第6話:【閑話】李家食堂の温かい魯肉飯
総統府の目と鼻の先。台北の裏路地にある小さな大衆食堂。
八角と醤油の甘い匂いが、鼻腔をくすぐる。
◆ ◆ ◆
瀋陽のテロ発生から、数時間が経過した。
防衛レベルが引き上げられ、総統府は荒れ狂っていた。
俺は未来の記録を頼りに、次々と指示を出し続けた。
だが、未来技術の連続使用による代償は重い。
限界を迎えた俺を、小梅が強引に連れ出したのだ。
「これ以上は本当に死ぬわよ」と、氷のような目で睨みつけて。
◆ ◆ ◆
「ほら、熱いうちに食べなさい。顔色がひどいわよ」
目の前に、湯気を立てる魯肉飯が置かれた。
右目の下に泣きぼくろのある、艶やかな女性。
「……母さん。勝手に大盛りにしないでよね」
小梅が呆れたようにため息をつき、母親を睨んだ。
彼女の実家であり、母の蘭が営む小さな大衆食堂。
「ふふっ、いいじゃない。若いんだから」
蘭は朗らかに笑い、俺の顔を見てふわりと微笑む。
八角の甘い香りと、温かな空気。
張り詰めていた心が、静かにほどけていく。
「……いただきます」
一口かき込むと、甘辛い肉の温かさが胃の腑に染み渡った。
「あはは! お兄さん、本当にゾンビみたいな顔!」
隣から顔を覗き込んできたのは、小梅の妹の小飛だ。
だぼだぼのパーカー姿で、小悪魔のように微笑む。
「中身は38歳のおじさんなんでしょ?」
「疲れてるなら、わたしが特別に癒やしてあげよっか?」
「ちょっと小飛! あんたなんでその極秘情報を……っ!」
「お姉ちゃんの端末、ハッキングして覗いちゃった」
「あ、お肉いただきっ」
彼女は遠慮なく俺の皿から、肉を一つ奪い取った。
国家の厳重なセキュリティすら突破する、天才ゆえの自由奔放さ。
「こら小飛。彼をからかわないの」
小梅が呆れたようにため息をつく。
SPの冷徹な仮面を外した、年相応の無防備な顔。
首筋のインプラントが、かすかに熱を帯びて「チクリ」と痛む。
16年間、泥水だけをすすって生きてきた。
誰も信じず、ただ孤独に世界を呪い続けて。
だが、今ここにあるのは……。
「……美味しいです。…………すごく」
「ふふっ。たくさん食べて、少しは休みなさい」
蘭が優しく微笑み、俺の頬にそっと手を添えた。
その手は、凍りついていた魂を溶かすように温かかった。
鍋から立ち昇る湯気と、ありふれた家族の食卓。
俺は少しだけ、張り詰めていた息を吐き出した。
最愛の彼女の破滅まで、あと997日。
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