表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/20

第19話:出発前夜の魯肉飯と、聖母の晩酌

台北の裏路地。李家食堂の赤提灯が揺れている。


八角と醤油の甘い匂いが、夜風に混じっていた。


◆ ◆ ◆


日本への潜入ルートが確保され、出立は明日に迫った。


過酷な敵地へ向かう前に、済ませておくべきことがある。

俺は小梅と共に、この小さな大衆食堂を訪れていた。


◆ ◆ ◆


「ほら、今日は特別に肉を多めにしておいたわよ」

蘭が湯気を立てる魯肉飯を、優しくテーブルに置く。


「……ありがとうございます。しばらく、来られないので」

俺が静かに告げると、蘭の動きが少しだけ止まった。


小梅も無言のまま、自分のグラスを見つめている。


だが蘭は、余計な事情を一切聞かずにふわりと微笑んだ。

「いつでも帰ってきなさい。ここはあなたの家なんだから」


俺の頭を撫でる彼女の手は、どこまでも温かかった。

血と泥にまみれた心を洗う、無条件の聖域だ。


「志郎おじさん! わたしがいなくて寂しいでしょ?」

小飛が隣に座り込み、無邪気なウインクを返す。


「日本でも、裏回線からバッチリ手伝ってあげるからね!」


「……お手柔らかに頼む。」


「おじさんがいなくなったら、お姉ちゃん寂しくなるね」


「……馬鹿なこといってないで、早く食べなさい」

小梅が顔を背け、冷めたお茶をすする。


だが、その氷の瞳の奥には密かな決意が宿っていた。


ありふれた家族の食卓。平和で、騒がしくて、温かい時間。

過去の亡霊だった俺に、未来を守る確かな熱が宿る。


◆ ◆ ◆


深夜の李家食堂。赤提灯の明かりはすでに落ちている。


外では、冷たい夜雨がアスファルトを叩いていた。

小梅や小飛が寝静まった後、俺は一人で店に下りてきた。


眠れなかったのではない。心が擦り切れていたのだ。


暗いカウンター席で、一人静かに息を吐き出す。


「……こんな時間に、悪い子ね」

ふわりと、甘い香水と八角の匂いが漂ってきた。


見ると、寝巻きに薄手の羽織をまとった蘭が立っていた。

右目の下の泣きぼくろが、艶やかな大人の色気を放っている。


「……すみません。少し、冷たい水が飲みたくて」


俺が誤魔化すと、蘭は小さなグラスを二つ並べた。

トクトクと、度数の高い琥珀色の酒が注がれる。


「冷たい水より、こっちのほうがよく眠れるわよ」

蘭は隣に座り、自分のグラスを軽く合わせた。


彼女は、俺がこれから死地へ向かう事情を一切聞かない。

ただ、疲れた男の孤独を察している。


「……あんたは、本当に不器用ね」

「背負わなくていいものまで、全部抱え込もうとする」


蘭はそっと俺の頭を引き寄せ、自分の膝の上に乗せた。


「なっ……! 蘭さん、これは……っ」


「いいの。今はただ、ゆっくり休みなさい」

豊満な太ももの柔らかさと、圧倒的な母性の温もり。


抗う気力もなく、俺は彼女の膝に身を委ねた。

髪を撫でる蘭の手は、凍りついた魂を溶かすように優しい。


未来の知識も、血にまみれた復讐も関係ない。

俺が、唯一背伸びせずに甘えられる究極の聖域。


「……ありがとうございます。…………すごく、温かい」


「ふふっ。いつでも帰ってきなさい。ここはあんたの家よ」


雨音を遠くに聞きながら、俺は静かに目を閉じた。

明日から再び始まる、血と泥の地獄を歩き抜くために。


最愛の彼女の破滅まで、あと983日。

【読者のみなさまへ】

「面白い」「続きが気になる!」と思ってくださったら、

ページ下部にある【ブックマーク登録】や、【評価システム(★★★★★)】で応援していただけると、執筆の非常に大きな励みになります!

何卒よろしくお願いいたします。

◆【作品をより深く楽しむための補足ページ】

本編の戦況マップ、地政学・ミリタリーの裏設定などはX(旧Twitter)にて随時公開・更新しています!

ぜひこちらもチェックしてみてください。

▼作者X(旧Twitter)アカウント

https://x.com/shinsannov

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ