れくさそうな笑みを浮かべた。
「……っ……ぁ……」
クレラは言葉を失っていた。気がつくと、視界がぼやけ、温かいものが次から次へと溢れ出していた。
イムにいが二年も前に、そんな惨めで悔しい思いをしていたなんて、知らなかった。
そんな傷を一切見せず、自分たちの前ではいつだって胸を張り、頼もしい「強いお兄ちゃん」であり続けてくれていたのだ。
自分の怪我や危険も顧みず、いつだって自分たちの幸せと未来のことだけを考えてくれていた。
「あ……ぅ……っ……!」
胸の奥から込み上げる愛おしさと感謝、そして申し訳なさが溢れ出し、クレラはしゃくりあげながら涙を流した。
「イムにいの……っ、気持ち……わかった……っ! ありがとう……ありがとう、イムにい……っ!」
クレラは堪えきれず、イムの胸の中に勢いよく飛び込み、その身体にぎゅっと抱きついた。
「おっと……! ハハッ」
勢いに押されつつも、イムはしっかりとその身を受け止め、しゃくりあげるクレラの頭を愛おしそうに何度も撫でた。
「よしよし。泣くなクレラ、せっかくの可愛い顔が台無しだぞ」
「う……ふぐっ……だって……イムにいが……っ」
「へへっ、ありがとな」
街の小さな路地の隅で、二人はしばらくの間、温かい温もりに包まれていた。
やがて、クレラのしゃくりあげる声が小さくなり、涙を服の袖でゴシゴシと拭うのを見届けると、イムは優しく微笑みかけた。
「……少し落ち着いたか? それじゃあ、服、作りに行こうか」
「……うん!」
まだ少し目を赤くしたクレラだったが、今度は迷いのない、心からの満面の笑みを浮かべて頷いた。
イムに手を引かれ、クレラは仕立屋の重厚なドアをくぐる。
三ヶ月後、最高に輝く妹の姿を思い描きながら、少年は誇らしく店主のもとへ歩み寄るのであった。




