第9話:報酬と買い物
銅級ダンジョン三階層の冷たい静寂の中、イムの立てる足音だけが静かに響いていた。
「よし……次だ」
先ほどゴブリンソードマンの二体同時撃破を成功させたイムは、深呼吸をひとつ挟み、すぐさま頭痛を押し殺して前を向いた。
確立した戦術は裏切らない。身の丈ほどもある『土壁』で視界を遮り、『声生』による悲鳴の幻声で敵の注意を明後日の方向へと逸らす。そして間髪入れずに『分身』を繰り出し、惑わされた隙をついて死角から急所を一刺し——。刺し終えれば、短剣の柄に括り付けたロープを一気に引き寄せて安全圏へ脱出し、傷口からの大量出血を誘発させる。
一度流れを掴んでしまえば、かつての苦戦が嘘のようだった。二体現れようと、立ち回りさえ誤らなければ一方的に完封できる。
一体、また一体。魔物の断末魔が溶け込んでは、粒子となって消えていく。残された魔石を拾い上げ、腰の袋へと放り込む動作も、もはや手慣れたものだった。
(……ふぅ、さすがに精巧な分身をこれだけ連発すると頭が重いな……けど、段々痛みも少なくなってきた気がする)
こめかみを指先で押さえ、痛みを散らすように息を吐く。だが、袋の中で重みを増していく魔石の感触が、イムの心に確かな達成感と余裕をもたらしていた。
「よし、これで二十二体目……!」
袋の口を縛り、ずっしりとした重みを確かめる。ゴブリンよりも格段に強く、一回り大きな体躯を持つゴブリンソードマンを、一日で二十二体。鉄級のかけだし探索者としては、間違いなく規格外の討伐数だった。
「時間的にも今日はここまでにしておくか」
イムは額の汗を拭うと、満足感に胸を膨らませながら、苔に照らされるだけの薄暗いダンジョンの通路を出口に向かって歩き出した。
地上へと戻り、太陽がもう落ちかけているのを確認したイムは、その足でファーウェイの町にある冒険者ギルドへと向かった。
ギルドの扉を押して中に入ると、相変わらず独特の熱気と酒の匂いに満ちていた。カウンターの列に並び、自分の番が来ると、イムは馴染みの受付嬢——マリナの前へと進み出た。
「……お疲れ様です」
マリナが無表情ではあるものの、挨拶をしてくる。それに驚きつつも顔には出さない様に、イムはいつも通り魔石の納品をお願いした。
「おう! 今日もこれよろしくな!」
イムは腰から外した大きめの革袋をカウンターの上に置いた。ズッシリとした重い音が木製のカウンターに響く。
「承りました、少々お待ちください」
いつものように一分ほど経過した後、カウンターの上に報酬分の硬貨と革袋を乗せる。
「お待たせしました……合計で、銀貨八枚と銅貨八枚になります」
「銀貨八枚と、銅貨八枚……よし!」
カウンターの上にジャラリと並べられた輝く銀貨と銅貨を目にし、イムの目が輝いた。
以前、ゴブリンを三十体倒してようやく銀貨六枚にしかならなかった頃と比べ、今回はゴブリンソードマンに狙いを絞って倒し、銀貨八枚と銅貨八枚。
明日以降もどんどんとゴブリンソードマンの討伐に慣れていけば、より稼ぐことのできる未来が見えて喜ぶイム。
「ありがとな、マリナさん!」
「……ゴブリンソードマン、安定して倒せるんですね」
「おう! 俺は魔法も使えるしな!」
そう言いながら手のひらに炎を生み出したイムを、少し驚いたような目で見つめるマリナ。
「……そうですか、油断して死んだりすることが無いよう、気を付けることをお勧めします」
「言われなくても大丈夫さ! でもありがとな! じゃあまた!」
イムは銀貨と銅貨を大切に懐へしまい込むと、弾むような足取りでギルドを後にした。
ギルドを出たイムがまっすぐ向かったのは、町の賑やかな市場の一角にある八百屋だった。
店頭には、色鮮やかな野菜が所狭しと並べられている。瑞々しい緑の葉物野菜や、丸々と太った赤い果実、甘みの詰まってそうな根菜類。どれもこれも、これまでの孤児院の食卓では滅多にお目にかかれない代物ばかりだった。
(よし……! 今日の報酬なら、みんなにいつもより豪勢な物食べさせてあげられるぞ)
孤児院『パルテリ』の財政は常に窮迫していた。領主からの補助金が減額されてからは拍車がかかり、イムが探索者として稼いでいるとはいえ、日々の食事といえば安価な魔物肉のスープと硬いパンばかり。不足しがちな野菜は安めの肉と比べると高価で、なかなか子供たちの口には入らなかったのだ。
「おばちゃん! 野菜を買いに来たんだけど!」
「はいはい、いらっしゃい! ……おや、イム坊じゃないかい」
威勢の良い声とともに奥から現れたのは、店主の恰幅の良いおばさんだった。店頭に立つイムの顔を見るなり、親しみのこもった笑顔を浮かべる。
「今日はどうしたんだい? いつもみたいに傷んだ見切り品を探しにきたわけじゃなさそうだけど」
「へへ、今日は金があるんだ! この新鮮な野菜をくれ! 孤児院みんなで食べたいんだ」
イムが胸を張って懐から銀貨を見せると、八百屋のおばさんは驚いたように目を丸くした。
「あらまあ! 凄いじゃないかい、イム坊! 探索者の仕事、上手くいってるんだねぇ」
「まあな! お兄ちゃんとして、みんなにおいしいものを食べさせてやらないとさ」
「偉いよ、本当。……そうだ、シスターディアにはさ、昔世話になったことがあるんだ……よし!」
おばさんはそう言うと、大きなカゴを取り出し、イムが頼んだ分以上の新鮮な野菜を次々と袋の中に放り込んでいった。
「ほら、これも持っていきな! おばちゃんからのサービスだよ!」
「えっ…… こんなにいいのか!? 頼んだ倍くらいあるぞ!」
「いいんだよ! シスターや可愛い弟妹たちに、ちゃんとお腹いっぱい食べさせるんだよ。イム坊も、体には気をつけなさいね」
「おばちゃん……! ありがとう!」
人の温かさに胸が熱くなるのを感じながら、イムは硬貨を支払った。ずっしりと重い袋を抱えると、自然と笑みがこぼれ落ちた。




