第14話:【閑話】19歳の肉体改造と、小飛の小悪魔な差し入れ
台北の地下訓練室。
汗と防音材のゴムの匂い、重い金属音がひびいている。
◆ ◆ ◆
宣戦布告から大軍が動くまでの、わずかな猶予。
未来技術の強烈な反動に耐えるには、基礎体力がいる。
精神は38歳でも、この肉体は19歳の未完成なままだ。
日本への潜入前に、少しでも限界値を引き上げる必要があった。
◆ ◆ ◆
「……ふうっ」
重いバーベルをラックに戻し、荒い息を吐き出す。
全身の筋肉が、ちぎれるように熱を持っていた。
「お疲れさま、志郎おじさん」
仰向けになった俺の視界に、だぼだぼのパーカーが飛び込む。
小飛がベンチの頭側から、逆さまで顔を覗き込んでいる。
「……勝手に入るな。生体認証のロックがかかってるぞ」
「天才ハッカーに開けられないドアなんてないもん」
彼女は悪びれず、スポーツドリンクを差し出してきた。
「はい、差し入れ。ちゃんと冷やしておいたよ」
「……ありがたく、もらっておく」
俺は身を起こし、冷たい液体を喉に流し込んだ。
乾いた体に、染み渡るような冷たさが広がる。
「それにしても、すごい肉体だね」
小飛がニヤニヤしながら、俺の汗ばんだ腹筋を指差す。
「中身はおじさんなのに、無駄にバキバキじゃん」
「……うるさい。チートの負荷に耐えるためだ」
「ふーん。ねえ、ちょっと触ってみていい?」
「は?」
有無をいわせず、小飛の細い指先が俺の腹に触れた。
冷やされたペットボトルを持っていた、氷のような冷たさ。
火照った筋肉が、予想外の温度差にピクリと跳ねる。
「……っ、冷たいぞ」
「あはは! 変な声。お姉ちゃんにチクっちゃおっと」
「……あまり調子に乗るなよ、小悪魔」
小飛は俺の言葉を無視して、楽しそうに笑っている。
「ねえ、次は日本に行くんでしょ? わたしも連れてってよ、志郎おじさん」
「遊びじゃない。……いや待て。なぜ俺の本名を知っている」
仮眠室の騒ぎではスルーしたが、確かにそう呼ばれていた。
世界から完全に抹消されたはずの、天野志郎という名前を。
俺が鋭く睨みつけると、小飛はニヤリと小悪魔のように笑った。
「昨日、防壁で遊んでくれた『羽扇のおじさん』いるでしょ?」
「……まさか」
「うん。弟子入りしちゃった。裏回線のキーももらったよ」
俺は思わず、冷えたペットボトルを持ったまま頭を抱えた。
『素晴らしい才能だよ、キッド。少し知恵を授けておいた』
脳内で、透明な羽扇をあおぐ男が楽しげに笑う。
未来の天才が、現代の小悪魔にチートを与える。
世界で最も恐ろしい師弟関係が、勝手に結ばれていたのだ。
「だから、日本でも裏からバッチリサポートしてあげる」
「……お手柔らかに頼むよ」
俺が呆れて息を吐くと、小飛は満足そうに走り去った。
誰もいなくなった訓練室で、俺は再びバーベルを握り直す。
あの自由奔放な才能と、屈託のない平和な笑顔。
それを絶対に、独裁者の監視社会に潰させはしない。
過去の亡霊だった俺に、未来を守るための確かな熱が宿っていた。
最愛の彼女の破滅まで、あと990日。
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