第二章『霧生孝一』
「ん?」
あ、と立ち止まった俺に対し、龍馬は聞き忘れかけていたことを思い出す。
「あ!そういえばあの転校生とのデートどうだった!?」
「デートじゃねぇよ……」
最悪だ。今日一日中その話題を堰き止めようとしたのに、朝一に言われるなんて。
一旦このもやもやはしまっておこう。まずはこの問題を処理しなくては。
いやというか、言われたならもう言うしかない。これで隠したらしばらくこいつのニヤ顔が俺の視界に貼り付けられるからだ。
「なんか恋愛的なイベントは!?例えば思わず肩が触れてとかヒロインが転んだところを助けたら床ドンポーズになったりとか……ふふ、たらしもいいとこだな」
「だまれ」
恋愛的なイベント?もちろん実体験はないし、小説もそこまで読んだこともないし、嘘も思いつかないな。
恋愛的。人の心を揺さぶるっていう意味だよな。揺さぶられた。揺さぶった。俺かひろみのどっちでもいいなら一つあるが。
「お!?なんかあるのか!?」
「俺が王子っていうことを伝えた」
アルミ素材の柵の上にカラスが一羽止まり、すぐにどっか飛んでいった。
「え……どこが恋愛的?」
違ったか。
「てか言ったのかよ?いいのか?」
「あぁ別にいいさ。この世界のことそこまで知ってるわけじゃなかったし、性格や力量もなんとなく測れた。少なくとも帰国した時に誰かに言いふらすことはないだろう」
「いやそうじゃなくて」
首を傾げる俺に、龍馬は目を泳がせる。
合理的な部分ではなく、龍馬は精神的なところを窺っているのか。
「良くも悪くも慣れっこだ。それにあいつのバカさは見ただろ?」
「あんま本人いないところで悪口言うなって」
変わらずのいつもの調子に安心したか、少し息を吐いてフェンスに背を向けながら両肘を置く。
「それで?他は?」
他、なんだろう。もう何を言えばわかんないし、こいつのリアクションがよく出そうな話題を出すか。
「おれとひろみで今度の試験を勝負することになった」
「はぁ!?」
うん。どうやら俺はダイレクトシュートしたらしい。
開けた口が閉じない龍馬は一旦言われた言葉の羅列を整理する。
「お前と、雨宮ひろみが、テストの勝負?テストって、十五日後の定期試験の?」
「それしかないだろ」
「なんで?経緯は?」
俺の肩を掴んで揺らしながら興奮する龍馬に構わず、俺は目を閉じて顎に手を寄せる。
経緯。いきなり思い出すのは難しいから、ある起点からなぞって思い出すことにした。なんせいろいろ考えながら案内したもんで、ターニングポイントと少し誇張した言い方で当てはまるシチュエーションは鮮明に覚えている。
一番近いターニングポイント、それは図書室で黒猫と遭遇したあと、ひろみのわがままによって運動場に向かう際のことだった。
空が橙色に霞んでいき、それでも尚のしかかる暑さから背くように人影が長く伸びている。
広々とした中庭の外側で建造物の影に重ねながら、真ん中にある巨大な噴水の空色が、俺の第二装備であるサングラスに貼り付けられる。
少しボーッとするほど暑いので、今すぐにでもその水の中にダイビングして、バタフライにでも挑戦したい。
「ねぇ孝一くん、その、なんていうか、暑くないの?」
「何の話だ」
「いや……服装、厚着じゃないかな?」
てかそれどっから出てきたの?と言わんばかりのその不思議に俺を見つめる目には、サングラス、マスク、帽子にコートと真っ黒フル装備の人物がいた。
「あ、たしか自分が、その、王子だってバレたくないからだっけ?」
「顔すら知り渡ってないんだ。それに俺の顔は母似だし、いつもどおり生活していてもバレることはない」
王子の存在はどの世界にも公表していない。さらに、名前も父の細工のおかげで偽名でここの学校を通しているし、まぁそれでも、
「誰に狙われているかわからないけどな」
存在を公表してないからといって、この闇深い国の王子に目をつけないわけない。例えその人が幼い子供だろうが、中年のおっさんだろうが、そいつを見つけて拷問でもすりゃなにか情報を吐く可能性がある。だからこそ、父がなぜか少し手を加えているこの学校に視察に行かない理由などない。
そして一番自然にここに入る方法が、留学生制度というわけだ。俺が今朝ひろみを疑ったのもこれに当たる。
「どうなんだろう?まず子供がスパイとして入らせるってやり方としては合ってるのかな?」
「この世界に入る方法が留学生の制度しかないしな。まぁ護衛も二人つけてるし、俺も気楽に学校生活を送りたいんだ」
その時ひろみは周りを少し見渡す仕草が見えた。
「護衛って、ずっと近くにいるの?」
「言っただろ。俺は気楽に静かに学校生活を送りたい。誰かに見守られながらとか気持ち悪い。護衛が俺の追跡するときは俺が命令した時だ」
変にドヤ顔する俺にひろみは肩をすくめ、
「それって護衛設置する意味あるの……?」
「ほとんどない。てか、元々いらねぇっつうのに父俺に嘘ついて二人もこの学校に入れたからな」
「じゃあ孝一くんが命令しなくてもいる可能性あるじゃん」
なぜか眉が下がるひろみに、沈黙する俺。そして急にひろみは立ち止まる。
「で、結局その厚着はなんでなの……?」
運動場へのワープポイントはないので、第二号館から約五分かけて向かった。テスト間近の時期なので、運動部のほとんどは活動しておらず、大会が近いテニス部がその場所を占領していた。
「お、テニス部やってるじゃん!ベランダからも見えたけど、まだやってたんだー。かなちゃんやみつきちゃんいるかなー?」
ゆっくりと、指定地が近づく。
「……あぁ、いるんじゃね」
息が荒いのをできるだけ抑える。
「確かここのテニス部って強いよね?全国大会も出たんだっけ。次の大会はいつなんだろ?」
「テスト二日目だ。少し被ってる」
「えよく知ってるね……あ、二人今休んでるかも!」
目を光らせるひろみに腕を引っ張られる。先手を打たなければならなかったが、考えすぎたせいか、少し後手に回ってしまった。
このままではまずい。二人でいることがバレる。
周りを見ろ、周りに何か……。
「なぁひろみ、喉乾いてないか?少し自販機に寄ろう」
「え別にいいよ。あとで買えばよくない?」
「いや、ついでにあいつらに飲み物をおすそ分けした方がいいと思ってな」
「おー孝一くんのくせに気が利くねぇ」
落ち着け。やりようはいくらでもある。だから、ゆっくりだ。
ひろみの足が止まりかけるが、再びあの二人を見て、
「でも買ってる間に二人が練習に戻っちゃうしさ、後でお金返すから孝一くん買ってもらっていいかな?私先に言って話したいな」
俺の腕を離し、離れていこうとする。
「一人で四つの飲み物は少し抱えきれないかもな」
「え?できるでしょ?じゃあ私先行くから!」
俺の心臓が高鳴り始め、手汗が滲み出る。
「……待ってくれひろみ、そもそもここに来たかった理由はなんだったんだ?」
「え?運動場気になってたから近くで見てみたかったのと、」
「それとあの二人の練習姿を見たかったんだろ?なら急ぐ必要はどこにもない」
近くのベンチに目線を送る。俺の視線に追い、納得したように頷く。
「あー確かに、私変に急いじゃった。じゃあ自販機で飲み物買ってそこのベンチで待とっか」
ひろみが減速し、指定地から背を向ける。
「そ、そうだな。そうしよう」
危なかった。ここの失態だけはしてはいけない。
「にしても孝一くん急に焦ってるように見えたけど……」
「ん?ちょっと暑くてな、ばてた」
「じゃあ脱ぎなよ……」
俺が胸をそっと撫で下ろす。一旦ここで時間を伸ばして、あとでここから帰る口実を考えよう。
いや、というか、もう案内はここで終わってもいいよな。テスト勉強もあるから先に帰るとでも伝えれば自然だろう。
あとはタイミング。そのタイミングを。
顎に伝った変な汗を甲で拭き、深呼吸する。——が、それも束の間だった。
「おっすー!ひろみちゃんじゃんー!」
「うそぉ!ひろみちゃん!どうしてここに来たのー?」
「かなちゃん!みつきちゃん!」
ひろみの背後から、同じクラスメイトの二人が飲み物を買いに自販機に寄って来た。運動場の向こう側にも水道があるが、日陰で休めるところを選んだ。ちょっと考えればわかったものの、ゴタゴタとここで立ち止まったせいだ。
「今学校をぶらぶらしててさー、ついでに二人の練習姿見たくて!もうすぐ大会だもんね?」
「そーなんよー。テスト勉強もろくにできなくてさー」
「ダウトダウト!かなちゃんどうせ練習なくても勉強しないくせに」
「うっさいわ!ひろちゃんこういう人どう思う?」
「えーどうって、うーん」
わかるよ。陽キャがよく使うその質問、返答むずいよな。
「でもかなちゃん大丈夫だよ!私結構頭いいからさ、わかんなかったらなんでも教えて!」
「たしかにー。ひろちゃん留学生だもんね!ここ難しいのによく入れた!えらい!」
頭をわしゃわしゃ撫でられるひろみ。そして、その三人は次第に俺の存在に気づき、こちらを振り向く。
「えっと、きみだれ?おとうさん?」
「ぷはっ!んなわけないでしょ!」
「あ、えっと、この人は孝一くんで、同じクラスの、」
心臓が、喉から出るかと思った。それほど、喉が振幅し、頭がドンドンと叩かれている。それに連なって胃がキュッと縮み、厚着を着ているにも関わらず、寒感が背筋を這い上る。
「え?孝一?なんで?」
「ひろみと一緒とか、まじ?」
二人の当然な反応に、ひろみは不思議そうに首を傾ける。
「ふ、二人とも、なんでそんな反応なの……?」
「え、あーひろみちゃんには関係……ないかも……ね?」
「そうそう、うん!」
「孝一くん、なにかしたの、?」
奇妙な、不思議な雰囲気になった。
かなとみつきはお互いに目線を合わせて言葉を探していた。
ひろみは、その二人の反応に裏付けるなにかの理由がないかと考え始める。
そして、俺は、俺は。
「え……こう、いちくん、?」
——俺はその場から逃げ出した。
この行動が後日の体育の授業でその話が回る原因になり、俺はそこから毎日誰かに目をつけられることになった。
次第にその不穏な空気は漂い、廻り、捏ねくりされ、止めるどころか触れることすらできない大きな薄黒い霧のような、噂が出来上がった。
他国を嫌い自国をモノにしようとする国の王子が、留学生を狙い始めたという噂が。




